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月命日はちょうどお盆で、仏壇に小さな握り飯を供えたところで、そういえば今日は空襲警報が一度も鳴らなかったことに気が付いた。
電灯を消した暗い家の中に、開け放した縁側から、夜虫の鳴き声と共に十五夜の青白い月明りが照らしこむ。
芽衣子は仏壇に背を向けると、縁側に座って夜空を見上げた。
今夜はあの甲高い焼夷弾の投下音も、空を焦がす赤黒い焔も無い。
先月の空襲では隣村まで被害が及び、灰になってしまった。
幸い彼の家族は皆無事だったけれども、自宅は焼けてしまい、残ったのはわずかな家財道具と先祖の位牌くらいのもので、彼の私物もほとんど残らなかった。
そのわずかに残った私物から、芽衣子は一冊の本を貰った。夏目漱石の小説だった。
――兄は、きっとあなたに持っていてほしいと思っていますから。
そう言って、彼の妹・未来は煤焦げた表紙の本を渡してくれた。そのときの彼女の寂しそうな微笑みは、きっといつまでも忘れられないだろうと芽衣子は思った。
不意に、夜空を渡るエンジン音の低い唸り声が聞こえて、芽衣子は咄嗟に腰を浮かせた。
しかしエンジン音はすぐに遠ざかっていき、空襲警報が鳴ることも無かった。
芽衣子は安堵の溜息をつき、再び縁側に腰を下ろした。
飛行機の音は苦手だった。今の時世、好きな人は誰もいないだろう。
そんな今の様子を彼が見たらどう思うだろう、と芽衣子は思った。彼は飛行機が好きだった。
幼い頃に二人で近くの飛行場へ行ったとき、空を舞う銀翼に、彼はいつまでも目を輝かせていた。
芽衣子は、きらきらと輝く十字の影が天空高く昇っていくのを見て、
――蜻蛉みたいだね。
と言ったら、彼はムッとした顔になって、
――違うよ、荒鷲だよ。
と言った。
芽衣子は、蜻蛉みたいで可愛いね、というつもりで言ったのに、それを否定されたのが面白くなくて、
――荒鷲なんて可愛くない。
と言い返して、それで喧嘩になって、それからお互い意地になって三日間は口をきかなかった。
喧嘩一日目はずっと腹を立てていたが、二日目には不安になって、三日目には悲しくなって何とか仲直りの口実を探していた。
だけど、外に出かけたときに偶然、彼と出くわした時に彼の方から「ごめん」と謝ってくれて、
それで芽衣子もすぐに「私もごめんね」と謝ることができた。
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