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元ピアニストの拓人は、かつて神童とまで讃えられ、鍵盤の上でしなやかに舞踊るその美しい手は『神の手』と形容される程の腕前だった。
『将来、世界を股にかける才能になるだろう』と期待された拓人だったが、不幸な事故にあって片手を失い、演奏家の道はぴったりと閉ざされてしまった。
そのあまりにもあっけない天才の最期を嘆く周囲とは裏腹に、拓人の心中は非常に穏やかだった。
なぜなら『神の手』を切り落としたのは不幸な事故などではなく、拓人本人の意思だったからである。
拓人は『神の手を持つ男』と周囲から持ち上げられることに対して耐え切れない重圧を感じていた。
他人に勝手に言われるならまだいい。しかし、両親や恋人にまでそうして期待され続ける毎日は、彼にとって耐え難い苦痛だった。
それから彼は逃げ出した。悲劇のヒーローを装って。
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