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 桃蘭香(とうらんか)は今夜もまたいつも通り、母親が寝静まった頃にこっそりと家を抜け出した。彼女の家は飯店を兼ねてはいるが宿屋は営んでいない。加えてその母親は一度眠るとなかなか起きないので、大きな物音さえ立てなければ抜き足差し足の必要もなかった。  家を出てまずは周囲を見渡し、衛視の姿がないことを確認する。長年この宿場町で暮らしてきた彼女にしてみれば、彼らの巡回経路などとうの昔に把握済みだ。……まあ、それで良いのかと思わないこともないが。 (ま、見つかったところで捕まえられるはずもないんだけどねー。だってあたしは俊足だから)  ふふん、と鼻を鳴らし、得意気に隠れていた物陰から飛び出す。多彩な色合いの布を継ぎ当てたその衣服は色彩豊かな曼荼羅のようである。襟縁には蓮の花を模した飾りまで縫い取られて華やかだが、なぜか二の腕部分はざっくりと切り取られてしまっており袖は肘から先の分しかない。腕を見せるだけでも世の娘は赤面ものなのに、蘭香はさらに太腿の半分までしか丈のないやけに体に対してぴったりとした袴(ズボン)を履いていた。当然そこからは白い肌があられもなく覗いている。頭には薄緑の長布をぐるりと巻き付け、余った長い両端をひらりと風に舞わせている。その布には蜻蛉の羽根に似た藍色の玻璃細工が一緒に巻き付けられ、キラキラと月明かりを受けて輝いていた。――実に闇夜に乗じるつもりなど毛ほども感じられない装いだ。そして手に携えるは一振りの刀。  今宵は満月。少女は迷いなく歩を進め、やがて宿場町の裏に聳(そび)える山の中へと分け入って行った。もう何度も通った道なのか、目印もない道なき道を迷いなく進んで行く。そうしてしばらくした頃、ぽつんと小さな道観が現れた。  もう誰にも省みられなくなって久しいようだ。壁面は蔦に覆われ、破れた部分さえある。廟内は人が数人並んで寝転がる程度しかない。奥には申し訳程度の祭壇が設けられ、顔のない女神像と、その左右の侍女像だけが奉られていた。  道中で身についた枝葉を払い落とし、蘭香は廟内へと踏み入る。神像に拝礼し、そしてすらりと刀を抜いた。
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