第1章

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 赤き絨毯の敷き詰められた遥か長き廊下。そこを歩く一人の若い女がいた。  身に纏うは濃紺を基調とした長衣。言わば、下女の仕事着である。  主に命じられたのだろうか、その下女は両の手に茶器の乗せられた盆を持ち、慎重な所作で歩を進めていた。  ふと、廊下の窓から外を見遣ると、そこには眼下に広がる街の夜景が広がっていた。  燃え上がる城下の街。家々より時折炎が舞い上がると、彼女の衣装と同じ濃紺の夜空が一瞬だけ朱に染まり、やがて元の色へと戻っていった。  遥か遠くから剣戟の音と叫声が、女の耳に流れ込む。 「……」  女は窓より視線を外した。  窓の外の光景に一切の興味すら示さず、再び命じられた通りに茶を運ぶ。  まるで、あの城下の街より発せられた光景と音、そして叫声──それらが一体何を示しているのか、全くの理解をしていないかのように。  下女──王族や豪族、富豪らの身の回りの世話をする下働き。華やかな表舞台に立つ主を献身的に支える女。そう称すれば聞こえは良いのかも知れぬ。しかし、この国におけるこれらの女の大半は元々奴隷階級の人間。  即ち、金で買われて来た女である。  下女として、これらの貴族家に招かれた女は、主が大金を費やして美しく飾られ、そして教育を施しては様々な作法を徹底的に叩きこむ。  これらによって完成させられた教養のある美女を多数配下に従える事。それは即ち、奴隷階級の人間に対する救済──貴人として重視される社会貢献の度合いを示すに、最も適した『装飾物』であると言えよう。  そんな下女に叩きこまれる教育とは、貴族家に仕えるに必要な知識や教養に限定されたもの。そんな偏った教育のみを受けて来た彼女に、一般的な常識や感性など養われるはずもなかった。  そういった事情故、主の下女に対する情は少し歪であり、彼らにとってその行為とは、まるで飼い犬や飼い猫に対し、過剰に贅沢な餌を与えるといった感情に近しく、また下女本人も、そんな自分の境遇に一切の疑問を持たぬ。  惨めな奴隷生活と比べ、衣、食、住に困らぬ今の暮らしのなんたる豊かな事か。そればかりか、読み書きや計算、様々な礼儀作法などの教養を無償で享受してくれるとなれば、主に絶対の忠誠を抱くに至るのは道理である。  そんな、歪んだ利害関係によって成立していた関係であった。 「早く、陛下に茶をお届けせねば──」  故に、下女は歩く。
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