第1章

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「ジョニーは戦場へ行った」は第一次世界大戦の戦闘で両腕両脚、眼、耳、鼻、口を失い脳と脊髄と内臓だけの身体となった青年の物語です。しかし意識だけははっきりしていて、自分の身体から視覚、聴覚、嗅覚がなくなり、腕もなく、脚も切り落とされた身体になっていることに、徐々に気づいて行きます。もう自分には触覚しかない。しかし脳は健全で、徴兵される前の恋人とのロマンティックな一夜を思い出すこともありました。自分の生きた証は一体何だったのか。兵士として生きることに彼はなんらかの意義がある、そのことを確信しておりました。誇りを胸に召集されて行ったのです。この話、実話だということをどこかで伺ったと思います。しかし、現在彼は名前すら明らかでない生きた標本として生かされているだけだったのです。  原作脚本監督はドルトン・トランボ。彼の最初で最後の監督作品です。  戦争映画ですが戦闘シーンを期待して見ると、完全に肩透かしを食います。そういう映画ではありません。  トランボはどういうつもりでこの映画を作ったのか。彼の言わんとしたことの一つに、戦争というものの非人間性があると思いますが、それだけではない。人間の命の尊厳というものへの問いかけがなされていることは確かだと思います。命ある人間を標本にするということの残酷さも描かれていますが、その描き方はデヴィッド・リンチ監督の「エレファント・マン」などより遥かに直截的。  また、この映画は安楽死の問題にも触れています。大脳の一部も失われてしまっている彼は、医局では無意識の反射運動しか起こさない生命体だと思われています。しかし一部の看護婦は彼のことが気になる。人間の心が残っている気がしてならないのです。
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