第一章「遺された心」二話「マトリの九一」

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「銭金のためなら、思想や体裁なんざ二の次さ。武士だ矜持だと、すがりついているヤツは莫迦(バカ)なんだよ」  店主様が辛辣な言葉で罵りました。  僕は気の毒に思って、こっそりとレオンさんを覗きました。 「大丈夫ですよ。あのようなことを言っていますが、九一殿の本心ではありませんから」  レオンさんが柔らかく微笑みました。 「けッ、俺の本心さ。いずれにせよ、世良には裏があるように思えるな」 「世良は解りましたが、昨日の襲撃者はいったい誰なのでしょうか?」  レオンさんが疑問を呈しました。 「そいつァまだ、儂の探偵が足りなくて、皆目見当がついておりません」  魯文さんがポリポリと坊主頭を掻きました。  そのとき── 「昨日の凶行は、世良の用心棒の仕業です」  ふいに女の人の声が湧いたのです。 「待っていたぜ」  店主様が振り向きもせずに言いました。  戸口には昨日と同じく、紅緋色の着物を着た女の人が佇んでいました。昨日と違うのは、今日は拳銃を構えていないことです。 「用心棒は立見 甚七(たつみ じんしち)。そして元京都見廻組の世良が、わたしの良人の仇です」 「ご新造さんの名は?」 「わたしの名はお龍(りょう)、土佐脱藩浪人だった坂本龍馬の妻です」  女の人が静かに言いました。
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