二星 『ゴリラの家政婦と』

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 家事だけなら、より高額な報酬を支払って新しく人間の家政婦を雇えば済むかもしれないが、懐いたゴリラがいなくなった玲の喪失感の穴埋めにはならない、と考えた安藤は園長の失踪とゴリラは無関係だと自分自身の正義を説得した。  玲には、園長は引越しをしたのでゴリラは譲ってもらうことにしたとだけ伝えて、急ごしらえで安藤は庭にゴリラの寝床のためのプレハブ小屋を作った。その後園長からも警察からも連絡はない。  一人先に家を出て車庫から車を出しているとその前を近所に住む高橋という、この春一人息子が大学を出たばかりの小太りな主婦が通りかかった。車の中の人影に反応して車の方を向いてしまった高橋の視線と、通行人が行くのを確認するために止まった安藤の視線がぶつかる。気まずそうな顔で会釈する高橋に安藤は気がついていない振りをした。  原因は妻にあり安藤に非はないにも関わらず、離婚してから町の住人達の安藤を見る目が変わった。ゴリラを家政婦として雇うようになってからは、安藤が視線を合わせて会釈をしてもたびたび無視されるようになっていた。  高橋は何かに気づき安藤の後方に焦点を合わせたが、何事もなかったようにすぐに前へ向きなおって行ってしまった。安藤が高橋の視線の先を眺めると玲がゴリラの手を引いて玄関から出てくるところだった。寝間着から綿のズボンとスウェットのパーカーへ着替えた玲が、子供特有のアニミズムを発揮してゴリラに何か話しかけていたが、車の中にいる安藤の耳までは届かなかった。玲の話に耳を傾け優しげな眼をしたゴリラも玲も、一瞥して立ち去った高橋の存在には全く気づいてないようだった。  車を走らせた時間に比例して窓から見える緑が増えると、ゴリラの眼が輝き出した。  ハイキングコースの入り口に立つと、水平に広がる緑の全貌は眼に収められない。森の奥に見える山は低く平らだが、こちらに迫り出しているようで、見るものに圧迫感を与える。  安藤の家や近所の公園でのゴリラは家政婦という身分をわきまえて、安藤と小さな主人には従順で、自ら二人を主導することなどなかった。だから、いつになく軽い足取りで一人森の方へ導かれるようにして進んでいくゴリラに安藤と玲は驚き顔を見合わせた。 「うふふ、嬉しそうだね」 「お父さんたちも置いていかれないようについて行こう」
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