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「山田って何番なんだろうね」
「四番って中村? やっぱり中田翔?」
「先発は大谷かな、マエケンかな」
そんな会話が飛び交う今日の職場。こいつら終業後は間違いなく焼鳥屋だな。少し浮かれ気分のオッサン達が盛り上がっているのを横目チラリと見ながら素早くキーを叩く。
4番は中村おかわり君だよ。山田は3番だよ。うっそ、知らねーの?
いやあ、それにしても各球団のスター選手が揃ったよなあプレミア12、贅沢なチームだなあ……って本当は話に加わりたいけど『俺も楽しみなんだよ野球』ってのにプライドがある俺は敢えてオッサンらの談話に交わらなかった。多分自己防衛ってヤツなんだろう。だって今日の野球は観れないもん。
ラストのキーを渾身の指先で叩き、コピー機の上の壁をチラ見した。よしっ、時間に間に合った!
すぐさま立ち上がり散らかしまくった机の上を片付けにかかる。右手で引き出しの中にファイルを入れ、左手で飲みかけの缶コーヒーを急な角度を付けて胃袋へと流し込んだ。
誰が観ても明らかに急いでいるって感じのバタバタ。それに気付いた向かいのデスクのオッサンが疲れの溜まりまくった重たい目を向けた。
「やけに張り切って急いでるやないの」
「ははっ。今日は彼女とスポーツ観戦の予定があるんで」
「なんだ? 一緒に野球を観るのか?」
「いいえ」
他にスポーツってなんだ? と首を傾げた上司に豪速球で仕上げた書類を突き出した。
「フィギュアスケート観戦です」
ぶはっ、お前が? 本気か? どはははは! と笑いを吐き出したオッサンにニコリと微笑み、小さく片手を上げて背を向けた。
俺の彼女はどちらかと言うと静かな分類に入る人間だ。
ワガママを言わず愚痴も言わず、いつもニコニコ笑っている。なんだか宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』の冒頭部分みたいだけど真面目にこんな感じ。料理上手だし掃除も出来る。公園でクローバーの群生を見つけたら四つ葉探しに没頭するくらい素朴で優しい女だ。そんなか細い空気を醸し出す彼女にお前LOVEな俺。
野球が見れない理由はズバリ彼女が裏番組のフィギュアスケートを見たがっているから。
久々のスケート。
年に数回しかない試合。
同じ時間に野球があってもここは彼女に譲るのは当たり前だろ当然ってやつ。彼女の趣味に文句を付けて野球見せろなんて器がちっちぇー事を言っちゃいけない。
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