『明け方の眠り姫』

25/33
前へ
/37ページ
次へ
 一月の終わり。長年一人でやってきたギャラリーを閉めて晴れて自由の身となった私は、久しぶりに長期の休暇を取ってフランスへやってきた。  フランスへは、これまでも絵の買い付けでたびたび訪れている。仕事にかこつけて、留学中の和史をパリまで訪ねたこともある。彼との思い出が残る場所だ。  今回は長い滞在になる予定だったのでホテルは取らず、父の代から付き合いのある画家のジェーンに頼み、彼女が所有するメニルモンタンにあるアパルトマンの一室を借りていた。 「ナツキ、出かけるの?」  部屋のドアに鍵をかけていると、隣室のセルジュが話しかけて来た。映画監督を目指しているという彼は、『赤い風船』という映画に憧れていて、映画の舞台となったこの土地に住むのが子供の頃からの夢だったらしい。地元の人間にしかわからない数々の穴場に私を案内し、メニルモンタンの素晴らしさを教えてくれたのは彼、セルジュだ。 「うん、美術館巡り」 「今日もかい? 相変わらず熱心だね。……でも、根を詰めてはいけないよ。そうだ、帰ったらみんなでシャルロットのカフェに行こうよ。一杯おごるよ」  そう言って、私の目の下を軽く撫で、ウインクを投げる。メイクで念入りに隠したつもりでも、眠れない夜の証が浮き出ているのだろう。今夜は一人にならずにすんだことに、私はそっと胸を撫でおろす。  最初にシャルロットのバーに行った夜に、セルジュには私の職業を教えていた。その仕事を休んで、この街に来た理由も。 「外はまだ雪が残っているよ。寒いから気を付けて、ナツキ」 「ありがとうセルジュ。それじゃ、また夜に」  仕事に向かうという彼に別れを告げ、私は一人、パリの街へと繰り出した。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

627人が本棚に入れています
本棚に追加