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「ありがとうございます」
店主様は慇懃に頭を下げましたが、その下げた口から舌が出ているのを僕は見逃しませんでした。
巡査が去る背中に、「おととい来やがれっ」と毒づくアオネさんを尻目に、店主様は青年を見ました。
その眼差しはまるで懐かしいものを見るようで、瞳に穏やかな色が差していました。きっと勝ち気な青年に、過去の自分を見ているのかもしれません。
「礼を言っとくぜ、おっさん」
青年が唇を尖らせて言いました。
「おっさんとは失礼だな。一回りも違わないと思うが」
「に、兄さん……ありがとう……」
今度は頬を染めました。どうやら、複雑な性分のようです。
「良いってことよ。今度から官憲には気をつけるんだな」
そう捨て台詞を残して店主様が去ろうとすると、
「おい、そこのキツネ!」
と青年が怒鳴りました。
「そこのキツネ、ちょっと待て!」なおも怒鳴ります。
「ぼ、僕が見えているのですか……?」
僕は恐るおそる尋ねました。
「見えてるから話しているんだ。お前、九一堂って知らないか?」
「九一堂は俺の店だ。それを尋ねるお前さんの名は?」
店主様が振り向いて訊くと、青年は眼を輝かせて名乗りました。
「俺は市村 鉄之助(いちむら てつのすけ)。元新撰組副長、土方歳三附属の隊士だ」
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