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4歳時は1戦だけだったが、5歳時は、彼の真価を発揮する1年となる。相変わらず2ヵ月毎の出走で、1月金杯6着、3月中山記念6着、5月新潟大賞典8着と使われた後、七夕賞に出走する。
七夕賞当日は35℃を超える気温だった。そこへ福島競馬場レコードとなる大観衆が詰め掛け、スタンド前は身動きできないほどで、売り上げもレコードとなる62億円超が七夕賞に投じられた。そんな熱気の中、テン乗りの中舘騎手と彼は好スタートを切り痛快な逃げを見せる。600m33秒9、1000m57秒4。こんなペースでは追いかけた馬は潰される。後続との差は開いていき、向正面では10馬身ほどのリード。ひしめき合う大観衆が声にならない歓声をあげる。ややリードは縮まったが4角でも差は5馬身。もう勝負はついていた。先行馬はすべてバテ、捲って出たアイルトンシンボリが2番手にあがるが、彼は上がり3ハロン37秒7でまとめ逃げ切った。1分59秒5、2着には4馬身差つけていた。
ツインターボは次走オールカマーでも2番手を50m以上離す大逃げを見せたが、この時は1000mは59秒5。明らかに、後続がハイペースだと思い込んで意識して押さえたための大差だった。彼の脚がすべての騎手の時間を破壊した結果である。2着ハシルショウグンに5馬身差をつけ完勝。
このレースを見た人は誰もが彼の出世を確信していただろう。しかし、このレースをピークにツインターボの調子は戻ってこなかった。その後9戦してすべて6着以下。上山移籍後も初戦以外は惨敗を繰り返し13戦1勝で引退した。
彼にとって唯一の救いは宮城県ではあったが種牡馬入りできたこと。今と違い輸入種牡馬全盛の中で彼の性能に惚れた人達がいたというのはなんとも喜ばしいことである。
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