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それもまた正解なのかもしれないけれど、こんな無限集合においてそれが大した意義を持たないことは、周知の通りだと思う。
ここで一つの命題が発生する。あなたと僕、どちらがより先に在ったのか。どちらがより年老いているのか。
鶏が先か、卵が先か。もしくはどちらも生まれていないのか。
いやもしかしたら、僕とあなたはすでに調理されて咀嚼された後で、今こうして相対しているこの場所は、まったく別の第三者の胃袋かもしれない。そんな物語、そんなuniverseがあってもいいはずだ。
もちろん、あなたがそんな物語を望むなら、の話だけど。
これでもいまいち何の話題か掴みづらければ、虚構実在論というものを思い浮かべてもらえばそれでいい。
虚構として語られる物語は現実に存在し得るとするこの説は、今でも時折酒の肴として引き合いに出されることがあり、コアなファンも少なくない。
こんな話を知っているだろうか。
宇宙の大規模構造と、脳細胞のネットワークの構造は非常に酷似している。これはある真理の一つの傍証なのだけど、それはつまり、宇宙はヒトの頭の中にあるということだ。──ヒトの頭の中にある、とある物語だということだ。
ビッグバンとはニューロンの発火のことであり、宇宙の大規模構造とは電気信号が駆け巡った跡であり、その宇宙に属する人々はあなたの生み出した登場人物ということになる。
もちろん彼らは自分が登場人物だとは認識しておらず、いわばあなたという神に作られた存在だとは露ほども思っていない。それはそれで確かに正しく、なぜなら彼らはあなたの頭の中に実在しているし、彼らの宇宙は現実なのだ。
少なくとも、あなたが自分の生きている宇宙を現実だと認識しているくらいには。
あなたというフィクションの内側には、常に物語に満たされたインナースペースが広がっている。そこではラッセルが五分おきに生まれては消えて、また生まれる。この世界が五分前に生まれたという仮説を否定できないように、彼らの宇宙を否定することは、構造上不可能だ。
今あなたの脳=宇宙に浮かぶラッセルは、そうあるよう仕組まれたラッセルだ。あなたがラッセルよ斯くあれと物語を綴った結果を、僕は事象の地平からいつも眺めている。
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