第三章「心託されて」一話「遺言の隊士」

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「……胸、無えじゃねえか」 「その胸じゃなくてラムネよ。見たことないクセに」 「お前以外のを見飽きてんだよ」 「やっ、それで次にあたしのを狙っているんでしょう!?」 「俺はそんなゲテモノ趣味じゃねえよ」 「このアマノジャクめ。コロッケとラムネを口に突っ込んでやる!」 「やめろ! いかにも胸やけしそうな組み合わせじゃねえか」 「そうなんだよ。だから売れないのかねェ?」 「その味覚オンチを直さないと、一生売れ残るぜお前」  まるで、痴話喧嘩のようです。  そのとき、騒がしい口争いの声が聞こえてきました。 「おいこら、怪しい奴め!」 「俺は怪しい者じゃない。いいから離しやがれッ!」  どうやら、見回りの巡邏査察(じゅんらささつ)に捕まった者がいるようです。  巡邏査察とは、幕末に活躍した新撰組(しんせんぐみ)や新徴組(しんちょうぐみ)のように、東京府の治安を取り締まる官憲のお巡りさんです。 「官憲がヒゲをひねって威張るもんだから、泣く子とナマズには勝てないもんさ」  アオネさんが鼻持ちならぬ者を見るように言いました。  官憲の士族たちは、庶民を威圧するように立派なヒゲを生やすものだから「ナマズ」と揶揄され、下っぱの官史になると「ドジョウ」と陰口を叩かれていたのです。
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