第1章

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 怒号飛び交う砦より然程離れてはいない──グリフォン・クラヴィス北の、同じ山の麓。  高級邸宅街に居を構える一件の邸宅。その南側に広がる庭。  眼下に広がるは、グリフォン・クラヴィスの美しい街並みとエッセル湖の輝かしい水面。  まさに絶景。庶民にとって垂涎の場所であった。  そんな、誰もが羨むこの場所、柔らかい芝生の上に堂々と横たわり、降り注ぐ暖かき陽光を浴び、両腕両脚を伸ばしては寝息を立てている一人の青年がいた。  この世の天国を、謳歌せんと言わんがばかりに。  年の頃は二十前後。少年の面影を残す黒髪の青年であった。  体つきこそ細身ではあれども、全身の筋肉は引き締まっており、その様は服の上からも十分見受けられる。  しかし、衣服の隙間より覗く肌には白く無数の傷跡が刻まれており、その境遇の不遇さを窺い知る事が出来た。  青年とは、ウェルトであった。  この邸宅はグリフォン・クラヴィスにおけるアリシアの別邸。そして同時に、アリシアの身辺警護を務める彼とセリアの詰所と生活の場を兼ねた場所でもあった。  今頃、主たるアリシアは会議の最中。公式の場に出ているがゆえ、彼女の身辺警護を務める彼もまた同行せねばならぬ筈である。  だが、普段の素行ゆえか、彼は貴人や要人の集う議会の場への出入り禁止を言い渡されており、それが今まで明確な所属を持たぬウェルトに『特別警護隊』なる新設部隊への編入を認める交換条件ともなっていた。  王家の血を引き、かつ西方勢力の頂点に立つアリシアには無論、彼女の身辺を警護する部隊というものが既に存在している。  ウェルトの属しているこの『特別警護隊』とは、名前こそ仰々しいものの隊員はウェルトとセリアの二名のみ。そして、この隊に与えられし役目など無に等しく、他部隊に対する短期間の応援や人員調整、小間使いに使われるのが精々。  そう。言わば閑職のようなものであった。  国の東西分裂が現実となりつつある今、アリシアは要人との面会や、会議への出席など多忙な毎日を過ごしているとは裏腹に、ウェルトは暇を持て余す毎日を過ごしていた。  そんな惰眠を貪るウェルトの顔に、黒い影が差す。  同時に、彼の嗅覚を刺激する、甘い香り。  この急なる変化に不審を覚えたのか、ウェルトは意識を覚醒させた。そして、この影の原因となった──目の前に立つ、腰に手を当てた黒髪の少女の姿を視認する。
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