二星 『ゴリラの家政婦と』

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 安藤と玲を従えて歩くゴリラは彼らがこれまで見てきた中で最もたくましかった。小走りで玲と安藤は空気を割れる寸前まで充填した皮のボールのような身体のゴリラに追いつくと 「待ってよー。わたしが先に行くんだから」  玲がゴリラの前に回りこみ腰に手を当てて言った。ゴリラは一瞬躊躇したような表情を浮かべたが、すぐに普段の優しい表情を浮かべ了解したようだった。  道こそなだらかに均されているが、辺りは見渡す限り樹木が覆うように茂り、入り口で姿を見せていた山は葉の天井に隠されてしまい森の中からは見えない。葉の間から覗く空は相変わらずの鼠色だった。五月だというのに冷たく湿った空気が森中を満たし、自分の吐く息が暖かく感じられるほど肌寒かったが、しばらく歩くと身体はすぐに暖かくなり、澄んだ涼しい空気は心地よくなっていた。  玲は花や変わった形の樹、鳥や虫などを見つけてじっくりと眺めるために頻繁に足を止めた。その度に形状や性質、名前を安藤に尋ねるのだが、安藤には興味がなく知らない事ばかりでまともに答えられた質問はほとんどなかった。いちいち立ち止まるのが億劫だった安藤も、娘のこれまで見せたことのなかった旺盛な好奇心と豊かな感受性を誇らしく思った。それだけでハイキングが意義深いものになったと確信し全身に活力が漲ってくるのを感じていた。 「こんなに楽しいんだったらもっと早くに来ておくべきだったね。天気が良ければ文句のつけようがなかったのにね」 「見たことのないお花が沢山咲いてる。すごいね、こんなところがあったんだね」  玲の言っている意味がわからないまま安藤は言葉を継いだ。 「図鑑を買って樹や花を勉強して来たらもっと楽しいだろうね。お父さんも一緒に勉強するよ」 「うん。でも、お花も好きだけど、ここには他のゴリラはいないのかな。ゴリラはもともと森に住んでたんでしょう?」 「森は森だけど、こことは違う森に住んでるんじゃないかな」 「その森ってどんな森なの」  そう聞かれてここでも安藤は答えに詰まってしまった。アフリカの森に住んでいたと聞いたがアフリカの森とこの森の何が違うのか良くわからなかった。 「ウッホッホッッゥホッッゥゥ」  ゴリラが突然鳴いた。 「どうしたのよ突然」  そう言って玲は立ち止まりゴリラに抱きついた。 「あなたの話してたのわかるの?」  足を止めたゴリラは動かなかった。
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