第1章

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 民族運動発祥の地である西ベンガル州の州人口は、およそ九千万人以上に及ぶという。この広大な地帯の州都コルカタは、長年に渡って植民地インドの首都であったが、一九一一年にデリーに遷都され、その座を明け渡すことになったそうだ。  北東の方角にはヒマラヤ山脈を背に、ネパールやバングラディシュとの国境線が伸びている。淡い輪郭の尾根が連なる山々から吹き降りる風は冷涼だった。  二人はタクシーの窓から外を眺める。 「あちらには郊外列車の駅が見えますね」 「ハウラー駅だな」 「後で行きましょうか。人力車もあるみたいですね」  人口にして約四百五十万人が暮らしを営むコルカタは工業都市であり、またガンジス川デルタに位置する港湾都市でもある。市内をガンジス川の支流であるフーグリ川が、蛇行しながら滔々と流れている光景は壮観だった。 「それにしても、あの人の波。さすがに世界第二位の人口を抱える国家だけありますね。インド亜大陸の面積は、西ヨーロッパがすっぽり入ってしまう大きさだといいますし。そうそう、ホテルの予約は入れていますが、依頼人との交渉が長引けば今日はキャンセルすることになるかもしれません」  雑踏を横目にしながら、凪雲が飄々と告げる。彼の話し方はおおむね平坦なので、俄かには感情が伝わり辛い。  濃紺のスーツ姿で佇む凪雲は、長身で顔の彫りが深く、一見すると白人のようでもあり、国籍不明であった。生粋の日本人なのに何故かモンゴロイドに見えない。  一方の雪也は、中肉中背の童顔で二十四歳になったばかりだ。典型的な日本人顔で、中国にいても、すぐ日本人だと看破されてしまう。 「ここには観光で来たかったなあ。バックパッカーも楽しそうだ」 「観光するならデリーあたりの方がおすすめですよ。タージ・マハルまで足を伸ばせますし」  凪雲が、隣にいる雪也を一瞥して問いかける。 「君はインドに来るのは初めてなんですか?」 「ああ。お前は来た事があるのか?」 「ええ、仕事で何度か。それに子供の頃にも旅行で来ました」  凪雲は著名な探偵なので、海外へ飛ぶことも珍しくないそうだ。前回、渡航した折にはコルカタで最高クラスのオベロイ・グランドホテルに、依頼人持ちで滞在したというから羨ましい話である。もっぱら日本国内で浮気調査や素行調査を専門にしている雪也とは、調査費用も雲泥の差なのだろう。
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