第1章

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 寝台に横たわり、両腕を頭の後ろに組んで枕とし、その身に毛布すらかけることなく、ただ、ぼんやりと窓より夜空を眺めていた。  宵の闇に支配された天空に輝くは満天の星の数々と黄金色の月。  窓より降り注ぐ神秘的な光に照らされた端正な顔。それに刻まれし表情は暗く、ある種の悲壮感にも似た色彩を帯びていた。  女の名はアリシア。この国に唯一存在する『聖騎士』の称号を持つ高位の騎士。  アリシアは、ふと室内に供えられた卓上へと視線を向けた。  そこにあるのは、質素な鞘に収められた一振りの剣。  入念な手入れや、幾回にも亘る修理が施されているものの、古ぼけた印象が拭えぬ代物。だが、剣全体より放たれる覇気にも似た気配は紛れもなき業物の証。長年に亘り、高名な武人へと受け継がれ、そして彼らに様々な輝かしき功績をもたらした古猛者であった。  その歴史は今の持ち主である女の人生よりも長く、かつては高名なる聖騎士であった彼女の祖母によって振るわれ、幾多の国難を救ったと伝えられている。  半ば伝承上の代物と化した、由緒正しき『無銘の剣』であった。  女は、まるでその不可視なる気配に魅入られたかのように、その剣をじっと見つめていた。  窓より降り注ぐ月明かりが剣の柄に反し、彼女の灰色がかった瞳に映し出される。  彼女はその光に向かい、問いかけた。 「本当に、これでよかったのか?」──と。  これは、彼女が故郷の街より旅立ってから二月余の間、毎夜の如く繰り返し続けてきた問い。  いや、『旅立って』からではない。  正確には、彼女が故郷の街より『追放』されてからの── 『追放』の原因。それは、たった一人の少女を守ったがため。  世に対する贖罪の為、周囲が求める『死』を拒み、敢えて生の道を望んだ少女──五十年前、この国を恐怖に陥れ、内乱にまで発展させた人物を祖母に持つ尼僧・セリアの意思を尊重したがため。  しかし、そんな彼女の前に立ちはだかる現実の壁は残酷なまでに厚く、その壁に抗いし者達に向けられたのは凄惨なる仕打ちであった。  国内有数の宗教都市である故郷を実質上支配している大聖堂との対立。そして、これら権力者に媚びる事しか知らぬ愚か者らからの執拗な脅嚇。  権力者のうちセリアの素姓を知る者は、おのれの政治的地位の向上の為に、かつての国賊、その血族の『死』を求めた。
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