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逃げ馬。ホワイトフォンテン、カブラヤオー、メジロパーマー、サイレンススズカetc…。錚々たるメンバーの名が浮かぶ。しかし、GⅠ勝ちもないのにこれだけファンに愛され続けた馬も珍しい。H3年からH7年まで中央競馬中距離重賞の名物として、逃げ脚を披露し、地方でH8年まで走り続けた。彼の走りはたとえ惨敗しても4角手前までは観衆のすべてを魅了し、興奮させてくれた。
そんな彼の初重賞は3歳時、福島のラジオたんぱ賞である。1000m58秒9のハイラップを刻みながらの逃げ切り。ただ、この時は離して逃げたわけではなく、『粘りある逃げ馬』程度の評価しかされなかった。
次走セントライト記念、1番人気はダービー2着レオダーバン、ツインターボは3番人気だった。このレースは馬連導入によって姿を消した『単枠指定制度』が適用された最後のレースでもあった。栄えある最後の単枠指定馬はレオダーバンである。ゲートが開くと、ツインターボはハイラップを刻み、向正面では5、6馬身離して逃げる。ここで、観衆が沸いた。1000m通過は59秒2と前走とあまり変わらなかったが、明らかに他馬は5、6番手を進むレオダーバンをマークしている感じで前を追わない。後から考えれば、これが彼のパターンだった。しかし、3角辺りで1頭だけ彼を捕まえにいく馬がいた。増沢騎乗のストロングカイザーだ。前走で彼にやられているベテラン騎手はレオダーバンを待たずに仕掛けたのである。粘るツインターボをゴール直前クビだけ捕らえた。ツインターボもレオダーバンの急追をクビ差抑えて2着と頑張った。
その後の彼は菊花賞を諦めて福島記念<2着>を使い、有馬記念に向かった。この頃から2ヵ月に一度ぐらいしか使えない疲れが取れない体質になってしまったのである。有馬記念では、大逃げを披露したが鼻出血を発症し、3角過ぎで後退しブービーの14着。しかし、従来のレコードを1秒1上回った。これは紛れもなく彼が作ったハイペースが原因であった。
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