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「ねえ、そんなにあの画家がいいの?」
「はっ? あの画家って」
「そんっなにあいつのことが好きだった? 好きだった画廊の仕事も辞めちゃうくらい苦しかったの?」
「ちょっ、ちょっと待って……! っていうか、画廊は辞めたわけじゃないわよ!?」
少しずつ顧客も増え、今までの店舗では手狭になってきたこと、新しい店舗に移る前に長い休暇を取って、絵の買い付けも兼ねてフランスに来たことを告げてもまだ混乱しているのか、要くんは驚きで目を見開いたままぼそぼそと呟いた。
「……嘘でしょ、だってマスターが……僕てっきり」
どうやら要くんの勘違いの原因は『flower parc』のマスターらしい。日本を出る前にあの店を訪れ、綾ちゃんたちにはきちんと説明してきたつもりだったのに。なぜ要くんには間違って伝わってしまったのだろう?
「それに、和史のことなんてもう忘れてたわよ」
「嘘、……じゃあデッサン旅行に誘われた画家は?」
「ジェーンのこと? 子どもさんの手が離れたからって確かに誘われたけど、まだ行くとも決めてないし……」
ジェーンが考えていた旅行先は、イギリスの湖水地方だ。要くんの残像に囚われていた私は、フランスを離れまた違う国へ旅立つ気になかなかなれず、ジェーンからのせっかくの申し出もしばらく保留していた。
「……ジェーン」
「うん?」
ジェーンの名前を耳にした途端、要くんはなぜか顔を赤くした。
「要くんまさか、ジェーンのこと、男の人だと思ってたの?」
それには答えず、子どものように拗ねた表情を見せる要くんに、ついくすくすと笑みが零れる。
寒さのせいか、それとも原因は別にあるのか、要くんの前で笑い転げながら鼻先がつんと痛んだ。
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