第1章

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「──確かに戦とは騎士や兵士、傭兵が主体となって行われ、民の徴用は認められてはおりません。ですが、かつての内戦の折、市民らが中心となって結成した義勇兵を表面上『傭兵』として雇い、戦闘に参加させていた事実がございます。更に当時の記録によりますと、これら義勇兵の役割は、後方からの支援や、前線に参加した騎兵の身辺の世話が主──そう明記されております」  故に、現行法でも市民の徴用は十分に可能。  その貴族は、結論づけた。 「だが、その実は違う」  再び、老人が続けた。 「当時、義勇兵が支援を行ったのは内戦の後期。騎士団が西の聖都へと攻めあがらんとする本隊に対するものであった。だが、それは『支援』とは名ばかりの──まさに地獄の中を彷徨い歩くかの如き、凄惨な旅路であった」  老人は語る。昔話を。  おのれが過去──五十余年前、義勇軍として従軍していたころの痛ましき記憶を。 「かの戦いは──現在、語り継がれているような『聖戦』とは程遠い有様だった」  西の最果ての険しい山地を重厚な装備を纏いながらの行軍。  幾重にも配置された防衛拠点における、度重なる戦闘。激闘。  疲弊していく騎士の姿。  乱れる規律。  恐怖のあまり錯乱する兵士。  陣頭を指揮する、当時の騎士団副長や直下の幹部のような猛者を除いては、かような精神状態で正気を保ち続けられる者など皆無。  荒れ狂う武人たちの怒りの矛先は、戦闘員としての練度が低く、反撃される恐れのない義勇兵へと向けられた。  夜ごとに繰り返される理不尽な私刑と暴行──そこには、この国の武勇を担う防人、誉れ高き高潔な武人としての姿など、どこにもなかった。  昔話の最後に、老人はこう締めくくった。 「これこそが戦、その本当の姿なのだ」──と。 「だが、現在はどうだ? かつての内戦をまるで無謬性に富んだ聖戦の如く伝えられており、その為に多くの痛みを負った義勇兵の存在について語られる事は皆無。結果──戦とは騎士や貴族たちが勝手に先頭に立って行うもの。自分達には一切の影響が及ばぬもの。たとえ、命や生活が脅かされんとしても、何処からともなく英雄が現れ、窮地を救ってくれるものという考えが、民衆の間に広がるようになってしまった。だからこそ、彼らは声高に叫び、戦と流血を求めるのだ──まるで遊戯に等しき感覚でな」 「だからこそ、民兵としての徴募を行えと?」
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