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時は菩軽八年の夏、あの仇討ちから三年前の事である。
九里府藩の国境近い街道沿いに、一件の廃寺があった。
雨が降っている。その堂内で一組の浪人夫婦が雨宿りをしていた。
浪人の名は、始音海斗。妻の、めいこは八ヶ月の身重であった。
折りしも梅雨明け目前の長雨である。
「大事無いか?」
そう気遣う海斗の目には、身重の妻を流浪に付き合わせてしまった悔恨と重責の労苦が浮かんでいた。
そんな夫へ、めいこは安心させるように微笑んでみせた。
恋女房として嫁いだ身であった。夫が浪人となった際、妻の身を案じる海斗から離縁を申し渡されたが、それをきかずに無理矢理付いてきた女だった。
その妻の目がふと曇り、脇へ流れた。
海斗も吊られて、めいこの視線を追う。
堂内の隅に、壁に背をもたれて胡座をかく、もう一人の浪人が居た。
鞘に収めた刀を抱え込む様にして腕を組み、目を閉じている。
瞑想しているのか、それとも眠っているのか。
彼は始音夫妻よりも先にここで雨宿りをしていた先客だった。
最初、海斗が挨拶をしたが、彼は薄眼を開けて二人を一瞥したきり、すぐに興味無さそうに再び目を閉じて、以来一言も口をきいてない。
さぁぁぁ・・・
押し込める様に、雨が降る。
沈黙の中、堂内には気まずい雰囲気が漂っていた。
海斗は妻の身体を気遣いながら、時折、落ち着かない素振りで開け放たれた堂の入口から、雨がそぼ降る外の景色に目を向けている。
めいこは、そんな夫の姿に少し不安になった。あの無言の浪人の存在に気圧されていると思ったのだ。
確かに夫には長旅の心労があろう。しかしそれでも、こうもあからさまに不安を表に出されると、夫が頼りなく見えて、幻滅してしまう。
めいこがそんな不安を抱いていると、その夫が不意にめいこに振り向き、言った。
「ちと表へ出てくる」
「この雨の中に、ですか?」
「うむ」
夫は深刻な表情でひとつ肯くと、しかしすぐに笑みを浮かべて、
「なあに、すぐに戻る故、大人しく待っておれ」
それ以上の理由も告げずに、傘も被らずに雨の外へ出て行ってしまった。
海斗の突然の行動に、めいこは呆気にとられた。
だが不意に、別方向から視線を感じ、ぎょっとなった。
隅の浪人が薄眼を開けて、めいこを見ていた。
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