第零義 僕の物語

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顔も名前も知らない他人のために大切な人を犠牲にするのは有り得ないと、千や万の多数を切り捨てるのか。 それとも救われる命の数こそ尊いと、天秤の上がった方を多数のための礎とするのか。 或いは、誰も犠牲にならない第三の選択肢を愚直に探し続けるのか。 僕は。 強さを手に入れた僕は、どの選択をするのだろうか。 「豪華なランチと僕の行く末に一石を投じる貴重なお話、御馳走様でした。 僕もう戻りますね。 余り帰りが遅いとシルビアちゃんを心配させてしまいますので。」 「あぁ、彼女は…………………君を嵌めるような真似をして申し訳ないが、 シルビア・ラヴクラフトは先程婚礼の儀のためラヴォロト海岸の教会へ護送された。」 「そう、ですか……………………………………」 「怒らないのか? 卑怯な真似をして恥ずかしくないのかと。」 「そう罵りたい気持ちが全く無い………と言えば嘘になりますが、 実際問題アルシェさんがこの屋敷にいる以上僕が暴れた所で結果は変わりませんからね。」 行かなければ。 敵地のど真中で孤立無援状態の僕がどこまで出来るのかは分からないけど、 多分ほとんど何も出来ないけれど僕は行かなければならない。 僕は期間限定だけどシルビアちゃんの騎士だ。 一度騎士と名乗ったのなら、目的を果たすまで決して諦めてはいけない。 かつてアルベルト・オラクルと言う一人の騎士が、人間の限界を超えて2度祖国を守り抜いたように。 「裏に馬を用意してある。 足は速く持久力も高い良い馬だ。 使うと良い、上手くいけば先回りして準備をする時間が取れるかもしれない。」 「………………これは勘違いですかね、僕には貴女がシルビアちゃんを助けろと言っているように聞こえるんですけど。」 「私の任務はシルビア・ラヴクラフトを捕獲し、引き渡す事だけだ。 それ以上の指示は受けていない、これ以降は私の管轄外だ。」 ………………罠、だろうか。 シルビアちゃんを引き渡した本人が、シルビアちゃんを助けろと馬まで用意してくれるなんて。 虫が良すぎると言うか、どうぞ食い付いて下さいと言われているような感じだ。 僕の疑念がアルシェさんにも伝わったのだろう。 僕から視線を逸らし、紅茶のカップで口許を隠しながら言った。 「先程も言ったはずだ、私は百の命を救うためならば十の命を犠牲にすると。」
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