第1章

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 今はあのかわいらしかった目も奥二重で細く、どちらかと言うと鋭い目つきに変わってしまった。黙っていると何を考えているのか母親の比奈子ですら予想できない時がある。夫に似てきたのかもしれない。  私鉄に30分ほど揺られて、薫が学校に着くのはだいたい8時過ぎだと言う。実際に同伴登校したことは数えるほどしかなく、それもまだ薫が小学校に入学したての頃だったから、本当のところは家を出てからどれほど時間がかかるのかは憶えていない。保護者面談も年に2回ほどで、それも午後からなので比奈子は車で学校に訪れていたのだ。  それにしても薫の生活は大変だ。平日は6時間目の授業を終えると私鉄を乗り継ぎ、吉祥寺の進学塾で更に3時間授業を受けて夜9時に帰宅する。だから比奈子は毎朝薫に晩ご飯用のお弁当を持たせて送り出す。普通で考えれば朝作ったお弁当が腐ることなく夕方まで持つはずがないのだが、薫の通う小学校は都内有数の進学校なので生徒の9割以上が放課後塾に通っており、数年前このような状況を踏まえた上で、保護者から各教室にお弁当用の冷蔵庫の設置を要望され、その年の間に実現した。  このことは教育熱心な教師からすれば随分な屈辱だったことだろう。しかし一人でも多くの卒業生が有名中学校に進学してくれればそれだけでこの小学校の知名度も上がるので、経営者側としては広告の延長線のようなものだと割り切ったのだろう。おかげで生徒達は母の冷めた手料理を毎日口にできることになった。大人になってから、思い出の母の手料理を尋ねられるとお弁当を思い浮かべるのだろうか。  土曜日は午前に学校で授業を受け、午後から塾に通い、夜の8時に帰宅する。だから土曜日はお弁当を昼用と夜用の2個用意することになる。  休みの土曜日や日曜日は午前中塾で自習し、午後から授業を受ける。午前中は自習室の取り合いになるらしく、9時入室開始にも関わらず生徒達は8時前から自習室の席の確保を求めて並び始めると言う。当然並んでいる間も参考書から目を離すことはないのだろう。  世間の大人社会は週休二日が当たり前のご時世、小学生や受験生からは休みの概念はすっかり取り除かれてしまっているようだ。
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