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「私か? 真実なんて――ないさ。君の知っての通り、皆の噂話通りの人間だよ」
「うそ」
手に持った瓶をコンクリートの縁において、少し俯いて、彼は深く息を吐いた。
「うそじゃない。君が私に語る言葉にうそが混じっていないようにね」
瞬時に顔をしかめて、野原は嗚咽を漏らした。
「尾上君は、ひどい男だ」
「ああ。そうだ」
「どうあってもうそを通し尽くさせてくれないんだもの」
両手で顔を覆って、膝に突っ伏す彼女は、小さい子供がべそをかいているように頼りない。
その肩に触れそうになって、はたと自分の手を見る。
私の手は、汚れている。
まぶしい陽の光に相応しい彼女に触れることはできない。
慰めで撫でることも、肩を抱くことすら。
私では君を助けてあげられない。
幸子に触れていいのはただひとり、武幸宏だけだ。
武君、何をしている。早く帰って来い!
今日も次の日も、武は彼らの前に姿を現さなかった。
武が宿舎にしている住まいにも人がいる気配はなく、彼の消息は掴めなかった。
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