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スマホの画面に出ていた写真が、忘れようとしていた写真が、何度も何度も頭の中をよぎる。
廣瀬さんが大型公園の、人気のない道路に車を止めたのも分からずに、私はかすかにすすり泣いていた。
「僕なら、涼さんにそんな想いはさせない。絶対させない。それだけの分別もつくし、僕はもうこの年齢で、トーイと違って着実に実力でのしあがっていくしかない。同じ速度で、涼さんとともに歩んでいける」
顔を背けて唇をかんでいた私に、廣瀬さんはなんの感情も交えず、言葉にした。
熱烈な告白でもない。
けれど、私の痛いところを充分に突いていた。
ひどく説得力をもって聴こえてくるのが、信じられなかった。
「トーイはやめときなよ。アイツはもっと上に行く」
「そんなこと分かってます」
「でも、…言いたくないけど、足手まといだって。音楽業界に入ったばかりで、同じ目線で未来を見つめられる? 涼さん?」
「…そういう、関係じゃ、ないもの…」
「でも、今のトーイには、そういう関係が必要なんだよ。世界を目指すってことは」
廣瀬さんが助手席に身を乗り出して、そして。
顔を覆っていた私の手首を掴んだ。
「僕なら涼さんの速度に合わせられる。…僕にしておきなよ」
半分強引に、手首を抑えられたまま、唇が重なった。
「やめて…」
「涼さんがアイツを忘れられないなら待つよ。待つ。だから…」
冷たい唇だった。
なのに、それを私は振りほどけなかった。
さらに廣瀬さんが、私の頬を指の背でぬぐった。
いつのまにか私は声もなく泣いていた。
その涙を、廣瀬さんがすすり、そして口づける。
「お願い、やめて…」
そのままキスを受け続けてしまえば、廣瀬さんの言葉を認めてしまう気がした。
かろうじて顔を背けて拒絶の意をあらわすと、廣瀬さんが軽くため息をついた。
「僕は待つよ。いつまでも、同じ時を同じ歩みで一緒にいられるのは僕だから、待っていられる。それだけは忘れないで」
そう言うと、手首を解放して、廣瀬さんは、車のエンジンをいれた。
掴まれていた手首はひどく熱く、私は自宅に帰るまでその熱さが、胸の鼓動にまでうつらないようにと、必死に自分を支えていた。
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