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小説のなかの男の子は、実はプロの作家でもあって。
彼が女の子のことを知ったのは、むかし彼女が送ってくれたファンレターがきっかけで。
「私は夕月先生の正体を知ってるけど、向こうにしてみれば私のことなんて知ってるわけない、って思いこんでたんだけどさ!」
でも、そうじゃない。
夕月先生の作品を初めて読んでベタ惚れした私は、先生にファンレターを出したんだった。
宛名はペンネームだけど、もちろん差出人である私の名前は本名だ。
ということは、夕月先生は、クラスメイトの私が、自分の作品のファンであることを知っていたとしても、おかしくないことになる。
そして、この小説は、つまり、そういうことなのだろう。
そういうこと、なのだろう!
「すごいよマユちゃん! これ、ものすごいよ!」
「すごいよね!? これ、ものすごいよね!?」
あまりに夢のようなできごとすぎて、自分の頬をつねってみたくなる。
でも、夢と現実の区別ができないのは夢のなかだけの話で。
これはまぎれもなく、嬉しすぎて狂おしいほどに、現実だった。
――トントン。
その証拠に、現実はたしかな質量をもって扉を叩く。
「あれ? 誰だろ、こんな空き教室にくるなんて」
ドアを開けに行くチアキ。
けれど私には、扉の向こうにいるのが誰なのか、もうわかっている。
「はーい。……ってあれ、あゆむ、くん?」
あの小説のクライマックス。夕月先生の精緻な文体から紡がれるラストシーン。
作中作を書き終えた男の子は、自分の足で、女の子のいる部屋へと向かう。
文字に記した気持ちよりも、みずからの口で直接想いを伝えるために。
「とつぜんお邪魔してしまってすみません。今日は、大事な話があってきました」
井上夕月先生。いや、小野歩くん。
1年生か、ややもすると中学生にも見えるくらい小柄な男の子。
両手をぎゅっと握りしめ、その小さな身体はかすかに震えている。
「あなたのことが、ずっと前から好きでした」
顔を真っ赤にして、恥じらいながら。
それでも、自分の気持ちからは逃げたくないと、懸命に。
その言葉を、紡ぐ。
「ぼくと付きあってください、一之瀬千秋さん!」
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