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⑤
「あ……いえ……その……」
わるいのはあたしです……と、いおうとしたところ、諭が誇らしげに立ち上がった。
「このひとは瀬名光流(せな・ひかる)さん。
姉ちゃん、覚えてる!?
ほら、6年前、甲子園の決勝で逆転サヨナラホームランをくらって敗れた、『悲劇のエース』と呼ばれたひと!」
そういわれても、そんなひとがいたような……
というあやふやな記憶しかない。
七海は弟と違って、野球に興味はまったくといっていいほどない。
「あの、よかったらサイン、いただけませんか?」
ごそごそと学生カバンからノートを取り出した諭をみて静江が声をあげた。
「バカ、このひとは事故の加害者なんだよ!
自分の姉をひいたひとにサインをねだるなんて、どうかしてるよ!」
「えー、でも……」
諭が不満げに口を尖らす。
「とにかく、賠償と慰謝料は払っていただきますからね」
静江が瀬名に向かってきっぱりといい釘をさした。
「それはもちろんです。誠心誠意こたえさせていただきます」
瀬名が再び深々と頭を下げた。
見ていて気の毒になるくらい恐縮している。
ワルイノハ……アタシナノニ……
なぜか七海はもう、その言葉がいえなかった。
いえばその瞬間から王子様は離れてゆく……
そんな不安に七海は捕らわれはじめていた。
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