第1章

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◇ ◇ ◇ 週末の青山は晴れていた。 ところどころ雲がぽかりと浮いている。夏を先取りしたようだ。 慎は咳をした。一度ではなく二度三度と続いた。咳が続くとろくな事がない、朝から幸先が良くない。 彼は、時折前触れもなく発作のように身体の具合が悪くなることがある。お前は肺を病んでいたのだと告げられているようできまりが悪くなる。身体がどうにも動かなくなるので一両日か、長くなると数日以上休むのが常だった。 訪問予定日に不調が重なってしまった。約束を変更できるもならしたい、でも、振り替えるにしても先方へ連絡が付かない。後になってわかったことだが、相手宅には電話が引かれていなかった。 電報を打つのも手だが、日程を組み直すのも面倒だ、長居はしないし、行ってすぐ帰れば良かろう。 スレ光りを起こしたズボンや底がすり減った下駄という普段着は訪問には適さない。一張羅の背広に帽子を合わせた。 身体に馴染まない服はよそ行きだと周りに告げて回るようで気恥ずかしいし窮屈だ。人目が気になる。有り難いことに列車の中は閑散としていた。四人がけの座席を一人で占拠して慎はミント菓子を一粒かじった。 国分寺や立川ぐらいならまだしも、奥多摩はさすがに自宅からは遠い。あらかじめ予想をしていた時間よりかかってしまい、到着した時は約束の時間を過ぎていた。 駅前で乗り込んだタクシーの運転手に住所を伝えた。 「庄司さんとこのお客さんですか。たしか大学の先生でしたな」運転手は気軽に話しかけてくる。 「知っているのか」慎は受けて答えた。
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