月が輝いたら

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「心配性が危篤だわ」 カウベルを鳴らしながら、入ってきたのはこの店のバーテンの一人。ミサキだ。 一部始終を見ていたかのように、呆れ顔でカウンターに腰を掛ける。 「お前の締切のが、よっぽど危篤だろ」 「いやぁ。あっちはもうご臨終」 頭の後に手を回して、ミサキが笑って見せた。 「せっかく変わってもらったけど、今回は落とすかも……」 鈍い音を立ててカウンターに額を打ち付けた。 「大丈夫?」 着替え終わったルイに、ミサキは額をずらして、横顔を見せた。 「なるようになる。次のルイの当番までには、落ち着かせるからね!ってなわけで、なんか食べさせて。お腹すいてきたわ。本当ならビール!って言いたいけど」 「なんだ。余裕じゃん?私もつかいっぱしりにされて、お腹すいた」 「お前らなぁ。お前らは家賃の代わりにここで働いてるわけであって、間違っても俺はお前らの飯屋じゃねぇ」 言いながら、キョウは開店準備のために照明を一段階落とした。 淡い暖色に色づいた店内。窓の外は藍色を深めていく。 ちらほらと目立ち始めたビルの明かりが浮かび上がった。 「家賃以上に働いてるもんね」 さっきまで臥せっていたミサキが、冷蔵庫からチャームのテリーヌを摘み出す。 「これ……ユキが作ったでしょ。あいつの作る料理って、やたら凝ってるけど……」 その先は憚って、ミサキは一口頬張ってから、「じゃ、もうひと踏ん張りするかな」と小さく手を上げた。 東京のワンフロア貸切の激安賃貸物件。 その胡散臭さには、わけがある。 ‘深夜の無期限、無報酬アルバイト‘ このビルは、1階ずつが賃貸マンションになっていて、8階建ての最上階にあるこのバーのバーテンは、皆このビルの入居者だ。 月が金色に輝いたら。 待ってる。 さぁ。今夜も。 このひどく優しくて、甘い空間へ。
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