恋文

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   母親の提案だったらしい。自分の卵子から産まれるのだから、卵子。らんこである。  父親はそれに断固反対したが、その妻は愛していたであろう夫と別れてでもその名前を譲らなかった。  中学一年生までは特に気にした事が無かった、と瀬戸雨は言っていた。むしろ自分の事を「らんちゃん」という一人称で呼んでいたくらいだと言う。  だが、保健の教科書でその言葉を見付けてからは一人称を「わたし」と改めた。教師は瀬戸雨の事を考えてか、授業ではその辺りはなあなあにしてくれた。その時から将来の夢は改名、だったらしい。  そこへこの私が転校してきたのである。壁谷塀郎。ヘローと読む。変な名前の奴が来たと学校内で評判になり、二つ年下である所の瀬戸雨はすぐに私に接触してきたのである。  「ねぇねぇ。ヘロー先輩」  「止めろ!その名で呼ぶんじゃない」  「え~どうして?名前見た瞬間に挨拶出来るなんて良いと思いますよ~」  「うるさいっ。僕は気にいらない」  「わたしよりはマシですけどね…」  瀬戸雨はこの時妙に声を落としてそう言った。図々しい女だ。と思ったが、何か事情があるのか、と訝り、訊いた。  「お前は何という名前だ?」  「瀬戸雨…卵子です…」  「卵子…。そうか…」  「あははっ。変な名前の先輩が来たっていうから揶揄いに来ました。また来ます」  そう言って彼女は去ったが、帰路が同じ事もあり、度々私に絡んできた。  その結果、私にハムレットというあだ名が付いた。  ふ。そう、当時の私は自分の名に辟易して暴食して肥満していた。そんな私は片道2㎞の道程で休んでいる所を見た彼女は「ハムがレストしている」と表現して、ハムレスト。それと悲劇の主人公と併せてハムレットとなったのである。  正直、このあだ名は嬉しかった。シェイクスピアのハムレットは当時読んだ事は無かったが、知ってはいた。  どうしようも無く肥満していた自分が少しは格好良く思えた。  それからは瀬戸雨の影響(彼女はその頃から美人の片鱗があった故の影響力か?)により、周りからもハムレットと呼ばれるようになった。  瀬戸雨から自分にもあだ名を付けて欲しい。と催促されたが、私にはそういうセンスが欠落していたのか、彼女が気に入るあだ名を付ける事が出来なかったのであった。  
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