第1章

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「そんなに焦る必要もないだろう。みんなそうやって下積みを経験してきているんだから。それにそういう下積みを経験せずに偉くなっても、その立場のありがたさや固執する気持ちが経験した人に比べて遥かに弱いから壁にぶち当たったときは脆いものだよ。」 「そういうものでしょうか。エリートの方は始めから終わりまでエリートなのかと・・・。」 「馬鹿言っちゃあいけない。僕だって今は営業本部長をしているけど入社してから3年くらいは失敗の連続でよく上司に叱られたよ。今は倒産してなくなってしまった小さなある問屋から1ケース36本入っているビタミン剤の注文が来たんだ。今みたいにパソコンでのやり取りなんてなかった時代だからね、手書きでFAX注文を受ける時代だったんだ。そこには汚い字で注文数を「1C」って書いてあってね、僕は喜んだねえ、売上げの苦しい時期だったからこれでなんとかノルマ達成の見込みがたつってね。それで僕は1カートンのビタミン剤の出荷指示を出したんだ。ところがいざ出荷してみると、問屋から電話が来るわけだ。「こんなにビタミン剤ばっかり送ってきやがってどうしてくれるんだ。一体どこに目をつけてやがる」って具合にね。よくよく話を聞いてみると相手は1ケースしか頼んでいないのに1カートンも納品されてきたって言うんだ。1カートンって言うと12ケース入ってるんだ。36本×12ケースがその問屋に行ってしまったんだ。普通1ケースなら「1」しか書いてこないはずが「C」なんて単位つけるからカートンだと思い込んでしまったんだな。本来カートン発注なら「C/T」って書くんだ。どう考えても僕の確認ミスだったんだけど、若気のいたりでつい僕はこう言ったんだ。「そちらが紛らわしい注文書送ってくるから間違えたんだよ」ってね。そりゃもう部長だけでなく取締役まで出てきて謝りに謝ってなんとか事態は収拾したよ。ただ後で取締役直々にこっぴどく説教食らったのは言うまでもないがね。」  いつの間にか比奈子は進の話の虜になっていた。おかしくていつの間にか声を出して笑っていた。 「やっと笑ったね。」 「えっ。」 「いつも微笑んではくれるけど、事務所で今みたいに無防備に笑ってるところ見たこと無かったなあと思ってね。」 「それは木内本部長の話があまりにもおかしくて・・・。」
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