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「まもなくぅ、宝町ぃ宝町ぃ。お降りの際はぁ、お忘れ物にお気をつけ下さいぃ。次はぁ、宝町ぃ」
清は読んでいた恋愛小説を鞄にしまい、降りる準備をした。
宝町駅の改札を出ると、駅から線路に対して垂直に商店街が伸びている。郊外の商店街とは言え、新興住宅地が近くにできたとあって、なかなか賑わっている。更にここは県内でも最大級を誇る商店街で、遠方から車で訪れる客も絶えない。
清は宝町商店街を突き抜け、三つ目のブロックを右に入った。そこから少し行ったところに目的の家がある。その家は新築されたばかりで、周りの家に比べると際立って新しい。表札には「原田」と書いてある。原田家の1階は駐車場になっており、車が2台入るくらいのスペースがある。住居は2階と3階だ。原田は八百屋を経営しており、宝町商店街には2軒の店を構えている。ゆくゆくはそのうちの1軒を小さな食品スーパーにしたいと考えているようだ。今の時代、原田に限らず経営に携わる人間のほとんどが多角化経営を目指して、あれやこれやと策を講じているのだ。
清はインターホンを押した。
「はい」
女性の返事が返ってきた。
「あ、遅くなってしまってすみません。山根です」
「はいはい、どうぞお入りになってください」
「お邪魔します」
清は門を開け、階段を上って2階の玄関を目指した。玄関に着くと同時に扉が開いた。
「こんにちは」
「どうも。暑いところいつもありがとうございます。さ、中へどうぞ」
原田の妻がスリッパを用意してくれた。清はそれに履き替え、中に入った。
「瑞恵ちゃん、先生がいらしたわよ。ごあいさつなさい」 原田の妻が3階の自室にいる娘に声を掛けた。しかし返事は返ってこない。それでも清は特に何も思わなかった。毎度のことだからだ。この母娘の関係は、お世辞にも良好とは言えない。その原因の一つとして、二人には血のつながりがないことが、挙げられるのかもしれない。
「まったく。いつまであんな風に陰気なままでいるつもりかしら。文句があるなら言ってくれればいいんですけど、あの調子でしゃべりもしないでしょ。どうしてあげれば良いのかさっぱり分からなくって・・・」
そんなの俺に言わずに旦那に相談しろよな。最近は、清の前でも平気で娘に対する愚痴を口にするようになった。しかし、それを聞かされたところで、清はただの家庭教師だから、どうすることもできない。
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