第零義 僕の物語

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ギブソンさんの意図はそのような所だったろう。 だけど、必要無かった。 必要性を感じられなかった。 周囲を人間より高い身体能力を誇る魔獣の昏き者に囲まれ、仲間の援護は暫く期待出来ない。 ……………と、文章で説明すれば誰もが死を覚悟する危機的状況だ。 しかし、昏き者に囲まれたレオンさんは今から狩られる獲物には見えなかった。 それどころか、逆。 甘く芳しく、理性を捨てて思わず食い付かずにはいられない極上の餌を見せて哀れな獲物を誘き寄せ刈り取る意地の悪い捕食者。 絶好の隙を見付けた昏き者は自分を抑えられず飛び掛かり、 それが罠と気付いた時は既に遅く必殺の牙で身を引き裂かれる。 仲間の一体を犠牲にレオンさんの強さを思い知るも、 その強敵を討ち取れるかもしれない隙を見せられると強迫観念のように体が突き動かされる。 結果的に、仲間の犠牲による教訓を得ても生かせず次々と自らの死へ飛び込む。 まるで火の明かりに引き寄せられた蛾が、最後は火に近付き過ぎて焼け死んでしまうように。 数秒だった。 余りに多くの事が起きたため数分の長さに感じたが、この間心臓の鼓動は数回だけだった。 僕の心臓が狂っていない限り、それは数秒の出来事だった。 数十体の昏き者が次々と互いに競うようにレオンさんへと殺到し、 それをレオンさんが絶えず流れる流水のような全く淀みの無い動作で全て切り捨てた。 動きを止めない。 言葉にすれば簡単のように思えるが、実際にこれを実行出来る者は世界広しと言えど片手の指で数えられる程もいないだろう。 例え英雄であっても、そして人間の枠を超えて神獣や神話の悪魔のような化け物であっても。 次の行動へ移る際、一瞬にも満たない僅かな時間ではあるが動きは止まる。 だがレオンさんは止まらない。 一つの動作が次の次の次の行動の布石となり、行動と行動の合間に空白が無く全て繋がっている。 だから、速い。 僕にも目で追える程度の速さだけど、僕の目では追い切れない昏き者よりも速い。 「何ボーッとしてんだ、早く行くぞ。」 足元に転がる数十体の昏き者の死骸。 ギブソンさんが2体の昏き者を始末するよりも先にそれだけの事をやってのけたレオンさんは、 しかし誇りもせず一言足を止めていた僕達を促すだけ。
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