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あかぎれた手指に健康的に引き締まった体躯。髪はボサボサで、あまり身なりに気を使わない方らしい。
「えっと……」
「ああ、すいません。須藤研究室ってここ?」
「そうですが。教授と面会ですか。アポイントの方は……」
「あ、いえ。あいつなら四六時中いつでもここにいるって聞いたから」
「あいつ……?」
「神楽坂愛里。いない?」
「えっ」
こうして、突然嵐のように訪れた来訪者が研究室の平穏を壊していく。
ああ、嫌な予感がする、と颯太は内心頭を抱えた。目の前の男はおよそ愛里と知り合いとは思えない。だが、どうやら彼は愛里のこと知っており、そして彼女の生活パターンまで把握しているようだ。一筋縄ではいかない不幸が身に降りかかる予感がした。
お茶室から愛里が顔を出した。そして、次の瞬間、彼女の目が大きく見開かれる。
「圭太……」
「愛里!」
カランとフォークが落ちた音がした。
見れば、お茶室から顔を出す愛里のただでさえ白い顔が蒼白になっていた。
「圭太? 愛里?!」
ああ、やっぱり。これは最大級の事件だ。
突然やってきた圭太という男はさも親しげに愛里のことを下の名前で呼び捨てにしている。愛里も同様だ。
「ちょっと待てよ……圭太って」
「さっき神楽坂さんが言ってた名前だね。許嫁(いいなずけ)だっけ?」
いつの間にか颯太の隣に来ていた笹島が興味深げに圭太の全身を眺めている。
「違います!」
落としたフォークを手に持って突き刺す勢いで愛里が叫んだ。
「そんな頭ごなしに否定することないだろう。昔からずっと一緒だったんだ。風呂だって一緒に入ったことあるくらいなんだから」
「これ以上お口を開かれるならば、ご逝去あそばしていただければ幸甚に存じます」
「神楽坂さん、口調と言ってる内容が不協和音奏でてる」
互いの名前を呼び捨てにしているだけでも衝撃的だったのに親密どころの騒ぎではなかった。
「風、呂……」
「ちょっと勘違いしないでください! 昔ですよ?! 就学前! 自意識の芽生える前のことですって!」
「ダメだよ神楽坂さん。福豊くんもう半分気絶してる」
口から魂が抜けてしまったかのようにぼうっとする颯太にオロオロする愛里。それを見てあっはっはと笑う圭太。笹島は髭を揉みながら、まるで彼らが実験対象であるかのように興味深げに眺めていた。
こほん、と愛里が咳払いをした。
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