第一章「遺された心」二話「マトリの九一」

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「本当に旦那は、そんな訳アリの女を呼び込むのが天性だからねェ」 「招かれざる客さ」  カラカラと笑う魯文さんに、店主様は憮然と答えました。  昨日の女の人を調べるのに、この魯文さんを九一堂に呼んだ席でのことです。 「ところで、いつの間にやら新入りさんがいるじゃないか?」 「野狐のシロです」  海坊主のようにぬらりとした魯文さんが訊いたので、僕は店主様の陰から答えました。 「そうかいそうかい、なんともカワイイのお。儂は猫が好きだが、狐も負けず劣らず愛らしいねェ」 「よ、よろしくお願いします」  アオネさんと違った迫力があり、僕は尻尾を隠しながら及び腰で返事をしました。 この魯文さんは「ぬらりひょん」という名で、人間に紛れて暮らす妖怪だと聞いています。 人間界での名前が、仮名垣 魯文(かながき ろぶん)です。 明治五年に、戸籍の氏名を簡単に変更できなくなる布告があった際に、そのドサクサに紛れて多くの妖怪が人間の姓をもって人間界に入り込んだと聞きます。 この魯文さんも、その妖怪の一人です。 「魯文さんは戯作(げさく)本作家なんですか?」  この魯文さんは人間界に紛れて久しく、戯作本を書いている有名な妖怪だそうです。  でも、僕は本を読んだことがないので、その戯作本がどのようなモノか知りませんでした。 「戯作本とは、洒落本、滑稽本、黄表紙と呼ばれる読み物で、平たく言えば世の中の出来事を面白おかしく書いたユーモア小説ですよ」
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