1/3
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ

 元々誰に武芸を習ったわけでもない蘭香に、壁の絵が真の武芸か紛い物かの区別がつくはずもない。結局壁画の真贋は見極められず、とりあえず描かれた通りに修練してみることにした。毎晩大量の蝋燭を持ち出すので母親がその減りが早いことを気にかけていたが、特別高価なものでもないために見逃された。  壁の絵は半月周期で描き換わった。満月と新月の日に何者かが先回りして描き変えているのだ。蘭香は一度、いつもより早めに家を抜け出して誰が壁画を残しているのか確かめようとした。昨日までの絵が残されている事を確認してから近くの茂みに身を潜め、じっと誰かがやって来るのを待った。しかし待てども待てども人はおろか獣の一匹も通り過ぎる様子がない。痺れを切らして中へ入ってみれば、壁画はとうに新しい物へと描き変わっていたのである。これにはさすがの蘭香も空恐ろしく感じたものだ。以後、描き手の正体を暴くことは止め、ただひたすらに修練を積むことにした。  一つだけ、大きな問題があった。壁画は左右の壁に描かれるのだが、一方の絵の意味が全く理解できないのである。左側の絵は剣を手にしてこれを揮っているため武芸の型だとすぐにわかる。しかし右側の絵は武器を持たず拳足も繰り出さず、ただ静かに座する様を示していたのである。決して攻防の型ではないことに蘭香もすぐに気づき、しばらくしてようやくこれが内功を鍛えるための導引術であることに思い至った。  武芸の中でも筋骨を鍛え、攻めと守りの技術を身につけることを外功と呼ぶ。これに対し、気息を整え肉体の内部を鍛錬し掌握するものが内功である。どちらか一方に精通しただけではその武芸は不完全なものにしかならないのだ。蘭香も幼少期に読み聞かされた侠客物語でそのことは知っていたが、図示されただけでは体内を鍛える内功は会得できない。壁画にはそれらの解説と思われる文言が併記してあったが、これを前にして蘭香は思い悩んだ。彼女は文字が読めないのだ。  漢民族の娘であれば、将来の我が子に学問を教え込んで官僚とするために最低限の手習いは受けるものだ。しかし異民族出身でたかが平民の小娘である彼女に学問の心得はない。いくら自分に才能があると思い込んでも、できないことは逆立ちしたってできないのだ。修練図を前に悩んだ蘭香は、ある日近所の家を訪ねることにした。 「よっ! ご機嫌いかが?」
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!