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翌年春、復帰初戦の大阪杯を完勝し、メジロマックイーンとの対決で話題となった天皇賞・春ではレース中に骨折して5着に終わった。休養後、1番人気で迎えた天皇賞・秋では向正面で珍しく引っ掛かりいいところなく7着に惨敗。しかし、彼は勝ち方を忘れてはいなかった。5番人気となったジャパンカッブで海外の強豪馬を抑えて快勝した。だが、好調は続かず1番人気となった有馬記念では出遅れもあり11着に終わってしまった。
体調悪化と調教中のアクシデントが重なり3度目の休養は思いがけない程長いものとなり、結局、復帰は1年後の有馬記念となった。
1年の休み明けに加え、菊花賞馬ビワハヤヒデやジャパンカッブ勝馬レガシーワールドなど8頭のGⅠ馬が顔を揃えたのである。強い事はわかっていても買えない馬。テイオーは4番人気でしかなかった。
レースでは、逃げるメジロパーマーを2番手追走のビワハヤヒデが直線で交わし、突き放しにかかる。誰もがビワハヤヒデの勝利を確信した時、ケタ違いの脚で飛んできた馬が1頭だけいた。テイオーだった。
終わってみれば、強い馬が強い勝ち方をしただけのレースだった。1年前の屈辱から見事に復活した彼の走りに留処なく涙が溢れてきた。
陣営は現役続行を発表したが調子が上がらず春を待たずに引退が決定した。
骨折さえなければ父を超えていたかもしれない。並外れた競走能力が災いし、骨折がそれを阻んだのなら、なんとも残念で仕方がない。GⅠ4勝、勝鞍では父には及ばなかったが、見せたパフォーマンスでは決して引けをとらなかったはずである。
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