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1995年8月、社会人になって初めての夏期休暇の初日、彼女は3年ぶり2度目のインドへ降り立った。今回は一人旅。前回学生時代に友人たちと旅した中で気に入ったジャイプール、アグラ、カジュラホを再訪する予定だ。その中でも彼女が一番気に入った場所がカジュラホ。デリーから南東へ飛行機で一時間の小さな村で、世界遺産の寺院群がある。
インドを旅して6日目、いよいよ電車とバスを乗り継いでカジュラホへと向かう。
アグラ中央駅を8時15分に出るShatabdi Express に乗るべく、切符を購入してホームへ。そこで出会ったのが日本人の大学生K君とT君。彼らも同じくカジュラホへ向かうという。二人とも大学3年生だが、2浪したT君は彼女と同い年。一人旅の彼女には心強い旅の仲間ができた。
ジャーンシーで電車を降り、3人でカジュラホ行きのバス停へ。3人でなんとか最後尾の座席に座らせてもらい、バスは一路でこぼこ道をカジュラホへ。この時既に体調を崩していたT君にとっては地獄のような道のりだったことだろう。18時頃にやっとカジュラホに到着すると、K君はすぐにT君を医者に連れて行くとオートリクシャーで走り去って行った。彼女は前回友人と泊まったホテルを訪ねたものの満室、仕方なく別のホテルへと向かったが運悪くそこも満室。ドミトリーだったら空いているとの支配人の申し出にしぶしぶ宿泊を決め、部屋に足を踏み入れた瞬間、彼女の目に飛び込んで来たのは先程バス停で別れたK君とT君。T君の体調が気になっていた彼女にとってはラッキーな偶然だった。
T君の高熱は翌朝も下がらず、朝来るはずの医者もなぜか姿を見せなかった。彼らに何もしてあげられない彼女は昼前には銀行と買い物に出掛けることにした。
何時間かして彼女がドミトリーに戻ると、二人の姿も荷物も消えていた。ホテルの支配人によると、往診に来た医者にデリーの大きな病院へ行くよう勧められ空港へ向かったとのこと。せめて二人のそばにいるべきだったと自責の念に駆られ、そこではたと日本での連絡先も未だ聞いていなかったことに彼女は気が付いた。とその時偶然、ホテルの支配人がドミトリー内の棚にホテルの宿泊台帳を置いているのが目に入った。
夜中を待ち、彼女しかいないドミトリーでこっそりと宿泊台帳を開き、K君とT君の名前を探す。住所はK君のものだけだったが、それでも連絡がつくならと、彼女はそれを自分のノートに書き写した。
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