第1章

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 というのもその次の週から雅人が一ヶ月間アイルランドのダブリンに短期留学に行くことが決まっていたからだ。今ここで恋人になっておくか、それとも来月にしておくか、妙な選択を迫られた結果、七生は恋人になるのを一ヶ月伸ばすことにした。どちらを選んでも一ヶ月間寂しい思いをするのは変わりない。ただ、最後の最後で、自分の存在が邪魔になることがあるかもしれないと思ったら、形だけでも彼をフリーということにしていおいたほうがいいかもしれない、と思ったのだった。雅人はそれに不満を言うこともなく、あっさりと旅立って行った。彼の大切なチップちゃんの世話を七生に任せて。部屋の合鍵を渡されて、好きに使っていいと言われたが、今のところまだ庭に住んでいるチップちゃんに会いに行くだけで、彼の部屋に入ったことはない。部屋の中には、七生も顔見知りの鏡があるので彼に会いたい気もしたが、無防備な雅人の私的な空間に入ったときに、変態的な行動を取って自分に絶望したくなかった。  それに、不意に増えた担当の仕事で七生も慌ただしい日々を過ごしている。七生の勤めている大学は、学部の数も多くキャンパスも東京以外に点在しているマンモス大学だ。そしてこのたび、さらに新しく湘南にキャンパスを増設することになり、場所の調査をはじめたらその場所に遺跡が出たらしい。条例で、遺跡が出た場合は発掘調査をすることが義務付けられており、当然その費用は施工主が持つ。その分工事が遅れるので、大学としてはそんなものが出ないことを祈ってはいたのだが、福田准教授いわく、そこは、「危ない」場所だったらしい。そのキャンパスは史学科が移転することになっており、福田准教授は一足先に移転候補の場所を知ったので懸念していたようだが、それが現実になってしまったということだ。  素人の七生は、まだ発掘されていない遺跡が新しく見つかったことに浪漫を感じたりもしたのだが、准教授いわくこういう小さな遺跡は全国にいくつもいくつもいくつも(三度言った)あり、たいていはただの集落なのだ。そしてそこに価値のある品、新しい発見があることなど、 「皆無」 と力強く言い切った。ただ、発掘の義務だけはある。
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