第1章

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 まるで言っている意味が分からない。あたかも喜劇を見ているような錯覚に陥ってしまう。 「おばあちゃんの孫ですよ。それ見なさい。滅多に帰ってこえへんからおばあちゃん、あんたのことすっかり忘れてしもてるやないの。」 「いや、それは別の問題やろ。それより大丈夫なんか?あんな調子で、一人で外出させて。」  よたよたとリビングへ向かう祖母の姿を見ながら、母に尋ねた。 「大丈夫、この辺りはお年寄りが多くなってきて交通事故が増えてきたんや。せやから町の至る所で、ボランティアの監視員が交代で立ってはるんや。」 「ふうん、そんなに増えたんだ、お年寄り。おばあちゃん、ただいま。僕だよ。」  テレビに映る時代劇俳優に熱心に愛の告白をしている祖母の側に近寄り、私は改めて挨拶を試みた。 「ああ、・・・」 「僕のこと、思い出した?」 「あんたは今流行りの、ほれ年寄りを騙す・・・」 「オレオレ詐欺じゃありませんから。」 「残念っ。もぉん、・・・もごもご・・・」  祖母は数年前に流行した芸人のギャグを知っていたのだろうか。そして奇妙な咳払いをしたかと思うと、意味もなく口をモゴモゴさせながら黙ってしまった。私に間違いを指摘されて、どうやらふてくされているようだ。 「おばあちゃん、都合悪くなるとすぐこれなんよ。」  ・・・・・・・・。私はしばらく祖母の様子を眺めていた。 「そういやお前さん、音楽家になる言うて家飛び出して、今何してるんかと思えば、・・・・・・・・そう言えば何してるんや?」  祖母は何かを思い出しそうになったらしいが、どうやら途中で力尽きてしまったらしい。認知症の老人の思考回路は凡人には計り知れない。 「今は本を書いてるんだ。ほら前にも送ったでしょ。」 「おばあちゃん、これですよ。」  横から母が、私の書いた小説「ツベルクリンはかく語りき」を祖母に手渡した。それを見た祖母は突然「ヒョヘェーッ」と悲鳴を上げた。私は何事かと思い、驚きのあまり勢い余って椅子から滑り落ちてしまった。 「ど、どうしたの、おばあちゃん。」 「あんた、あんたの息子はなんぞ悪いことでもしなすったか?な、名前が違う。名前を変えんといかんほどの悪さをしよったんかい。あたしゃもう情けのうて情けのうて・・・。あんたの育て方に問題があるとあたしゃずっと思てたんや。」  祖母がものすごい剣幕で母に詰め寄った。 「いや。だから、これはペンネームで・・・」
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