新しい仕事と不穏な気配

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「ど、どうしたんです?」 「泣かせてしまったから、お詫びも兼ねて…。ごめんね」 わざわざ戻ってきたという廣瀬さんに、一瞬ドキリとする。 私は廣瀬カオルという人間が苦手だった。 あくまで仕事上のつきあいしかしないつもりでいた。 「あのさ、これ、お詫び」 そう言って、インターホンの映像の向こうで、廣瀬さんはケーキらしき箱を軽く持ち上げた。 さすがにそのまま帰すわけにもいかず、私はエントランスまで降りていった。 「気遣っていただいて、すみません」 さすがにキスされた後だけに、しかも泣いた後だけになんだか気まずい。 かといって、箱を受けとるとそのまま部屋に戻るということもできない。 立ち話になりそうな気配に、廣瀬さんは近くの公園のベンチへと誘った。 「さっきは言い過ぎた。ごめんね」 「いえ…」 「それ、青山にあるタルト専門店のなんだ。美味しいからぜひ食べてみて」 「青山…って、だって、え、いつ買ったんです?」 「さっき。ギリギリだったけど。甘いもの食べるとさ、嫌なこと忘れない?」 ドキリ、とした。 まさかわざわざ世田谷から青山に戻って買いにいったのだろうか。 「あれ、甘いものとか食べないタイプ?」 「いえ、…好きです」 紙包みからして、青山の有名ショップのものだ。 ケーキ好きの女子なら美味しいと人気のお店だった。 「よかった。ちょうど季節柄、フルーツたっぷり入ってるのにしたから、気に入ってくれると嬉しいんだけど」 にこり、と廣瀬さんが笑う。 その目は、大人の気遣いに溢れていて、私は部屋にあえていれなかったことを少し後悔し始めていた。 「まあ、トーイも若いからさ、許してあげなよ。ちょっとした間違いなんていくらでもあるしね」 どくんと鼓動がはねた。 若いから間違いをおこす? それで許せ、というのだろうか。 ふいに強ばった私の表情に、廣瀬さんは敏感に反応した。 「ごめん、事実かどうかもまだ分からないのにね。とりあえず、ケーキ食べて気持ちを落ち着かせなよね」 「すみません、お気遣いいただいて…」
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