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落ち着きなく蝉の音が響く、蒸し暑い夏。
都内で有名な水野総合病院の三階にある個室。
俺ーー石川 響は学校が終って早々に、五日前に肝炎で入院した母さんの見舞いに来ていた。
「母さん調子はどう?」
ベッドの傍にある椅子に腰掛けながら声を掛けると、横になった状態で母さんが微笑む。
「かなりいいわ。これも貴方と、桜さんのお父様のおかげね」
ありがとうと言われ、笑顔で返す。
母さんの言う桜とは、俺の彼女のことだ。俺には勿体ないくらいの美人で、頭も良い。優しい性格から周囲に愛されていて、自慢みたいだが完璧な彼女だ。水野総合病院の院長の愛娘でもある。
桜の父さんはすっごくいい人で、一番の働き手の父さんがいないためゆとりのない俺たちのことを気遣い、今回の母さんの入院や治療に関わる費用などすべて肩代わりしてくれた。
その上、母さんがゆっくり過ごしやすいようにと個室を用意してくれたのだ。どうしてそこまでしてくれるのか分からないが、感謝してもしきれない。
「入院が決まったときにはどうしようと思ったけど……桜さんのお父さんのおかげでお金の心配はなくなったし、幸せすぎて時々私がいるのは天国じゃないかって誤解してしまいそうになるわ」
「……母さん。冗談でも天国なんてやめてくれ。倒れてた母さんを見つけたときのショックまだ消えてないんだから」
咎めると母さんはすぐ謝ってくる。
母さんの言葉が理解できないわけでもないが、冗談でも天国とか、死に関係する言葉を使わないでほしい。
倒れていた母さんを発見した時のショックは大きく、失うかもしれないという押さえようのない不安は今でも忘れられない。
俺が物心つく前に父さんが亡くなって以来、水商売にまで身を染めて俺をここまで育ててくれた母さんなのだ。他人が聞けば大げさに思えるかもしれないが、俺の命を引き返にしても失いたくなどない。
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