第1章

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 明神の問いかけに、江口は無言で背後に立つ彼女を見返す。黒髪のショートヘアーが映える彼女は右手にゴム製の黒いフィンガーレスグローブを身に着けているが、それはファッションではなく彼女にとっては必需品。  佐野もそうだが、明神は江口が直々に自分の係に招き入れた、いわば“逸材”だと江口が見極めた者である。  それに、特に明神は特殊な経歴を辿って今に至っている。ただ、そんな彼女の境遇こそが遺体を前にしても顔色を変えない所以であるのだが―― 「なら、お前はどう思う」  江口が彼女の目を見てそう問いかけたとき、彼女は僅かに困ったような表情をした後に、また普段の淡々とした表情に戻る。  彼女もまた真夏だと言うのに黒色のパンツスーツを着込んでいるが汗をかいている様子もない。そんな彼女は江口を見返し、静かに呟いた。 「……私の意見ですが、葬儀には参加されたほうがいいと思います。記憶がなくても被害者が同級生であることには変わりありませんし、それに……この件の情報収集にもなるかと」 「……」  江口は明神の答えを言及することはない。彼女が口にしたことは胸の内で自分も思っていたことだからだ。 「ならもう一つ、お前に聞きたいことがある。俺が葬儀に行ったところで、記憶のない同級生に何て声を掛ければいいんだ。いや、それは葬儀の場で会う奴全員に言えることだ。俺には友達なんてものは存在しないからな」  聞いておきながら、江口は明神の答えには微塵も期待していなかった。何故ならこの質問を口にした瞬間、先ほどよりも露骨に明神が困惑の表情を浮かべたからだ。  ――このとき、江口は何故彼女がそんな表情をするのかについて、大よその見当が付いていた。 「……すみません。私には、分かりかねます」 「別にいいさ。最初からお前にその手の答えは期待してない」  自分から聞いておきながら、明神が予想通りの返答をすることを悟っていた江口はそうとだけ呟くとまた彼女に背を向けて東野が倒れている場所をじっと見下ろしている。  ――心の中で江口は思う。  どんなことですら、助言が出来るということは経験があるということ。 つまりこの状況で明神は返答に詰まり、何も言えなくなるということは彼女もまた自分と同じであるということの表れだった。
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