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 壁に背中を預けて、ズルズルと腰を落とす。グルグルと、醜い感情が真浩の中で渦巻いていた。これは、嫉妬。千歳に恋人が居る事が嫌だと思った。知らない誰かが千歳に触れている事実を考えたくもなかった。きっと、あの時……千歳と恋人の真似事をしてしまったからいけないのだ。慣れない事をしてしまったから。気持ちが順応しきれていないのだろう。  ぼんやりと床を見つめているうちに、どんどん視界が白ばんで行く。瞬きをしても、視界はぼやけたままで。それは視界だけでなく、真浩の頭の中をも白く塗りつぶして行った。もう、何も考えたくは無かったのだ。 「……ろ。……真浩」  どれくらいの時間が経ったのだろうか。誰かに呼ばれた気がして、ゆっくりと顔を上げた。焦点が定まらない視界の中、闇に染められた明るい髪が揺れていて。 「……ひろ、と?」 「大丈夫ですか?」  ぱちぱち、と頬をはたかれた。目の前にしゃがみ込んだ浩登は、心配そうに眉を下げて顔を覗き込んで来ている。 「探しましたよ。まだ家に帰って居ないと言うし、ホテルにも居ないし……」 「……ごめん。浩登、塾は?」 「終わりました。寝ぼけているのですか? 今、何時だと思っているんです?」 「もう……夜、か」  言われてみれば、部屋の中は真っ暗で。窓の外には月が浮かんでいた。 「やっぱり、今日の真浩は変です。何かあったんでしょう?」  ぱち、と頬を掌で挟まれ、無理やり上を向かされた。真っすぐに此方を見つめる瞳は、とても優しくて。じわりと目頭が熱くなった。――浩登ならば、この胸の中の鉛も、モヤモヤと渦巻く気持ちの悪い感情も、全て消し去ってくれるのではないか。真浩はそう思ったから。 「……浩登」 「なんですか?」 「キス、……して」 「どうしたんですか? 急に」 「したいけん」  分かりました、と浩登は小さく息をついた。  やんわりとした感触が、一瞬だけ唇に触れる。 「これで良いです、かっ……ちょ、真浩……んっ」  ――足りない、と思った。あの時の千歳とのキスを上書きするには。こんな小さな刺激では足りない、と。真浩は衝動的に浩登の首に腕を絡め、噛みつくように唇を含んでいた。
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