第1章

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 アリシアと呼ばれた女は暫く黙り込み、その視線を老人の短い白髪へと向けていた。その頭の中で如何なる思考を巡らせているのか見透かそうとするかのように。 「戦とは、言わば物資の生産拠点たる市街の奪い合い。敵方の拠点を制圧するには市街そのものが戦場と化すことも多々ある。かつての戦における犠牲者の大半が、これら市街戦によって犠牲となった市民であると言われ、五十余年経った今も戦前の人口まで回復してはいないといった有様。かつての戦における決定的な失策の一つに、聖都奪還の勅命を重視する余り、民を蔑ろにしてしまった点にある」  語る彼女の表情は苦々しかった。  その凄惨なる戦の中心、騎士団を率いて聖都を奪還した者たちこそ、今や救国の英雄と称えられている二人の聖騎士──生まれたばかりのアリシアを保護し、今まで育ててくれた大恩ある人物であるがゆえに。  ──だが、これが現実。歴史上における忌憚なき評価。  このような場でいくら屁理屈を並べたところで、簡単に覆る類のものではない。  今の彼女は、西の勢力の頂点に君臨する人間なのだ。  人の道を踏み外した東の政権を打倒し、王の座につかんとしている者たるや、このような非情な評を受け入れられぬようでは務まらぬ。  だからこそ、アリシアは言葉を飲み込んだ。  恩人に対する非情な評価、今は亡き英雄に対する辛辣な指摘──それに対する、無根拠な反論の言葉を。  押し黙る王女、苦々しげに口を紡ぐ聖騎士に向かい、威風の老獪は静かに語り掛ける。 「……戦が避けられぬ以上、犠牲はやむを得ぬ。避けられぬ事でございましょう。ですが、犠牲になる者にとっては『それ』が全てなのですから。だが、現実は戦を煽る者一人ひとりが、このような事を理解し、覚悟を決めている訳ではない。それ故に武力による衝突は時期尚早であると進言致す次第」 「では、如何なる基準をもって適切であると考え、貴殿らの賛同をいただけるのか?」 「無論、声を上げている若人ども──彼らがおのれの言葉、思想や信条に命を賭すほどの覚悟を持ち始めた時よ」 「即ち?」 「簡単な事」老人は即答した。 「彼らを民兵として徴募し、奴らが二つ返事で同意する事──これが一つの基準となろう」 「馬鹿な事を言うな!」  沈黙を守り続けた強硬派の貴族が声を上げた。 「戦は凄惨であると言ったのは貴殿ではないか。そのような場所に民を巻き込む事などできぬ!」
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