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そんな風に、何かを言い出すのはいつも彼の方からだった。
特に、大事な話は必ず彼からだった。
普段は頼りなさそうで優しさだけが取り柄のような男なのに、その実、誰よりも人の気持ちに敏感で、物事を深く真剣に考えていて、
そして心に強い芯を持って決めたことを最後までやり遂げる男だった。
――飛行士に志願することに決めたよ」
今年の春、彼からそう告げられた時、その言葉が既に過去形だったことが、芽衣子には辛かった。
このころもう既に、飛び立った飛行士のほとんどは帰ってこなかった。
彼が旅立つ前日、春の宵道を、二人並んで歩いた。空には薄雲がひかれ月を朧に霞ませていた。
幼い頃は芽衣子の方が背は高かった。足も速くて、いつも彼の先を歩いていた。息を切らせて着いてくる彼の手を取って、引っ張りながら走ったこともあった。
年頃になると、彼の背は一気に伸びた。足も速くなって、芽衣子の方が息を切らせるようになった。彼に手を取られて、その大きさと暖かさに戸惑った。
朧月の下で、二人は手を繋ぎ、歩いていた。言葉は無かった。ただ、お互いの手の温もりだけを感じあっていた。
大事なことはいつだって彼から言ってくれたのに、その日、彼は何も言ってくれなかった。
これが最期になるかもしれないのに、
あの日、彼が言った言葉は、ただ一言、
――今宵も月が綺麗だね」
夜空を見上げて呟いたその言葉どおり、朧月は幻想的な淡さで浮いていて、それはあまりにも美しすぎて、
だから芽衣子は、その言葉の本当の意味を捉えることができなかった。
もしもあの日、月なんか出ていなければ、それでも彼は月が綺麗と告げてくれたなら、死んでもいいわと言えたのに・・・
「ねぇ、海斗・・・」
芽衣子は縁側から十五夜の月を見上げた。
「・・・今宵も月が綺麗だよ」
あの夜、気づくことができなかった彼の想いへ、届かぬ返事と知りながら、芽衣子はその言霊を口にした。
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