秘宝伝説を追い求めて~オリヴェッティの奉げる詩~第1幕

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≪深き母性愛は大雪の中で悪魔をも動かして、二つの愛は繋がり奇跡を呼ぶ≫ この連日に降り続いている大雪に、一番困っているのは商業区の店だった。 街中に隙間無く立てられた建築物は、雪の重みに耐えられるが、雪を降ろす場所は通りでしかなく。 通りに雪が降り積もり過ぎたり。 屋根上で凍ってしまうと、天窓などが開かず天日干しなどの作業が出来なくなる。 然も、屋根が斜めに成っている平屋の様な小さい店では、雪に埋没してしまう可能性も。 雇われた冒険者達の一団は、住居区に役人と向かって雪降ろし作業をするが。 大部分の冒険者達は、商業区に回された。 オリヴェッティにべったり甘えるリュリュは、此処でも暴走しようとしてオリヴェッティに手を焼かせた。 若い女性の冒険者に言い寄るし、雪を魔法でブッ飛ばそうとする。 だが、いざ作業に入るとリュリュは別格。 店の屋根に上るのは、裏から風の力で飛び上がるし。 スコップで雪を掬う処か、風で吹き飛ばそうとする。 スコップを使わせても、ビハインツの3倍の馬力とスピード作業して、石の天井にスコップを突き刺す失態のおまけ付き。 「うぬぬ・・、負けられん」 気合いを吐いたビハインツは、馬車馬の様にリュリュと雪降ろしを競い。 夕方にはヘロヘロにへばってしまった。 それでも、汗を掻いたオリヴェッティやルヴィアに纏わり付くリュリュは、流石は神竜の子供だけあって元気過ぎる。 「ねぇ~ねぇ~、オリヴェッティのおね~さん。 今夜も、何処かに食べにいこ~」 甘え付かれ、その美しい美少年の面持ちで強請られると、どうしてかオリヴェッティも弱い。 「今夜もですか? 一度、船に帰らないと…」 「イイじゃん、オヤドに寝泊りしなきゃいいんでしょ?」 「う~ん、そうだけれども」 オリヴェッティは、Kにビハインツとルヴィアの加盟を言いたくて、困った。 4日は停泊すると決まっているので、もう一日は宿に泊まれる。 だが、長くKを1人にしておくのも悪いと思える。 然も、宿屋に泊まる事については、オリヴェッティにはもう一つの不安が在る。 今朝、リュリュがオリヴェッティのベットに潜り込んで居た。 その上、自分の身体に抱き付き、胸に甘えていたのである。  驚くのは当然だが、リュリュは知能が発達した幼児と同じ。 母親の元を離れている今は、母性を感じられる親しい誰かに甘えたがるのも当然。 オリヴェッティがリュリュの甘えを受け入れてしまった心情には、そのリュリュの実情を知る故の女性的な甘やかしが有り。 更に、航海中に見たあの記憶の石の中身の影響も、隠れて有るだろうか。 赤ん坊に弄られる様に、リュリュが寝ながら自分の胸に甘えてるのが驚きでも、何故か嫌では無い。 また、リュリュの傍に居ると自然魔法を扱うオリヴェッティは、自然の風のエネルギーそのものに抱かれている感覚を覚え、何とも心地良いのだ。 下手をすると、癖に成りそうな安心感と同じ快感が有る。 愛した異性と共に抱き合い、全てが許されて心穏やかに眠れるのと似ていると云えようか。 そんな訳でオリヴェッティは、自分が手遅れになる前にリュリュをKに預けたいのである。 (はぁ。 でも、この目に弱いわ…。 私って、年下好みなのかしら) オリヴェッティは、自分を見上げるリュリュの純粋な目が怖かった。        ★ オリヴェッティが今夜をどう過ごすか悩む時、既に船からKが消えていた。 後から気付いたブライアンとウィンツは、港を離れる前だからKも街でのんびりするのだろう、と思って気にしなかった。 一方。 逆に、夜の入りに飲食店で飲み食いしたオリヴェッティ達。 一緒に働いた別の駆け出しチームも誘い、ワイワイガヤガヤと楽しい時間を過ごしていた。 今宵に誘ったのは、いずれも23歳から17歳と云う若い者達だけのチームだ。 6人と云う人数と、バランスの取れた戦力の面々で。 “ディオス・ペノラード”(どこまでも突っ走れ)と云う古い演劇の題名をそのままチーム名にした彼等。 女性と男性半々の彼等は、リーダーを若き男性魔法遣いのシェローナゥが務めている。 灰色の髪を短くした上に、フードをしてバンダナを巻くシェローナゥ。 ニキビがまだ残る顔は、純粋な印象の村人の様。 だが、元気で活き活きとした喋りは明快で、雪掻きを一緒にして気が合った。 他に、自然魔法を扱う女性も居て。 背が低く、引っ込み思案な少女・・と思わせるのが、ロロ・カルカッテ。 大剣を扱う太った戦士のニッチョフ。 手先が器用で盗賊の様な技能を持ち、学者で剣士も扱える細身の女性クロナ。 “夜のしじまのエリス”と云う珍しい神を崇める若者で、口の軽い僧侶のザボッセ。 剣士で、一風変わった“剣殺し”(ソードキラー)と云う剣を佩く年長者の女性ライラック。 聞けばこの6人、それぞれが放り出された面々だと云う。 金の取り分に厳しいチームや、リーダーの強引な方針に従えなかったり。 人生の流転から元盗賊と云う生い立ちがあり、その噂を聞いたリーダーが嫌って出された者。 他に、一時のみの、頭数揃えにチームに入っていたなど。 初めてチームを組めるのは、自然魔法を扱うロロだけだとか。 リュリュは、ロロやクロナに興味を示して、ズケズケと質問を繰り返す。 一方で、ルヴィアとオリヴェッティと云う中々の美女二人に、口の軽いザボッセや、シェローナゥは話を投げかけた。 ニッチョフ、ビハインツ、ライラックは、互いに戦士や剣士と云う立場から会話を重ねた。 大雪と云う影響以外、然したる話題も無い中で。 他愛ない内容から、旅先の事など様々な話が飛び交う訳だが。 さて…。 合わさった10人の会話が一つの話題に集中する。 それは、ルヴィアのこの話か ら。 「そう云えば、此処に居ないが。 他にケイと云う仲間が居るのだが。 何でも、風のポリア殿と面識が在るとか」 他人の事情の事だからか、オリヴェッティが乗り気も少なめに。 「マスターさんが言ってましたね」 「ん。 だがそもそも、2年近く前にどうして風のポリア殿は、突然に有名に成り出したのだろうか?」 ロロ以外の面々は、このホーチト王国に長く居る3人を中心に、幾度かモンスターとの戦いも経験した者達だった。 それなりにも冒険者事情に通じた面々の様で、その当時の事を知っていた。 先ず。 シェローナゥが、カリカリに焼いた魚の中骨を手にしながら。 「俺がこの街に来た時、“風のポリア”なんて異名は無かった。 ポリアと、その仲間のマルヴェリータの二人が有名なのは、絶世の美女二人が揃ってるって噂されるだけ。 正直、殆ど仕事も回して貰えない屯組みだったんだぜ」 フラストマド側から渡って来たロロは、影の薄い村娘みたいな素朴さで。 女らしさの薄い、物静かなままの様子から。 「そうなんですか。 私が学院を卒業する頃には、“風のポリア”様のお名前は聞きましたよ。 今年の初めぐらいでしたか」 でっぷりとした身体をのニッチョフが。 「確かに、シェローナゥの云う通りダス。 2年前。 ポリアどんは、此処から北に在る或る町で行方不明に成った若い娘を探す仕事を引き受けたッス。 そいでもって、丁度その時に町へ出て来たモンスターを退治したんダス。 町の森の奥には、ふる~いお城が在ってぇ。 其処に、とんでもねぇ~モンスターが巣食ってたど。 そのモンスターを排除したのは、ポリアどん達のチームに加わっていた包帯を顔に巻いた男だどか。 名前はぁ~・・あ~~、わかんねぇダス」 この話を聴いたルヴィアとオリヴェッティは、見合って頷き合い。 「ケイ殿だな…」 「恐らくは、確かかと」 ニッチョフの後に話を繋いだのは、僧侶のザボッセで。 「だぇけんどさぁ~、その後はおでれぇ~たよなぁ~。 今、斡旋所の手伝いしてるグランディスのリーダーのサーウェルスと、結婚した僧侶のオリビア達が“魔の森マニュエル”に行ったまんまになってさぁ~。 その救出の為にって合同チームを作った上に。 ポリアのチームと、ゲイラーのチームと、後・・えぇ誰だっけ? 魔想魔法を遣ってたクソ生意気な野郎のぉ~・・・、あ。 そうそう、フェレックだ。 あの三チームで、助けに行ったんだよ」 シェローナゥが、補足とばかりに。 「そのチームのリーダーだったのが、包帯を顔に巻いた男だった。 助けて戻った時には居なかったし、居ないヤツの噂は流せない。 然も、ポリア達も、他の誰もが当時の事を話そうとしないから、良く解らない事だらけだがさ。 北の町で最強ランクのゴーストモンスターを倒し。 あの魔の森やモンスターの巣窟と成ってる山にポリア達を連れて行って、また死人を一人として出さないで戻したって事を考えると……」 ライラックは、ビールを一気に呷ってから。 「…ん、相当の凄腕だな」 クロナは、其の頃は人を殺めずに身包みを奪う追い剥ぎをしていた頃だった。 だから、良くは知らないと云った顔で。 「そうなのか?」 と、ライラックに問う。 焼いたジャガイモの薄切りを手に摘むライラックは。 「私は、ホーチト王国に来る前は、クルスラーゲに居たんだ。 向こうでは、ポリア殿が有名に成り始めた頃にな。 別の若者で、ステュアートと云う若者がリーダーとなるチームの“コスモラファイア”が、突然に有名に成り始めようとしていた。 何をしたかは良く解らないが、交易運河の流れる都市で、秘密裏に行方不明と成った兵士達の行き先を突き止め。 北方の山間に開いた洞窟の奥深く、地中に湧いたカエルのモンスターの群れを一掃したと……」 シェローナゥは、その話を知らず。 「え゛っ?! マジで?」 「あぁ。 その事件から、王都での国家転覆未遂事件。 その事件に付随した、20年も昔の女性の自殺事件も、彼らが解決したとか…。 そして、ステュアートのチーム内で、彼に助力をしていたと噂されるのが、その包帯を顔に巻いた男らしい。 黒尽くめながら、相当に強いと・・な」 ニッチョフも、その話は知らず。 「ほへぇ~。 んだば、その包帯を顔に巻いたってダンナは、凄い冒険者なんだな~」 ライラックは、色男に似た女の顔を真面目にし。 「話に、その包帯を顔に巻いた男は、クルスラーゲの大臣や騎士とも通じていたとか…。 一体どんな人物なのか、話をしてみたいものだな」 オリヴェッティは、ルヴィアに。 (ケイさんは、面倒とかイヤそうなタイプですから、話すのは止めた方が良さそうですね) (多分・・そうだな。 だが、噂だけでも凄い人物だな。 ま、幽霊船を一撃の下に沈めたあの力を見れば、全てが納得も出来る) ビハインツは、リュリュが何も云わないので。 (リュリュ、何か云わないのか?) すると、喋りたそうでウズウズした様子のリュリュだが、顔は何処か脅えていて。 (ケイしゃんに、余計な事云うなって脅されちゃったのぉ~) (なるほど、それは怖いなぁ…) ビハインツは、その話を聞いて尻の穴が引き締まる思いがする。 断崖絶壁を崖っぷちから見下ろした時の恐怖心に近いものが…。 Kの話が長くなると面倒が出て来そうなので、オリヴェッティはそこで線引きしようと。 「なるほど、本当に凄い方なんですのね…。 一時とも、チームに入って頂けただけでも嬉しい限りですわ」 こう言ってから直ぐ。 「所で、皆さんは、ずぅ~っと北の大陸にいらっしゃったのですか? 我々は、東の大陸に移動する途中なんです」 と、話題を変えようとした。 だが、ザボッセは、 「なぁ、その包帯を巻いた男に会えないかな。 俺、当時の話を聞いてみたい」 これには、シェローナゥやライラックも同意を示す。 オリヴェッティは、軽はずみに聞いたと困った。 代わる様に、ルヴィアが。 「余計な話をせず、寝てばかり居る。 恐らく、此処の皆で押し掛けても迷惑とするだけだろう。 何せ、我々も深い話は何一つ聞けぬのだ。 本人が嫌がっている以上、会わせる手段が無い」 すると、ちょっとキツイ印象の長い赤髪をしたクロナが。 「嫌がる相手に、知らぬ我々がズケズケと会いに行くのも無礼なんじゃないか? 大体、デカい事件には、おいそれと他人に云えない裏事情もあるだろう? 聞いたって、教えてくれないんじゃないかい」 その一言に、皆が黙った。      ★ 夜も更けて、灯りが疎らに灯るマルタンの街中。 深々と雪が降る中で、顔を露にしたライナが何故か一人で歩いている。 真新しい青のマントを羽織り。 首元には、ハイネック襟をする黄色い衣服が見えている。 「………」 何処へ向かうのか、少し俯き加減でどこか虚ろな目の運び。 一体、Kと何処に消えていたのだろうか。 白い息をたなびかせ、もう夜も遅いと云うのに店に入る素振りも無いライナは、金髪の頭に雪を乗せ。 人通りの少ない、寂れた方へと歩き続ける。 そんな様子の彼女が、大衆的な宿と酒場の融合した店の脇に曲がった。 そして、その彼女の姿を、大衆向けの大きな酒場の先、飲み屋の店先に置かれた樽の陰で見ている人物が見つけた。 (見つけたっ。 あの女(アマ)ぁ、やっぱり男を捜してうろついてやがったかっ!) そう思うのは、色黒で垢染みた肌の顔をした男だ。 この人物も、ライナを探して聞きまわる男の仲間だろうか…。 マントに身を包んで、装備は良く解らないが。 腰脇に突き出るのは、剣の類の柄。 冒険者…、若しくは身を崩した何者かと見受けれる。 さて、この男は何故か直ぐにライナを追わず。 その樽の置かれた酒場の裏に回った。 店脇の勝手口を開き、カウンター前に立つ目つきの悪い主人に。 「探したぞ。 尻尾を掴むから、所々で繋ぎを頼む」 「………」 酒場の主人は、何も言わずに頷いた。 ライナを見つけた男は、急いでライナの後を追いかけた。 雪の降る街中だが、古いホーチト王国の首都であるマルタンにも、闇の一面がある。 住宅や市民の生活圏となる区域と、商業区の狭間。 過去の大地震で陥没した一帯は、狭いながらに放置されている。 此処は、浮浪者や盗賊などの住処になっている場所で、地元の住民でも近寄らない。 時々、移住してきた移民が紛れ込んだり、死体が出たりと不審な雰囲気が渦巻いていた。 街中を縫う様に歩き、都度都度の角で後方を確かめるライナは、この場所に向かっていた。 (うひひ、あの辺に隠れてたのか。 全くをもって好都合だぜぇっ) 尾行する男は、ライナがどんどんと人気の少ない方へ向かうのに、自分に有利な方向に向かうので無意識にほくそ笑んだ。 曲がる角の雪を踏み、そこに火薬の様な黒い粉を少量撒く男。 この粉は、微かに異臭を放つ上に、不凍の一面を持つ。 尾行をする時に、盗賊などが目印に遣う。 繁華街の賑わいが、やや遠くの喧騒に変わるまでに離れた頃。 日中だけ人の溢れる卸店や、貿易商などの事務所が多い所まで来ると、もう建物から漏れる明かりすら少なく。 人の息づく気配すら無い。 ライナは、灯りすら持たずに静々と、雪の敷き詰まった道を行く。 新雪が降り積もるので、キュ・キュとその踏み進む足音が微かに起きた。 彼女を尾行をする男は、物陰からライナを見張りながら。 (あぁっ 今に襲っちまおうか! あ、イヤ、一応は金で頼まれてるからなぁ、順番は守らないとヤベぇかな。 んん…だが、流石はあのジョンソンのダンナが見初めた女だ。 イイ面してからによあ~。 あぁっ!! 早く捕まえてぇ~ゼっ) 貪欲な男の野性を滾らせるこの男は、ライナを甚振る事しか頭に浮かばなくなって来ていた。 ライナを見つけたら、存分に楽しんで殺すと云う前提の約束を交わしている。 金で雇われた中、その建前で順番を守る必要が在るのだが。 雪の中を歩くライナの顔を見て、男は欲望を掻き立てられてしまっていた。 そして、またライナを尾行しようと物陰から出ようとした男の肩に、何かが乗った。 「っ?!!」 不意を突かれた様な驚きを覚え、パッと振り返った男の目の前には、影の様な大男が居て。 (気付かれちゃいないな?) と、小声で声を掛けられる。 尾行してた男は、雇い主の一人の声と判断し。 (ダンナ…、脅かさないでくだせぇ) (フフ、すまん) ライナを尾行していた男は、ライナの曲がった門の方を顎で示し。 (向こうに。 このまま行けば、ブレイク・サーズ《壊れた一角》の所に行きやすゼ) マントにフードをした大男は頷くと。 (そうか。 なら、先に追え。 俺は、他の二人と合流して追う) (了解) (殺す事を条件に、最後はお前にあの女をくれてやる。 人に気付かれず追い詰められる場所までは、悟られずに尾行しろよ) (解ってますよ、任せてくだせぇ) 男は、暗い中で卑しい笑みを浮かべて云い。 ライナの後を追って、通りへと出た。 その後、尾行をする男の姿を見た大男は、 (精々頑張れ。 お前の楽しむ時間は、俺達が十分に味わってやるからよ) と、不気味に微笑んだ。 さて。 一方のライナは顔を少し強張らせながら、灯りの消えた建物の間を歩いていた。 この先に、通りの右側には暗黒街に近い崩壊した区画が有る。 地盤沈下して、崩れた家や転がった建物などがそのままに。 時々、大声で喚き上がる野蛮な声がしたりする。 10日ほど前にも、此処で死体が出た。 ライナは、Kとこの区域の中で待ち合わせをした。 (嗚呼、神よ。 私には、私にはぁ………) ライナの気持ちを必死に奮い立たせているのは、たった一つの希望だ。 その希望だけは、決して失いたくはなかった。 だから、Kの言い成りに行動していたのである。 ライナの右側、続いた建物の並びが突然に途切れた。 深い闇の淵が広がり、遠く向こうまで真っ暗に見える。 その闇の一角に沿う道端は、人がどう頑張っても這い上がれそうに無い斜面となっている。 (嗚呼・・、神よ。 私と娘を御守り下さい) その崩れた通りの一部に、なだらかな斜面で暗部の街へと降りる道が出来ていた。 ライナは、何度も神に祈りを捧げ。 そして、その斜面に足を踏み入れたのである。 雪で滑る斜面を、瓦礫の破片で作られた手摺を頼りに下り、なんとか壊れ掛かったレンガ通りに来れた。 其処で。 (後ろを振り返るな。 尾行してるヤツが、降りようとしてる…) ライナの耳に、Kの声だけがする。 (本当に、この人っ?) ライナは、自分を狙う相手を誘き出す為に、自分自身でエサに成れと云ったKが、自分を陰ながら見守っていたのを悟った。 Kの話は続き。 (そのまま、壊れた下水道沿いの道を行け。 左右二股に分かれる所の手前に、階段を降りて行ける壊れた神殿が在るから。 其処に入れ。 なぁ~に、心配するな。 もう、此処の暗黒街を仕切る頭には、俺が面通しをした。 アンタを襲うのは、付狙う奴等だけさ) ライナは、こんな街の暗部と繋がる者共の頭と顔見知りであるKが、只の冒険者とは思っていない。 然も、もう自分を襲わない様に手を回したと…。 (私は、一人じゃないっ) 守らなければ成らない者が居る。 ライナは、心を強く持った。 どんなに体が疲れていても、まだ動ける。 死ぬまで、諦めきれない。 ライナを其処まで支えるのは、自分の産んだ赤ん坊の存在だ。 前へ歩き出すライナ。 そのライナを見ながら、こっそりと斜面を下る男。 Kの張ったワナに、暗躍していた悪党達が誘い込まれていた…。        ★ 僧侶のライナは子供を人質に取られ。 そして、脅されるままにジョンソンの愛妾に成った。 ライナがこの街に来たのは、子供を産んでから1ヶ月過ぎた頃の10日前。 宿に夫のユリアンと子供のマリーを連れて泊まった。 その夜、食事へ出掛けた帰りに、悪漢に襲われた。 夫と引き離され子供を奪われたライナは、死か、ジョンソンの愛妾と成るかを唐突に迫られたのである。 僧侶である以上、その精神は清くと教えられる。 神に許され魔法の加護を得た者にとって、この理不尽な選択を迫られ、赤子を守る為にと妾の道を選んだライナの今の心は、もうボロボロだ。 それでも、母親としての母性や精神が、辛うじてそれを支えていたのである。 Kは、港でライナの胸元と見て、ジョンソンの横暴で染み出た母乳の痕跡を見つけたのだ。 そして、自分のした事で、何かが起こったと読んだ。 Kの知人で、街中で飲食店を営む夫婦の下に行ったライナは、全てをKに話した。 聞いたKは、只一言。 「解った」 と、だけ。 それからKは、ライナに何を詮索する訳でもなく。 赤子を助けるべく、ライナを付狙う輩を誘い出そうと云った。 実は、ライナ自身も逃避行中の身だった。 夫のユリアンは、何故か追っ手に追われる身分で。 知らずに冒険者として一緒のチームに属したライナは、40絡みの渋い紳士的なユリアンに惹かれて、恋人となり身篭った。 子供を産む為に、何処かで“根降ろし”として、生活を続けようと話し合った二人。 だが、その居場所を探す旅中で、こんな事態に成ってしまった訳だ。 ジョンソンは、母親に成ったばかりのライナを責め嬲り、乳を搾り出す事でサディスティックな欲望を満たしていた。 ライナは、何度赤子に与える乳を搾るなと嫌がったか…。 自分に起こった理不尽より、今は逢えなくなった赤子が心配なライナ。 ジョンソンが生きて居た時は、毎夜授乳の時だけ逢えていた。 だが、Kがジョンソンを殺した夜から、全く逢えていない。 泣きながらでも我が子にお乳を与える時間だけが、ライナの心の拠り所であるのに…。 あのジョンソンが殺された深夜。 ジョンソンの遺体を見て呆然としていたライナは、急に誰かが入って来た気配に身を隠した。 大きい棚の開き戸の中にである。 入って来たのは、用心棒に雇われていた冒険者風体の3人である。 何時もなら、其処に黒いローブをスッポリ被った女性らしき者が居て。 ライナは、束の間の母親としての働きが出来る。 所が、入って来たのは3人だけの様で。 “おいっ、ダンナが死んでるぞっ” “クソっ、あの女も居ないっ” “もう契約まで行きそうな時に、ダンナも居ないで。 然も、あのガキの母親を生かしておいたらヤバいぜ?” “どうするよ、ラムド?” ラムドとは、ジョンソンの身辺警護をしていた剣士の名前だ。 “そうだなぁ。 とにかく、ダンナの死が直ぐにバレちゃ不味い。 俺らは、過去に幾つも傷が有る。 役人に詮索されたら、斡旋所あたりから情報が漏れて真っ先に疑われる” “確かに。 ロッパー、何かイイ考えは無いか?” ロッパーと云う名前は、用心棒の魔法遣いである。 “それなら、先ずは…。 ズスタ、お前ぇ朝には此処に居ろ” “えぇっ?!!” “勘違いしてビビるなよ。 受付のオッサンと、料理人の若いヤツを殺せ。 ダンナの遺体を見つけられては、朝には通報される。 居ないあの女に罪を擦り付けたいが、それをするにはあの女自体も殺さなきゃならねぇ~から。 前後を考えると、発見を少しでも遅らせる事が最善だ” ズスタと云うのは、あの長柄の戦斧を持った男の名前であった。 その話を聞くライナは、生きた心地がしなかった。 略裸で、隠れているしか手が無い状態なのだから。 だが、三人の話は更に進み。 魔法を遣うロッパーの声で。 “ラムド。 俺ともう一度、奴等の溜り場に行こう。 あの昼間の包帯男、なんかダンナと関係が有りそうな感じだった。 下手に船員とかに手が回ると、俺たちに飛び火する。 あの奴等と話し合って、さっさと事を運んでしまおうぜ” “それしか手が無いか。 確かに、昼間の船長達も殺した方が、俺達の面体を知ってる奴等を消すにいいがぁ…。 あんな強い包帯男が一緒じゃ、返って手出しはヤバイ。 とにかく逃げる為にも、早くガキの始末で金を得る筋を付けねぇ~とな” ズスタは、其処で。 “長くダンナの死を隠すなら、どっかに死体を埋めた方が良くないか?” すると、ロッパーが。 “何処にだ? 血の痕を外に残す事に成るし。 ダンナと受付の朝の打ち合わせは、仕事上でも不可欠。 俺達が嘘で隠しても、仕事が滞って直ぐにバレるさ。 ダンナの我儘は、周知の事実。 前にも、料理人や受付の二人を次の日まで飲みに連れ出したりしてた。 殺して、有耶無耶にしちまった方が無難だ” それにはラムドも乗っかり。 “ズスタ。 ロッパーの云う通りにしろ。 俺達の雇われた成り行きや、あの女の存在を深く知る二人だ。 生かしてベラベラ喋られたら、それこそ面倒。 口を封じてしまえ” “わかった。 んじゃ、あの女の捜索を知人に頼もう。 歓楽街を根城にしてるゴロツキに、何人か知り合いが居る” “大丈夫なのか?” “探して貰うだけさ。 見つけたら、奴等もどっかで始末しちまえばイイ” “だが、幾らか金も必要だろう? 見せかける為にも、少しは前金を渡して置かないと” “金なら、三階の金庫に有るじゃないか。 それに、逃げたあの女は上物だ。 女の身体をエサにすれば、意地汚い奴等だからホイホイ話しに乗って来るさ” “そうか…ん。 ソイツは名案だ” “よし、じゃ~金庫を開けよう” “鍵の有る所は、確かぁ~あの女を食ってた寝室だったな” こうして、少しの間。 3人が屋探しをする音がしたり、何やかんやと音がした。 暖炉の御蔭で、最初は緩かった部屋だが。 金を運び出す頃には、彼方此方に人が出入りして温度が下がった。 ライナは、震える自分の息を殺すのが精一杯だった。 そして、男達が去った後。 ライナは其処を飛び出して、壁に掛かったローブ一枚を取り。 男達が落した金庫の中身の金を僅かに持って、建物内から逃げたのである。 役人に申し出ようとしたライナだが、役人に手が回ったら逃げるしかないとも言っていた男達。 最も足手纏いに成る自分の子供は、格好の人質で有ると同時に、身の危険な存在だ。 それなら、あの包帯を顔に巻いた目立つKを探して、ジョンソンを殺した事を盾に取り。 ジョンソンの事や、あの用心棒達の情報を聞き出そうと考えたのである。 ライナは、Kがジョンソンを嘗ては裏切ったかなんかした仲間だと思っていた。 だが…。 まさかジョンソンが、外国でお尋ねの脱獄逃亡犯とは思っても居なかったのだ。 お尋ね者を殺しても、証明が出来れば何の罪にも問われない。 Kを縛る手立てを失ったライナは、気持ちを落した。 処が、急にギラギラとした目を小部屋の窓に向けるK。 “あのクズ野郎が…。 もう、3日か。 誰かの世話が無いなら、赤子は危ないな” 思ってもなかった言葉が聞けたライナは、子供が痩せたり、折檻を受けた様子も見ない数日だったので。 “恐らく、誰かが世話をしてくれていると思います。 でも、何かの話が付いたら、殺すと…” Kは、久しぶりに怒りが身体を駆け巡る気分を覚え。 “どうせ、あの悪党の下のバカ共だ。 始末した後で、事件は役人に任せればいい。 とにかく、アンタは少し此処で休んでろ。 夜に成ったら、奴等を誘き出す為に歩き回って貰う。 赤子の為だ、あと少しばかり危険を我慢しろ” このKの言葉に、ライナは耳を疑った。 (この人・・、私の為に動いてくれるの?) そして、夜。 迎えに来たKは、ライナの衣服まで飲食店を営む夫婦に頼んでおいてくれた。 下着すら着ていないままのライナは、手足が凍傷になっていた。 Kは、休んだライナに指輪の発動体まで用意して。 “自分で癒せ。 少ししたら、出るぞ” と。 ジョンソンの死後。 温かい部屋と食、そして僅かの休息。 ライナは、その時間を娘に与えたかった。 娘と迎えたかった。 夜の街に出たライナは、突然にKの姿が見えなくなって驚く。 そんなライナの耳に、 (俺の格好は、一緒に居ると目立つ。 俺は、隠れてアンタを尾行するから、とにかく歩き回れ。 誰かの尾行が付いたら、行く道の指定をする) と、Kの声だけが響いた。 街中を暫く歩いたライナは、Kに尾行者が現れた事を聞き。 言われるがままに、此処まで歩いて来たのだ。 そして、今。 暗闇の中を歩くライナは、左右に分かれる道の前に来た。 左手に、大人の半身ほど沈んだ敷地へと下る階段が見える。 Kに言われるがままに、階段前へと進んだ。 雪の敷き詰まった庭の先には、少し右に傾いた石造神殿が影の様に見えている。 (此処ね) 部分部分の壊れた凍り付く石階段を5・6段下り。 更に、建物に向かって、地面が見えない雪の上を歩いて行く。 少しヨロけるライナだが、もう心は座っていた。 (良いか。 神殿の中は、もうだだっ広い広間が有るだけだ。 奥に行って、其処で待て) Kの声が耳元の後ろに聞え、微かに頷くライナ。 何故か、身体を彼に支えられている様な気さえした。 (アンタを尾行する男の他に、顔を隠した何者か3人が来てる。 恐らく、ジョンソンの用心棒をしていた冒険者達だろう。 奴等が中に踏み込むまでは、俺は様子を見てるから。 もし、尾行の男が襲う様なら、隠れてる知り合いが助ける) ライナは、静かに、微かにまた頷いた。 真っ暗な夜の中で、人気の無い裡捨てられた神殿は不気味な静けさを放っている。 「……」 ライナが神殿の入り口に来て見れば、入り口の枠が在るだけで。 木の扉の残骸すらも無い。 足を中に踏み込ませると、闇に食べられる様な感覚になる。 コツコツと靴の音を立て、雪の舞い込んだロビーへと進んで行くライナ。 尾行をして来た男は、そっと入り口の外脇に身を潜めた。 真っ暗な神殿の中の一番奥。 本来なら神の像を祭る場所には、空虚な空間がポッカリと開いていて。 其の前には、古びた祭壇の名残の様な物が残っているだけであった。 ライナは、その場で膝間づいた。 何の神を祭っていたのか、それを示すものが見当たらないが。 神殿で在るなら、神を祭る場所。 優愛・慈愛の女神を心に思い、我が娘の安否を祈る。 母親として、娘の安全だけを祈るライナの眼には、涙が音も無く浮かんでいた…。        ★ この時、かなり夜遅く成ってから船に戻ったオリヴェッティ達は、Kが居ないのに少し驚いた。 置手紙も無いし、Kの少ない荷物もそのままだった。 「こんな夜更けに、居ないなんて…。 何処へ?」 オリヴェッティは、Kが何処に行ったのか気に成った。 だが、一緒に部屋に来たルヴィアは、寧ろ淡々としていて。 「街に出たのであろう。 この雪では、出港も遅れる可能性が高い。 誰か、知人にでも逢いに行ったかも知れぬ。 今度は、我々が待つ側なだけだ」 ルヴィアは、オリヴェッティの頼みで、今夜から一緒にこの部屋に寝泊りする気でいた。 大いに酔ったビハインツは、一人で個室に入って直ぐに寝ていた。 リュリュは、たらふく食べた直後なので、目を手で擦り。 「ねむひぃ・・」 と、ソファーに毛布を取って向かう。 オリヴェッティは、温かい空気を取り込める配管の口を開き、大き過ぎるベットにルヴィアと一緒に寝る事に。 その頃。 繁華街の賑わいも収束し、ポツン・・ポツンと飲み屋街の明かりが落ちる頃。 ライナが静かに娘へ祈りを捧げて居ると、背後の離れた場所から声がした。 「やっと見つけたゼ。 ダンナのシミ臭せぇ~女が、何処に逃げ回ってたんだかな」 と、嫌悪を覚える様な言い草。 (来た…) ライナは、その声が“ラムド”と云う名前で、死んだジョンソンに呼ばれていた剣士の用心棒の物だと解った。 ライナに向かう足音が、神殿の中で響き。 幾重にも重なる中。 「探したゼ。 ガキと一緒に、あの世へ行きな」 と、“ロッパー”と呼ばれていた男が言う。 ライナを尾行してきた男とは違う3人の男達が、ライナに向かって神殿の中央辺りまで踏み込んだ時。 スクッと立ち上がったライナは、振り返り様に。 「私の赤ちゃんは何処? 殺すと云うなら、私と赤ちゃんを同時に殺しなさいっ」 こう言い放った。 ライナには、娘のマリーが生きているかどうか…。 この一つしか気持ちに無かった。 娘を失ってまで、おめおめと生きたいとは思っていない。 ただ、娘の姿を見たかった。 ライナの声に、3人の男達は立ち止まり。 「さぁ~な。 生きてるかどうかなんて、お前ににはもう関係無いさ。 此処で、死ぬんだからなぁ~」 一番声の印象が悪いズスタが言う時だ。 彼等の背後から、突然に。 「そいつは困る。 どうしても、吐いて貰わにゃ~な」 Kのいい加減ながらも、醒めた声が響く。 ライナは、真っ暗な中でKの声が響いたのを聞いて。 (どうするの…) と、思った時。 「うがぁっ」 「ぎゃぁっ」 「げぶっ」 と、三様の声が一度に起こったのを聞いた。 闇の中、呻く男の声に重なり。 「おい、赤ん坊は何処に居る? 吐かないなら、生き地獄を見せてもイイぞ」 と、Kの声が涼やかに恐ろしく聞こえた。 ライナは、何故かKが怒っていると解った。 声の響きが、微妙だが明らかに違う。 「だっ、誰がお前なんかに…」 ロッパーと云う男が、右からそう声を絞り出した時。 「そうかい。 なら、こっちも相応の対処を取らせて貰う」 サラッとKが言った。 Kは、また直ぐに。 「ライナ、其処に居ろ。 直ぐに終わらせる」 あくまでも静かに、こう言ったK。 暗い中で、何が起こったかは見えないライナだったが…。 どうやらKは、捩じ伏せた男達3人を外に連れ出したらしい。 雪の上に男達3人を投げ出したKは、ロッパーと云う魔法使いの男と、ズスタと云う大男の口にいっぱいの雪を強引に押し込み。 「少し黙ってろ。 アイツが死んだら、直ぐに順番が回る」 と、小さく言い放ち。 そして、ラムドなる主犯格の男に向かって行った。 さて、噂に聴くパーフェクトなる者は、世界に蔓延る闇社会の組織を震え上がらせたという。 その者だったKが彼(ラムド)にした事は、“拷問”と云うには甘すぎること。 汚い遣り方で生き抜く彼を直ぐ様に恐怖で脅えさせ。 そして、全てを喋らせるに至った。 「まっ! ままっ、街のっ・はずれぇぇぇ~~~っ!!! 農村区にっ、ふ・ふふ・風車が3つ! 丘の上の家だぁっ!!!! やつ・等、住民ブッ殺して、中にぃぃっ。 ガキと、おお・女・・・と見張りがふっふ・二人っ!!!! 頼むっ、助けてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」 深夜の宵闇の中で、リーダーのラムドがあっさりと喋った。 その声を聞いた他の二人は、どんな心持ちだっただろうか。 悪党同士の諍いに金で手を貸し、捕まって拷問を受けた事もあるラムド。 口の堅さと恐怖に対する精神力の強さは、人並外れている彼だった。 その男が、ものの幾らかで脅えきってしまった。 ラムドを雪の上に投げ出したKは、 「で、赤子は生きてるのか?」 と、問えば。 瞬きすら出来なくなってKを見るラムドは、激しく頭を縦に振り。 「まっ・まだ・・は・は・はな・しが纏まってなっ・無い」 Kは、ラムドを見下ろすままに。 「ほう。 それで、何で、あの彼女の一家を狙った」 雪の積もった神殿の庭の上で、寒さに震えるのか。 それとも恐怖にか解らないラムドは、ガチガチと噛み鳴らす口元のままに。 「詳しくは・・しっ・しら・知らないっ。 ジョンソンのダンナがっ、うっ裏の・ベベ・別件で・・ううっ受けた話だっ」 「でも、つるむ為に結託の話を通したんだろう?」 「あああ・・あぁ、俺達はっあのっ、女をっ・ぉぉぉ」 Kは、神殿を指差したラムドを見つめ。 「下っ端に成り下がった訳か?」 「だだだ・だって、つか・捕まったら…」 「そうか。 だが、俺にいたぶられて殺されるより、役人に捕まった方が楽だろう?」 ラムドは、激しく頭を縦に振った。 それを視たKは、神殿の方を見て。 「パゴサナル、護りはもういい。 俺は、赤ん坊を助けに行く。 このアホの始末は、アンタ任せにするぜ」 すると…。 「解った」 神殿の裏手や敷地内の別の建物の物陰から、人影が何人も現れた。 人影は、ラムド達に近づき、直ぐに縛り上げる。 Kの前には、小柄で目つきの鋭い50絡みの男性が現れた。 黒い痛みの見えるマントを纏った男ながら、その身に隙は見当たらない。 引き結ばれた口には、厳しさと荒々しさが垣間見れ、眼に宿す光は不気味なものがある。 黒尽くめの何者かに縛られたラムドは、その宵闇の中で小男に向き。 「まさかっ、この一帯を仕切る暗黒街のボス…。 “残渣のパゴサナル”かっ?」 Kの前に立った小柄の初老男は、ギロリとラムドを睨み。 「お前に通り名を呼ばれる筋合いはねぇ。 生まれたばかりの赤子を金のネタにするなんざ、ドブの残り滓と喩えられた俺でも毛嫌いするわな」 小柄な初老の男は、黒尽くめの何者か達に。 「連れてけ。 コイツ等は賞金首みたいなモンだ。 役人に突き出して、明日の酒代でも稼ぐとしよう」 Kは、そう言った男に。 「助かる。 貸しにしといてくれ」 と。 すると、小柄な男パゴサナルは…。 「なぁに、アンタに命を助けられた上に、アイツの命まで助けて貰った。 アイツは、今じゃ俺の娘の父親代わりなんだろう?」 「まぁな」 「フン。 なら、これぐらいじゃ…、昔の借りを返した内にすら入らないさ」 「そうか………。 さて、子供助けないとな」 呟くKに、パゴサナルは思うままに。 「アンタ、随分と変わったな。 あの時は、偶々に助けられた訳だがぁ…。 今は、見ず知らずの親子を助けるってか? ふむ、全く信じられんな」 Kは、パゴサナルを見返し。 「御宅も、だろう? 昔なら、あの捕まえた奴等側だったろうに…。 今じゃ、此処を治めて筋を通してる。 汚い世界でも、ソレが在るか、無いか・・は、偉い違いだ」 するとパゴサナルは、瓦礫を隠す雪に視線を落としながら顔を歪ませ。 「俺を此処に連れて来たのは、アンタだ。 ま、俺が生きるには、此処を仕切る以外に術は無かったが…。 だが、底辺を生きる者達も必死だ。 この場所に来て、確かに身勝手では生きられなかった。 だから・・かもな」 それを受けて神殿へと歩き出すKで。 「なら、全うしてくれ。 娘の晴れ姿でも、心に思い描いてな」 目じりに皺を寄せたパゴサナルは、初老の印象が深まり。 「ん、・・あぁ」 こう呟いた。 そして、神殿へ向かうKの背中を見送り。 「赤ん坊を奪ったのはジョンソンの手下で、この区域から締め出されたクズ中のクズだ。 生かしておけるのは、誰も居ない」 その声にKは、軽く手を上げて神殿の中に入った。        ★ ホーチト王国の王都マルタンの郊外には、農地が点在する区域がある。 海が近い場所では、潮風で作物も限られるが。 北西と北東の草原や丘一帯は、農地として耕されいた。 冷害や水害などで作物の収穫が少ないと、人の多い街は直ぐに飢える。 その対策で作られた古い農業区域だった。 街の中心へは、歩いて少し掛かるが。 城壁の外周に囲まれた街の一角ではある。 その農村の入り口の丘。 此処には、もう隠居した農家の老夫婦が住んでいるハズだった。 だが。 その農地のど真ん中に小さく盛り上がった丘の上。 風車3つに囲まれた木造の古い家には、こんな夜更けにも関わらず灯りが付いていた。 その家の窓辺で、外を窺う男が居る。 「ったく、アイツ等…。 何処に行ってやがるか、遅っせぇ~なぁ~」 顎に古い切り傷が見え、浅黒い肌をした顔は怖いぐらいの威圧感が窺える。 そんな悪党面の男が、暖炉の温かさが溜まる部屋の中に戻り。 「たかが僧侶の女一人殺すのに、朝方まで掛ける気か?」 頑丈さだけが取り得の様な木の机を前に、毛布や布に包まれた赤子を抱く女性が醒めた目を悪党面へ向け。 「あ~んたみたいに、アイツ等も女に汚いんだろうからねぇ~。 朝まで、弄ぶ気なんじゃないのかい? 母親と子供を殺すなんて出来るんだ。 どこまでも、アンタ等は人間が腐ってるんだろうね」 と、やや爛れた口調で、避難がましく言う。 悪党面の男は、ギロっと赤子を抱く女を見て。 「モナ、ガキを世話する内に気が変わったか? 夜の盛り場で客取りしてた娼婦のお前が、そんな棘の効いた口を利くなんざ~気に入らねぇな」 垂れ目がちで、やや化粧の濃い中年女性のモナ。 胸元が大きく開いた赤いロングドレスに、金のチェーンネックレスをし。 耳には、蒼い宝石のイヤリングまでしているハデな姿…。 顔を見ても、随分醒めた印象ながら、細い足首や腰つきには似合わない胸やお尻の肉付きは、色香を溢れさせていた。 モナは、自分に近寄る悪党面の男から目を逸らし。 「アタシは、金さえ貰えればイイ話さ。 だが、この子をどうするか決まってないんだろう? 相手方に売れるなら、高い身代を取れるかもしれないじゃないか。 大事な金蔓だから、丁重にしてるのよ」 そう言って、赤子に目を移すモナは、虚ろな目つきで眠る赤子を覗き込む。 モナに近づき、寝ている赤子の顔が覗ける場所まで来た悪党面の男は、モナの胸元を見下ろしてから彼女の耳に顔を近づけ。 「ケッ。 ガキも用が無いなら、さっさと殺すからな」 と、言葉を吐いた。 身を戻した悪党面の男は、酒の有る土間の広がる方に歩いて行く。 だが、その内心では…。 (然し、金の話が纏まったら、逃げるにしてもガキは邪魔だな。 それに、モナも足手纏いだな…。 いや、親分も死んだ今は、コイツに分け前をやる必要も無い。 いずれはガキと一緒に…) と、モナなる女性をも裏切る気だった。 この男を含めて、ジョンソンとグルに成った悪党達は5名居る。 その中でも、ジョンソンの手先として悪事の依頼を請けたり、ジョンソン本人へ繋ぎとして対面していた30半ばの男がリーダー格だ。 モナに恐ろしい言葉を言ったこの男も、その下っ端に成る。 だが、彼らは焦っていた。 ジョンソンが急死し、僧侶の母親が逃げたと言う。 何時、役人に手が回るとも知れない中、儲け話が棚上げに成ってしまい。 これでは大金をせしめて逃げられるか。 それとも、役人に嗅ぎ付けられて逃げるか。 その境に居る。 リーダー格の男は、その話を纏め様と出ずっぱり。  仲間の二人は、そのリーダー格の男と共に行き。 赤子を隠しているモナの護衛として一人。 周囲の見回りや、連絡の繋ぎをしている男が一人。 正直、ジョンソンの飼い犬だった用心棒達3人は、僧侶の母親を殺すぐらいにしか価値が無いと思われていた。 何故なら。 逃げるには、確かに腕の達つ者が欲しい所なのだが。 それ以上に、彼等は悪い意味で顔を知られ過ぎている。 集団が大きく成れば、何を行うにしても目立ち始める。 彼等を外で歩かせる目的は、バレた時の的代わりに近い。 ジョンソンの妾だったモナが、ジョンソンの死にも動じず此処に居るのは。 彼女が金目的でしか無い・・と、誰もが思っていた。 さて。 悪党面の男は、土間の広がる奥の壁際に見える窓の下。 竈の前に置かれた丸太をそのまま椅子にした所に腰を下ろした。 「年寄りがやってた農家の割に、ワインはたらふくありやがる。 潜伏には、丁度いい所だぜ」 この家の持ち主である老夫婦は、もはやこの世のものでは無い。 馬や牛の繋がれた納屋の中、その糞に塗れる様に棄ててあった。 また、世話をする者が居なくなれば、腹が減ると馬や牛は餌を求めて啼いた。 それが煩いので、牛も馬も殺されてしまった。 この悪党面の男も含めた5人は、あの陥没した区画の暗黒街ですら鼻抓みに出された男達である。 金に対する意地汚さと、極悪非道さは目に余ると云う理由だ。 そして、パゴサナルの定めた掟を破ったために、あの区画より叩き出された。 悪党面の男が、一人でワインを飲み始めた直後。 「おい、変わりは無いか?」 裏手の勝手口が開き、口元を隠した細身の何者かが現れた。 土間に居た男は、ワインの瓶を挙げ。 「ジラン、なぁ~んも変わり無ぇぜ」 入って来たジランと呼ばれた男は、頭髪を雪で凍らせていて。 ワインを飲む男に歩み寄りながら、チラっと赤子とモナの居る方を見る。 「………」 赤子を抱いたモナは、椅子に座って背を向けたままだ。 (丁度いい) ジランと呼ばれた男は、そっとワインを飲む男に近づいた。 そして…。 (おい、朝方になったら、向こうの二人を始末しろ) ワインの瓶を片手にした男の目が、一気に殺気を孕んで光った。 (殺っていいのか?) (あぁ。 どうやら始末で話が付きそうだ。 先方は、あの男の一件でジョンソンの旦那に払った金が精一杯ならしい。 追加で出せる金を安く見積もって、ガキを始末する話に傾きそうだ) (なるほど、ガキは身代に成らねぇってか?) (そうだ。 だが念のため、母親を始末しに行った冒険者達の連絡を待つバウンスを待て。 母親を始末したなら、もうガキを生かす必要は無い) (うひひぃ~、そうかい) ワイン瓶を持った男はニタリと笑って、赤子とモナの居る方を見た。 この男に用件を伝えたジランと云う男は、直ぐにまた出て行った。 それから少しして…。 「えへへぇ~、モぉナぁ~」 ワイン瓶を持った男は、ニヤニヤした顔で居間の方に戻って来た。 赤子を抱き、目を瞑っていたモナは、そのいきなりイヤらしくなる言い方が気に入らず。 「・・なぁによ、私に構わないで。 アンタ、赤子の鳴き声が嫌いなんでしょ? 私が赤子を放したら、途端に泣き出すわよ」 追い払う為、この男が嫌いな赤子を話に出した。 この数日、赤子の世話を任されたモナは、常に見張りとしているこの男から下心の篭った視線を向けられていた事は解っていた。 だが、初めて下心があからさまに言葉にも含まれたのを薄っすらと感じ、嫌に気味悪く思えた。 だから釘を刺す意味で、こう云ったのだろう。 然し、ワイン瓶を持った男は、瓶をテーブルに置くと…。 「別に、泣いたっていいさ。 泣き止まないなら、力ずくで黙らせればイイ」 と、モナの首に手を滑らせた。 この瞬間、モナはハッとして。 「アンタっまさか?!! もう殺す気なのっ?!」 と、赤ん坊を抱えたままに振り返った。 「………」 性に爛れた悪女の様な素振りだったモナが素の顔へ変わり。 その瞳の中には、悪辣な笑みを浮かべた男が居て。 「驚くこたぁ~無ぇだろ? お前を殺す訳じゃないんだから」 モナが大きく動いた事で、布や毛布に包まれた赤子が起きて泣いた。 悪党面の男は、ギロっと赤子を見下ろし。 「うるせぇガキめっ。 乳だのクソだのと、世話ぁ遣らせてたが。 もう此処で終わりだ」 と、モナの腕に手を伸ばす。 「お止しよっ!!!」 赤子を守る様にモナが男の手を遮り、赤子を抱えて立ち退いた。 モナに払われた男は、怒りを顔に表し。 「オメェぇぇ……。 その意味解ってンのかぁ~?」 怒り任せにと刃渡りのやや長い短剣を引き抜いた。 それを見たモナは、暖炉の前から赤子を抱えたままに右へ右へと逃げ。 「やっぱり、気が変わったわ」 そう言ってテーブルのワイン瓶を片手で掴むや男に投げつけて、表の扉に向かうままに逃げ出した。 「このアマっ!!!!!」 ワインの中身を幾らか浴びた男も、転がる瓶を無視して一気に殺意を剥き出しにしてモナに向かう。 内鍵代わりの衝立を外したモナは、蹴破る様に薄い木戸を開いた。 とても冷たい空気がサッと彼女を襲い、その勢いのまま家の中へと押し込む。 (この子だけは! 母親に返さなきゃっ!!) 雪がまだ舞う外に飛び出し、雪の積もった道へと走り出すモナだが。 女が赤子を抱えての逃げ足など、高が知れている。 外に走り出したモナが雪で埋もれた畑に挟まれる雪道を走り出したが。 直ぐ足を雪に取られ、体勢を崩した。 其処にモナの後から飛び出して来た男が近寄り。 「ガキ諸共に死にやがれっ!!」 と、剣を突き出した。 「う゛っ………」 モナの背中へと刺さった剣が、体内を通って表の腹部を突き破った。 「うひゃっ!!! 死ねぇぇぇぇぇっ!!!!!!」 泣き喚く赤子の声を攫う強い風の中。 狂気に悦した男は、確実にモナを殺すべく剣を捩った。 内臓を傷付ける為に…。 「あぐぅぅ………」 内臓を切り刻む強烈な火傷の様な痛みに、悶えたモナはブッと口から血を。 肺にまで傷が及んでしまった為だ。 男は剣を引き抜くと、赤子を抱いたままに雪へと倒れこむモナ。 「ら・・だ・め」 目前と迫る死の訪れを伝える自分の血の匂いが解る中でも、モナは赤子を抱き竦める様に微かに動こうとする。 そんなモナの姿を見下ろした男が、モナの身体に覆い被さる様に中腰で近づき。 「死んでまでガキを守るってか? はっ、無駄な事をっ!!」 モナの心臓諸共に赤子を刺そうと、大きく剣を振り上げた。 其処で。 “ドン” それは…、鈍い音だ。 だが、モナの耳にもその音は聞こえた。 モナの上に覆い被さる様に居た男が、強風で飛ばされる枯葉の様に宙へ持ち上がった。 左のこめかみに、丈の短い短剣を刺して…。 暗い闇夜の支配する雪の敷き詰まった畑に、道沿いの柵を越えて転がる男。 衣服や髪の毛に雪を纏わせ、動きが止まった時に息は無い。 その直後。 モナの元には、 「おい、刺されたのか?」 と、耳慣れない男の声がした。 「あ・だ…れぇ……」 モナは、抱えたままに雪に埋もれそうな赤子を出そうと、動けない身体を動かす。 其処へ、 「マリーっ! マリーはっ?!」 と、ライナの声が。 Kがライナを連れて、馬で駆け付けたのだった。 モナは、ライナの声を聞いて。 「あ・あか・ちゃ……ん」 と、自分を覗き込む顔の良く解らない誰かを見上げた。 暗い中で、然もKは包帯をしている。 急激な失血で視覚が失われ始めた彼女に、Kの人相を確かめる余裕など在りはしない。 一方のKは、直ぐに赤子を取り出し、ライナへ。 そして、仰向けにしたモナの傷口に手を伸ばす。 「チィっ!!! 内臓が切られてズタズタだ。 コレでは、普通の治癒魔法ぐらいでは治せないぞっ」 腸の一部が、血と一緒に切れて飛び出しているのをKは確認したのだ。 普通の魔法では、傷を塞ぐ事は出来ても、千切れた内臓などまでは元には戻せない。 赤子の安否を確認したライナは、まだ息の在るモナを見て。 「ケイさん、彼女を家の中に。 私が、なんとかします」 Kは、縫合手術も出来ない程に内臓が損傷していると解るので。 「癒しの魔法では、到底無理だぞ」 すると、ライナは力強く。 「更に上、完治の魔法を遣います。 今の私なら、出来るっ」 Kは、ライナの抱える赤子を見て気付き。 「しか、手は無さそうだっ」 と、雪でモナの傷口を冷やし、直ぐに彼女を抱えた。 ダラダラと血を流すモナは、もう意識を失っていた。 失血に因るショックの死が間近に迫っていた。 家の中にモナを運び込んだKは、頑丈な木の机に彼女を寝かす。 ライナは、蹴飛ばされて転がる椅子を起こし、モナの間近に置くと。 元気な声を上げて泣くままの我が子を其処に置いた。 そして、Kと入れ替わる様にモナの前に立つと、目を瞑る。 「貴女が、マリーを守っていたのね。 何の痩せも、怪我も無いマリーを見れば・・貴女のした事が解るわ」 元気に泣く我が子の声にライナは、集中し始めた。 このモナが犯人の一味で在ったとしても、彼女に感謝し・・・そして助けたいと強く願える。 神聖魔法は、只単に神へ帰依した気持ちでは、中途半端な効果しか生まない。 その愛する感情の揺ぎ無い強さが、奇跡の力を高める。 Kは、辺りに注意しながら、モナとライナを見た。 (母親たる愛情を持ちて、本当に穢れ無き思いは奇跡の力を高める。 どんなにあのジョンソンのゴミに心身を汚されても、この母親の気持ちは汚せなかったか……) Kは、ライナの身に清らかな光が集まるのを感じる。 普通の治癒魔法の比では無い強い光が、ライナの身を取り巻くのだった。 それは、一瞬の様な奇跡だった。 「神よ、嗚呼…フィリアーナ様。 未熟な私を母親として、温かき光の様な命を授け下さった事に感謝をいたします。 我が子を救ったこの者に、私の感謝と愛となる慈悲を与え給え。 完全なる癒しを………、今っ此処に!!」 神聖治癒の魔法でも、完治の秘術は高等魔法の極みに位置する。 下手な駆け出しの僧侶が唱えても、その気持ちと信仰心だけでは中途半端か、完全なる失敗に終わるだろう。 だが、慈愛・優愛の女神フィリアーナは、数少ない地上に残った女神で。 人との間に子供を産んだ女神。 母性に対する思いを汲み取る意思は、他の神の比ではなかったとか。 静かだが、ライナの全身全霊を掛けた大魔法は、眩い光を彼女の手に、身体に与え。 そして、手の翳されたモナの傷を塞ぎ。 あの抉られて破れた内臓を元に戻した。 「・・・はぁっ」 大量の血を溢れさせ、息が止まり掛けたモナの口が、再び呼吸の仕草をして落ち着く。 「で、出来たわ……」 傷を完全に塞ぎきったライナはそう呟やくと、崩れる様に気を失った………。        ★ 外は暗いままの頃だが。 「はぁっ?!」 「あえっ?」 「何だっ?!」 オリヴェッティ、リュリュ、ルヴィアが驚いて跳ね起きたのは、もう朝方の頃だろうか。 寝ていた其処に、いきなり赤子の泣き喚く声が入って来たのだから、起きて当然だが。 Kは、シャンデリアに入った明かりの魔法を解放し、室内を一気に明るくした。 「………」 ポカ~ンとして、入って来たKを見たオリヴェッティ達3人。 その眼に写るのは、Kが赤子を背にして、二人の誰かを抱えて来たと云う様子だった。 「ど・どうしましたの?」 言う、寝る時の黒いドレス風の服のままのオリヴェッティへ。 「悪い、この二人を寝かせたい。 ベットを空けてくれ」 と、Kが。 急いでベットを明け渡すルヴィアだが、Kの背負う赤ちゃんを見て。 「あっ、赤子なのか?」 Kは、ベットにライナを寝かせた後。 薄笑いを浮かべ、 「この通り母親は、疲れて気絶した。 お二人さん、女なら乳は出ないか?」 と、ルヴィアとオリヴェッティを交互に見る。 「バっ・バカっ!!」 「出る訳っ・・」 急に言われて恥じらい、顔を赤らめる双方。 Kはモナも寝かすと。 気を失っている二人の女性を見つめながら、雪で濡れた髪を掻き揚げ。 「フッ、だろうな」 ルヴィアも、オリヴェッティも、モナの衣服が血で汚れているのを見つけ。 先にルヴィアが、 「ケイっ、この御仁は怪我をっ?!!」 と、云えば。 オリヴェッティも続き。 「ホントっ。 お・お医者・・あ、その前に僧侶の手配をっ」 Kは、慌てる二人に。 「もういい。 怪我は、治ってる」 「え?」 「あ?」 驚く二人を前に、赤子を背負う為に遣った帯を解くKは、顎でライナを杓って。 「先に寝かせた女は、僧侶だ」 女性二人は、ライナを見た。 Kは続け。 「母親の愛情ってヤツは、何度見せつけられても凄いモンだ。 悪党に剣で刺され、内臓を切り刻まれたこっちの女の傷をな、見ての通り完璧なまでに治した。 “信愛の恩恵”…。 子を持つ親で、その愛情の宿った思いが傾けられた時、慈愛の女神フィリアーナが及ぼす奇跡と聞くがよ。 確かに、奇跡を起こす力だな」 Kは、泣き上げる赤子を腕に抱いて見て。 「いい大声だ。 この子は、きっと美人でイイ女に育つぞ」 気を失ったライナとモナ。 そして、赤子をオリヴェッティ達に託したK。 事情は後回しで教えると、また出て行った。 実は、連絡の繋ぎで戻って来た悪党の一人を捕まえたので、モナとライナを安全な場所に移しに来たのである。 Kは、そのまま夕方まで戻らなかった……。        ★ さて、夜が明けると、何かと忙しくなるオリヴェッティとルヴィア。 「おはよう。 何か……あ?」 ビハインツと共に、部屋に入って来たウインツだが。 聞えてきたのが赤子の鳴き声だけに、相当驚く。 オリヴェッティとルヴィアは、男性二人に説明するだけで四苦八苦した。 赤子を抱いたオリヴェッティは、朝に旅客の人々を巡り。 乳の出る女性を探しては飲ませて貰い、赤子を落ち着かせた。 リュリュは、一気に女性が増えた事で興奮していたが。 “リュリュ、この4人を守る為なら、何してもいい” と、Kが任せた事を何より喜び。 何かと合間に赤ちゃんをあやしていたのが印象的だった。 昼にやっと起きたライナは、オリヴェッティ達から説明を受けた。 そして、Kのした事の全てを教えた。 ジョンソンの暗殺から、マリーを助ける一件まで……。 死んだ様に眠り。 呼吸する以外は寝っぱなしのモナは、昼間も起きずに寝続けていた。 さて、夕方にKが戻った。 「いや~、疲れた」 雪で衣服までを濡らし、戻ったKはどっかりと一人用のソファーに座る。 どう声を掛けていいか皆が困る中。 度胸は男性に負けぬ腕組みをしたルヴィアより。 「随分、遅かったな」 と、Kの脇に立つと。 「あぁ。 知り合いの将軍に会って役人に手配させた上に、犯人達の確保まで手伝ったからな。 御蔭で、事件の中身がぜ~んぶ解ったよ」 その一言を聞いたライナは、Kの左側へ足早に歩み寄り。 「ではっ、ユリアンの居場所は?!!」 するとKは、ライナを醒めた脇目に見て。 「当事者だからな。 知りたければ、全てを教える。 だが…、先にこれは言って置くぞ。 アンタの旦那は、アンタと子供をゴロツキに売り渡した」 「えっ?」 「事実だ。 ・・それに生きちゃ~いるがな。 もうアンタの手の届か無い場所に向かってる。 真実を聞きたいのなら、絶望する覚悟だけしろ」 一気に只ならぬ話と成り、赤子をあやすリュリュと何故か傍に居るビハインツは、真剣な顔に…。 オリヴェッティは、Kの様子に。 「そ、それほどに良くないお話・・ですの?」 頷くKは、宙を見て。 「頗る…、いや。 全くもって最悪、だな…」 今の話だけで、ライナは顔を強張らせた。 だが、全てを聞かないと心のけじめが付けられない。 「それ、でも教えて・・・下さい」 「ふぅ、解った」 こうして事の発端から始まりKが全てを語り終える頃に、外は夜に落ちる。 全てを聴いたライナは、打ちひしがれる様に泣いていた。 オリヴェッティやルヴィアは、怒りや同情で無言となり。 リュリュとビハインツは、自分達を気に入ってか笑う赤子を見て、とても虚しく成った。 だが、Kは語り終えた後に。 「まぁ~・・、なんだ。 あんな男は諦めろ。 ロクでも無いバカなんぞ、さっさと忘れてしまうがイイさ。 アンタには、まだあの男なんか霞む程の宝が側に居るんだからな」 と、ビハインツの腕の中に居る赤子を見た。 Kを見るライナは、泣きながら。 「わっ、わ・私、無理かも・・・知れません」 と、言うのだが。 何故かKは。 「ふん、戯言を。 お前は、どう見ても大丈夫だ」 ハッキリ言い切る。 最悪の真実が解ったばかりの最中で、それは無いとルヴィアが。 「そうは言い切れんだろうが…」 だが、自分の言葉に確信が有るのか、Kは大した事も無さげに。 「あのな。 幾ら赤子の面倒を見ていたとは云え、その寝てる女は犯人の一人だぜ? その女に、中等魔法すら遣えない僧侶の母親が、感謝と慈しみの思いだけで高等大魔法の治癒を成立させるなんて、フツーに無理だ。 よっぽど愛情が深く強くなきゃ、神が手を貸すかって~の」 こう言い切ったKは、ライナに目を遣さずに続け。 「子供を助けてくれた悪党を許せる気持ちが在るなら、子供を育てるのなんか簡単だ。 御宅が身を滅茶苦茶に汚されても、心が汚れなかった証が其処に在る。 信じていた男が駄目でも、御宅にはまだ信じれるものが幾つも在る証だ。 赤ん坊は、御宅を救う神からの贈り物。 救いの手は、まだその背中に差し伸べられている。 下らない男一人の為に、その手を払うな」 ライナは、床にへたり込んでいたままからKを見た。 いつの間にか、Kもライナを見ている。 「神へ示した御宅の愛情や慈しみ、それをくれた赤子を駄目にする価値が、ユリアンとか言う男に在るか? 御宅の心に残る男への愛情は、何時しか生きる道の行き先でまた他の誰かで満たされるさ」 此処で、赤子がグズって泣いた。 Kは、ビハインツの腕の中の赤ちゃんを見て。 「ホラ。 何時までも厳つい兄さんのツラは見飽きた~、腹減った~って言ってるゼ」 「う……」 泣く我が子を迎えにライナは立った。 周りの皆は心配するが、Kはライナは大丈夫だと解った。 その意味は、後日に解る。 Kが戻って、全ての事情を話し終えた後。 「………」 涙を流すライナがぐずる赤ちゃんを抱き、授乳を始めた。 去った男の悲しみに暮れる暇など、子育てには無い。 ライナの悲しみなど、今のマリーにはどうでもいい事なのかも知れない。 寧ろ、母と自分が今を繋げるなら、その外の全てなど二の次と云う事か。 でも、それでイイ。 今を明日に繋げるからこそ、生きる事に成るのだ。 ライナと赤ん坊を棄てた父親など、親子にもう必要は無い。 切り捨てる様だが、前に進むと云う事は、そうゆう事なのかも知れない。 さて。 授乳時に人が多いのも悪いと思ったオリヴェッティは、ルヴィアと共にビハインツやリュリュを連れ、夕食をするために一階へ行く。 今夜は、船に乗る楽師達や踊り子が合作を興じるとかで、少し場を外そうとした訳だ。 Kは、長いソファーに座って横になり。 「疲れた…。 寝る」 と、リュリュが勝手に使っていた自分の毛布を取り返して寝てしまう。 そして、それから間も無く。 「うぅ・・ん」 静かに成った部屋の中で、モナが目を覚ました。 「あっ」 ガバっと跳ね起きたモナは、直ぐに自分のお腹を触れる。 寝ているKが、モナを見えていない筈なのに。 「そこの母親に感謝しろ。 フツーなら治る筈の無い怪我を、奇跡の力で治した」 モナは、近くに立って赤ん坊に乳を飲ますライナを見て。 「あ・あか…はぁ……。 無事だったんだね、よっ・良かった」 と、顔を俯かせた。 寝る態勢のKより。 「役人にオタクの事を言うのも面倒だから、悪いが死んだ事にした。 赤ん坊を守って、死んだ悪党に刺されたとしておいた。 役人も、極悪な凶悪犯とジョンソンの一件で忙しく、オタクなんかどうでもいいみたいだな。 この船に乗れば、フラストマド国までは行ける。 そこで勝手にやり直すんだな」 と。 そして、黙った。 Kの言い草は、彼を知らない人間からすればいい加減で、到底気に入るものでは決してない。 モナは、ベットのシーツを掴み。 「勝手な・・、誰が助けてくれってっ………」 憤る言葉を吐き漏らす様に言った。 然し、授乳を続けるライナは、モナに近寄り。 「神が、貴女を助けたのです」 モナは、ライナをジロっと見上げ。 「神ぃ? そんなお話の中のものなんてっ」 だがライナは、腕の中の我が子を見て。 「貴女が、この子を命懸けで守ってくれた…。 だから私は、貴女に慈しむ心を向けれた」 塞がって傷跡すら消えたお腹を触れるモナは、助けられた感謝も心に湧いたから強く気持ちを言えず。 顔をライナから背け。 「アタシは、その子が金蔓だから世話したんだ。 助けようだなんて・・、そんな甘い事はっ」 と、悪ぶった言い方をする。 モナを見るライナは、それが嘘だと解る。 今のモナには、厭らしい気配や、悪意の様なものが見えないからだろう。 「この子のおしめ、凄くまめに代えられていましたね。 肌に、汚い処が見られない。 襲われる前同様に笑うし、痩せ衰えた様子も…。 況して、傷付けられた処も無い。 赤子は、何も出来ない泣くだけの生き物。 愛情なくして、こんな甲斐甲斐しい世話など出来ないと思います」 モナの心を見透かして言ったライナとて、乳房から口を僅かに離し穏やかに眠たそうな様子を見せる赤子を見て、この今泣き叫びたい中でも安らげ。 そして、微笑める自分が居る事にそっと気付ける。 「少し見ない間に、何度も笑う様になりました。 こんなに、日に幾度も笑うマリーは初めて…」 モナは、躊躇う素振りながらライナを見て。 「そっ・それよりさ。 母親のアンタは、こっ・これからどうするんだい? もう夫の ヤツは戻らないと思うよ」 涙を浮かべながらも、赤子をゆっくり揺り動かし背中を刺激し。 そして、ゲップを見たライナは、 「解っています…。 さっき、あの寝ているケイさんから全てを聞きました。 マリーは、私が育てます」 「そうかい…。 で? 身体は・・その……大丈夫なのかい? あのジョンソンって男も、用心棒だった奴等も、アタシ等女には汚かったはずだろう?」 この言葉を聴いたライナは、モナも暴力を受けたのだと察した。 ジョンソン等がどうゆう性格をしているのか、モナが知っている事が、それを証明すると言っていいからだ。 「体の彼方此方が痛いです。 心は………この子が居なかったら、も、保たなかったかも…」 うつらうつらと眠りに付くマリーを見る中で、言うライナは暴力に耐えた日々を思い出してしまった。 子供を起こさない為にも、泣く事も堪える彼女の肩が微かに震える。 モナは、自身も女身でありながら、今も、今までも成す術無いと俯き。 「…そうかい。 母親は・・強いね。 確かに、この子供は生きてる。 奪われないだけ…マシかもしれないね」 その悲しみを纏うモナの語りに、ライナは母親に成り損ねた女の姿を見た。 ベットの隅に腰を下ろし、Kの寝るベットを見てから。 「貴女も、子を宿した事が?」 モナは、母親の腕で静かに眠るマリーの寝顔を見て黙った。 ライナも、また。 だが、健やかに、穏やかに眠るマリーの顔を見るモナは、心の奥底の記憶を思い出す。 ポツリ・・またポツリと身の上話をし始めた。 天災で幼い頃に親を失ったモナの人生は、娼婦として過ごす女の良くある話だった。 だが、客との間に子供を宿しても、娼婦に僅かな金を払うだけの雇い主が、育てるのに手間の掛かる子供を産ませる事など許す訳も無い。 堕胎させる微弱な毒を飲まされる悪質な習慣は、世界の暗部に今だ残る事実だった。 モナは、20代で4度も降ろされた。 30代に入って、妊娠所か、月ものすら来ない身体になった…。 子供を宿すと、女の体も母親の準備をし始める。 それを途中で勝手に奪われる事は、性根のまともな女なら悶える様な悲しみを産む。 幾度、失った我が子を思って、自然と涙を流した解らないモナだ。 モナは、今にマリーの寝顔を虚ろな目で見て。 「最初・・ジョンソンの旦那からこの子を面倒看ろって、大金になるかも知れないからって渡された時…。 正直さ、嫉妬したんだ。 私の子供は、身勝手に奪われてしまって、この世に生まれも出来ないのに…。 何で、今になって・・・何で、他人の子供をって…。 でも・・でも…。 泣かれて、仕方なくあやした時、胸を・・この子に弄られて。 初めてお腹に出来た子供を奪われた時、まだ半年も宿してないのに・・奪われた後にさ。 なっ、涙・・涙みたいにお乳が出たの……思い出してね」 静かに泣きながらにモナは声を詰まらせ。 「嗚呼・あぁ・・アタシなんかに、この・この子……笑うんだよ。 自分の赤ん坊すらまともに……ま・まも・・守れなかったアタシなんかに……。 日に日に・・この子可愛くなって、娼婦でもないアンタが甚振られて……。 この世に、神の救いなんて・・無いって思ってたのにさぁ……」 モナの嘆きを前にライナは、絶望を抱えていたモナのお腹を静かに優しく触れて。 「ごめんなさい、ごめんなさい……」 何故か、繰り返し謝るではないか。 この姿には、モナの方が混乱して。 「どうしたのさ、どうして謝るのさ」 モナの手がライナの肩にのびれば、ライナはモナを見返して。 「私の掛けた完治の秘術が、貴女の全身を癒しました。 心は、傷つく前の昔には戻せないけど……身体は、戻ったはずです。 今からなら、貴女でも産める……」 涙を落すモナは、その言葉に目を見開いた。 涙が跳ね、膝に落ちた。 「そ・そんな事っ」 「今更って・・思いますよね。 本当に、本当に、ごめんなさい。 でも、マリーを守ってくれた貴女を助けたくて、凄く難しい大魔法を遣ったの。 一心不乱だった。 でも、神は願いを聞き届けてくれた」 「い・いま…? 今になってなんてっ」 声を大きく上げそうに成ったモナ。 その彼女を見つめ。 そして、そっとお腹を擦るライナは………。 「遅いと思う、でも・・・手遅れじゃないって思えるの。 貴女の望んだ事じゃ無いのは、謝るわ。 でも・・でもね。 マリーを愛しんでくれた心は、捨てないで欲しいの」 モナの見るライナは、涙目で。 その姿は、懇願している様にも。 手を離したライナは、マリーを見て。 「夫に捨てられても、この子に……」 “貴女の命を守ってくれた人が、私以外にも大勢居る。 心を曲げちゃ駄目よ” 「って、言いたい。 貴女の事、感謝をもって教えたい」 託された様に言われたモナは、言葉を返せずに押し黙る。 モナの心の中で、様々な記憶や思いが混ざり合う。 怒り、悲しみ、嬉しさ、そして絶望。 完全に醒める様にして、日々を繋ぐべく金を求めて男に身体を渡し。 床から床へと夜を這いずり回った過去は、決して消せる訳が無い。 だが、生きる事。 そして、昨日今日に動かされた心の躍動は、凍えきったモナの心に、僅かな春の訪れを齎す波紋を起こしている。 何時しか自分のお腹を触れるモナは、何事も言わずに。 少しして、近くで汽笛が鳴った。 また、一隻の船が港に到着したのだろう。 ライナは、そっとマリーをモナに差し出すと。 「トイレに行きたいの。 貴女にも、何か食べるもの買って来るわ。 マリーをお願い、起こしたくないから…」 赤子を差し出されて一瞬、戸惑い、震えたモナだったが…。 黙ってマリーを受け取るままに。 手拭いを洗う気なのか、ライナは遣った手拭いを取って部屋を出た。 見送ったモナは、自分の腕の中で眠るマリーを見ていた。 モゴモゴと動かす口や、ニギニギと動く拳が愛くるしい。 見つめていて、飽きないモナは無意識に。 「嗚呼、ほんとに……、可愛い子」 と。 涙と混同した思いで歪んだ顔が、マリーを見て徐々に和らいで行く。 すると。 「・・だな。 母親に似て、美人に成るかもな」 寝ていたKが言った。 「あ…」 起きていたのか、と解ったモナに、Kは。 「“モナ”・・か。 オタクの呼び名、確か、この国の俗称的な言葉だったな。 飲み屋に居る女や、娼婦なんかの括った呼び名だったか」 モナは、男のKに言われてグッと顔を俯ける。 然し、Kは更に続け。 「でもな。 この名前ってさ、実は昔に居た女が由来なんだ。 知ってたか?」 「え?」 知らなかったことを告げられてか、思わずの反応で顔を上げた彼女。 「元々な、ある大貴族の一人娘に、モナって云う人物がいてな。 この娘、“才色兼備”って言葉をそのまま人にした様な女でよ。 学者顔負けの知識と麗しい容姿、それから完璧に弁えられた礼儀作法から、世界中の王侯貴族から求婚されたって云う」 「そんな人が、何でこんな卑しい名前の代表になるのさ」 「それが、人間の歴史のうざったさ、さ」 「なにさ、それ」 「モナは、家柄だけならばかなり格下となる歳上の男と恋仲に成った。 その人物は、国家の重責を担う将来を期待された人物でも在ったから、両親も交際を認めたのかもな」 「私とは別格の幸せじゃないか。 そんな女が、どうして…」 「それが、よ。 モナを見初めた他の男達が、モナの恋愛を許さなかったらしい。 んで、熱狂的にモナを好いてあた男を唆し、モナの愛する男を殺させたのさ」 「な、何だって? そっ・それで、その女の人はどうなったのさ」 「愛する男を喪った最初、モナは嘆き日々に暮れた。 だが、周りはそんなモナの心情などお構い無しだったらしいな。 我こそ相応しいと求婚が再び始まり、モナの両親も撰びつつも目移りする状況で寧ろ喜んだ」 「・・いい所に生まれても、幸せに成れるってもんじゃないんだね」 「まぁ、な。 んで、最愛の男を嫉妬した別の男に奪われてから、人生を変えた女がモナなのさ。 毎夜、そのモナって女は貴族のパーティーに出席し、一人身の若い貴族や学者と哲学や歴史の解釈を論じ。 そして、誰と構わず選んだ男と床を共にしたんだとか」 「そ・そんな家柄のいい人が、娼婦みたいに成ったの?」 「あぁ。 その後のモナは、生涯旦那を作らず。 自分の美貌が老いに負ける前に、美しいままで居たいって自殺したって話さ。 サラっと聞くと変な女かも知れないが、本心は違ってたんだろう。 愛する男を失い、自分を欲した他の男を恨んだ。 だから、大金を積まれても誰かの女にはならず。 誰とでも寝て、女の本心を見せ付ける為に敢て・・・な。 今じゃ、その娼婦の様な一面だけ残って、大事な本人の思いなんか忘れ去られてしまった訳だ」 自分の渾名の真実を知るモナは、その本当のモナとの気持ちが解らないとは言えない。 「・・・男って、何時も身勝手で残酷ね」 「かもな。 だが、それは別にして…オタクにも、本当の名前が在るんだろ? そろそろ、本当の名前で生きてみたらどうだ。 今、オタクを縛っていた薄汚い糸が切れた。 纏わり付く柵の糸の全ては消えていないだろうが、風に舞う枯葉みたいに自由だろ? 駄目元で、いっぺんだけ上を見上げてもいいんじゃ~ないか、と思うゼ。 ほれ、その腕の中の子供にしてみれば、汚れたと言い張るオタクでも大切な命の恩人と成る」 「でも、アタシは……」   モナの内心に、過去の全てが縛り付く様で。 新しい生き方など、出来無そうで怖い。 「脅える必要在るか? オタクの抱える子を産んだ親は、男に汚されても心を汚さなかった。 だから、オタクを助ける魔法を唱えられた。 身体なんて、生きてりゃ幾らでも汚れる。 だが、心は真っ直ぐにすれば、幾らでも清められる」 「………」 モナは、マリーを見つめる。 あまり言葉を続けても意味Kは、最後にと思い。 「生きたその赤子を抱いただけで、オタクは憎しみや過去の悲しみで枯れた心を潤わせた。 まだ、立ち直る一面を持っている証さ。 過去は、あくまでも過去、塗り替えられはしない。 でも、今、今から先は変えられる。 この数日、色んな運命の今が変えられたのがいい例だ」 後は、モナが決める事だと思った。 だが。  モナは、マリーを見て堪えきれないままに。 「アタシなんか・・、そんなに強く生きられないよ。 子供も居ないし、みぃんな奪われた能無しさ。 母親に成り損ねて、のうのうと生きる・・ゴミなんだよ。 赤子は、親を選べない。 失ったお腹の子供だって、アタ・アタシなんかに宿らなけりゃ…」 モナの話を聞くKは、少しばかり昔を思い出していた。 そして、声を押し殺して泣くモナに。 「親が子を選べないとか、子が親を選べないとか。 そんなの、言い訳だ。 アンタだって、見てきたハズだろう? 夜の女として働く者にだって、時として家族があり。 未熟さ・・いや、自分の我儘から子供を死なす親。 逆に、男の前では爛れた女なのに、金を掴んで家に戻れば普通の母親に変わる女も居る」 「なんで・・男なのに……」 涙目のモナは、頭が混乱していた。 Kは、随分と女の内面を知っていると思え、それを認めるのが躊躇われた。 すると、Kはソファーに起きていた。 「見てきたからな…」 モナは、チラっと見たKの背中を見て、目を向けたままに。 (こ・この男・・・まさか泣いてるの?) 自分の目に溜まる涙の所為でそう見えたのか………。 だが、何度見てもその背中には、悲しみでも背負っているかの様な憂いが見え隠れしている。 不思議な男だった。 Kは、少し脇を向いて。 「前にな、行きずりで娼婦とその子供を助けた事が在った。 親子して別々の病を患って、胸なんかの身体の所々を病み。 互いに咳しながら・・血を吐いてな。 毎日の僅かな生活の糧を得て身体を癒す場所を求める為、母親は壊れた身体を売ってた。 旅をしながら、街を変えながら……」 「それは娼婦でも・・一番下の人間だね。 病気持ちの女なんて、客も一度で嫌がる。 客が取れなくなったら、街を変えるしかないから…」 「ん…、娼婦の生業も暗黙だが掟だってあるしな」 「その親子、どうなったのさ」 「どうもこうもない。 その二人は手遅れでな。 俺は、その二人を看取った。 だが、子供は・・7歳で死ぬそのときまで笑顔でさ。 母親に、“ありがとう”って…感謝して逝った。 産んでくれた事を素直に感謝して逝ったよ。 それまで泣いて悔やんでた母親も、最後にはその言葉に救われてた。 俺は、あの時だけは確信した。 この子供は望んで・・この母親に産んで貰ったんだとな。 母親も、身体をすり減らしてその子供の感謝に応えた。 “選べない”んじゃない」 そう言ったKを見るモナは、自分の弱さに向き合う様で何も言えない。 Kは、それでも続け。 「確かに、俺があのライナを助けたのには違いないが。 母親として、俺に繋がる運命を手繰り寄せたのは、母親として必死だったライナ本人。 その子供だって、ライナを母親として望んで、小さな心で決めて生まれたと思うゼ」 Kの話を心に沁み込ませたモナは、思わず寝ているマリーの顔を手で軽く触れた。 触られた事で、また・・モゴっと口を動かす。 マリーの頬を撫で、小さな手に小指を当てると。 マリーは、安心を確かめる様にニギニギと手を動かす。 それが丸で、 “大丈夫” と、言われている様で、モナは静かに涙を止められなかった。 もっと子供の温もりを感じたくて、もっと母親らしい事をしたくて、マリーの手に小指を入れてみると、その小さな身体に宿る優しい温もりが伝わる様で。 可愛くて・・可愛くて……。 モナの内面が、壊れそうな程に熱く揺らいでいた。 Kの話を聞いて、反発も出来ない自分を見つめ出したモナが、確実に其処に居る。 Kは、もうモナを見ずに。 「ん、喋って喉が乾いたな。 紅茶、飲むか?」 モナは、か細い声で。 「この子の・・母親の分も」 「解った……」 Kは、一つ下の階に在る給仕場に向かった。  モナは、マリーを抱きながら問うた。 自分の気持ちを、自分に。 逃げ続けるべきなのか、立って上を向いてみるのか。 マリーを見ながら、問うた。 問うた……。 その部屋にライナが戻ったのは、その直ぐ後。 Kは、少しの間戻らなかった。              ★ 「おっ・おい・・。 お前ぇ、何をし始めたんだ?」 次の日、朝には戻って来たクラウザーは、女性が増えて賑やかなシークレット・ルームに肩が落ちた。 リュリュは、マリーを抱えてクラウザーの前に来ると。 「ホラホラ~、ジィ~ジ」 紅茶を飲むソファー上のKは、眠そうな目で。 「色々在ってなぁ~。 客が・・増えた」 ウィンツの身柄を自由にする所から、その後の事件の話を聞いたクラウザーは、何よりもKに呆れた顔を向け。 「お前、ほっ本当に病気じゃないのか? 前のお前なんかよ、それこそ一人救って、5人不幸にする様なヤツだったろうに。 何だ、ぜぇ~んぶ助ける人に成っちゃったのかよ」 クラウザーの口から、“成っちゃった”とは笑える。 せせら笑いを浮かべ、目を細めるKは、 「仕方ないだろう? んじゃ、誰か見殺しにした方が良かったか?」 と、悪態と見せる。 リュリュの抱く赤子を見るクラウザーは、 「信じられん……、悪魔が神に変わったみたいだ。 おかしい、なんかおかしい」 「ウルセエ。 それより、出港は?」 「ん? あ、あぁ。 今日の夕方前だ」 Kは、リュリュと見合い。 「妥当か…。 数日は雪が少ないし、強い風も減るからな」 そんな頃。 操舵室のデッキでは、カルロスがウィンツに礼を述べていた。 船の管理において、見事に働いていたからだ。 船の各階には、続々と客が戻り始めていて。 出港に向けた準備が行われていた。 もう、ライナとモナに脅威は無く。 この部屋じゃなく、ルヴィアの居た部屋に移る事も容認され。 その移動をルヴィアとオリヴェッティが手伝う。 夕日が冷たく澄んだ空を赤紫に染め、暗い夜の訪れを示す空に星が見える頃。 汽笛を鳴らしたクラウザーの船は、出港した。 さて。 静かに成った部屋で、Kは紅茶を飲んでいた。 其処へ、船長室から降りて来たクラウザーが見え。 「お、紅茶か。 一つ、ワシも貰うかな」 Kは、テーブルの上に用意されたティーセットからカップを一つ表に返し。 「クラウザー、今回は何かと迷惑を掛けた。 済まない」 一人用のソファーに座るクラウザーは、それこそ感謝など珍しいと云った顔を示し。 「お前に似合わない言葉だなぁ。 ま、犯人側の女を助けたのには疑問を思ったが・・、赤子を助ける為に裏切ったと聞けては、な。 しかし・・、何と云うか。 女は水物。 いや、母性ってのは、こうも強いものか」 紅茶を注ぐKは、静かに。 「だな」 カップを手にしたクラウザーは、その香りに。 「いい香りだ・・。 そこの棚に在ったヤツか?」 「あぁ、一手間加えてあるだけさ」 香りと啜った味で、ワインが入ってるのはクラウザーでも解る。 だが、ワインティーのそれとは、どうも赴きが違う様で。 「こいつ・・ワインが入ってるのか? ん~、だが、にしては酒っぽくないな」 「熱湯にワインを落して、少し待ってアルコールを飛ばしてある。 少し醒めたその湯で、長く煮出した紅茶さ。 そこの棚に在ったワインで、一つ助けた二人に似合ったワインが在ったからな。 昨夜、これと同じものを二人に出した」 味わいながら飲むクラウザーは、紅茶の香りを感じながら。 「確かに、女性らしい味わいだな」 「あぁ。 ・・処で、フラストマドには、どのくらい停泊する?」 カップを置いたクラウザーは、深く腰を沈め。 「ん…、短くで3日。 長ければ、7日ほどか」 「乗り込む客の数と天候によりけり、か」 「ん。 客の半分は降ろすし、魔法学院領土に行く人を集めなければならん。 このままでは、チョイト足が出過ぎる」 「確かに、これまででちぃ~っと日数を食ってるからな。 高級部屋を借りる金持ちにでも乗って貰いたい所だ」 「そう、その事よ」 この後クラウザーは、少し黙っていたが…。 「そう言えば。 あの赤子の母親、旦那と一緒に襲われたとか言ってたが、旦那はどうなった?」 ティーポットから紅茶を自分のカップに注ぐKは、そのままに。 「どうもこうも…。 今頃は、フラストマドとホーチトの国境都市に着いた頃じゃないか」 背凭れに首を預けていたクラウザーは、少し顔を起こし。 「あ? 旦那は無事なのかいよ」 と、訛りを交えた。 素直に驚いたからだろうか。 「当たり前だ。 ライナを襲ったジョンソンと仲間の連中の目的は、旦那であるユリアンとか云う男の身柄確保。 ライナと娘は、とばっちりを食ったってだけだ」 「とばっちりって……おい。 母親の女をかどわかし、娘の赤子を盾に犯してたのは、そのジョンソンとか云った野郎にしてみたら只の遊興ってか?」 感じた事を口にしたクラウザーは、ムカムカっと来るままにKへ聞き返した。 「そうだ。 当初、ユリアンって男を捕まえて、或る貴族の家に届ければ良かっただけの依頼だった。 だが、ユリアンと云う男には、ライナと云う女と赤子までが在り。 性根の腐り切ったジョンソンは、それを聞いて金を多くせしめ様とライナと赤子を誘拐したんだ。 ユリアンと云う男が貴族で、その野郎の身柄を欲したのも貴族出の商人だったからな」 「然し、よ。 欲した理由は、一体なんでじゃ?」 「どうでもいい内容さ」 と、Kはクラウザーに全てを語った。 ユリアンと云う男の名前は、実は偽名だ。 彼は、ホーチト王国とフラストマド大王国の国境都市に根付く名門貴族の次男だった。 顔が良く、習った剣の腕前も悪くない彼だが、次男である以上は家督など継げない。 然も、若さ故の反発から冒険者に成る。 そして、ユリアンは後妻の連れ子で、貴族の家柄の世襲制度からすると正式な血統では無いのだとか。 何処にでも有る話のようだが、趣が変わるのは此処から。 ユリアンの実家を継承した長男夫妻は、地元でも名の売れる程に勤勉で真面目な貴族だったとか。 また、その一族の本家はフラストマドの王家に近い侯爵筋で、そこに事件の根幹が在るのだった。 今を遡ること3年前。 その本家の当主が死去した。 妻には娘二人しか居らず、その二人も既に嫁いでいる。 本家筋に、分家の当主が売り込み合戦を始めた。 だが。 仮の当主となった奥方は、流石に上流貴族の出だけあり、野心旺盛で金を使って売り込みに来る分家の面々を毛嫌いした。 そして、唯一分家としての分を守り通すユリアンの兄の一家に目を付ける。 息子2人に、娘4人。 時期当主の跡取りも在り、方々の貴族に出す誼を見込める娘も多く。 本人とその妻が至って真面目。 正に、望む跡継ぎがその一家だった。 処が、直ぐに…と云う訳にも行かぬので。 侯爵本家は、幾つもの式儀を分家筋の家督を継ぐ者に任せ、その取り仕切る姿を世間に見せた。 すると、中でも何の落ち度や失礼も見せなかったユリアンの兄一家。 周囲からしても、何処に出しても確かな一家だ…と、知らしめる結果になる。 本家の当主たる奥方は、願ったり叶ったりの結果で大喜びした上で。 去年に王国政府へ家督移譲の申し出を出した。 この後、最初は強く固辞したユリアンの兄だが。 本家の当主代行である奥方より懇願され。 また、分家方の識者よりも、本家を守れと説得が在り。 今年の夏に、漸く申し出を承諾した訳だ。 だが、さて…。 こうなると、問題はユリアンの実家の家督が宙に浮くと云う事。 これに目を付けたのが、もう死んでいたユリアンの母親を出した家だ。 同じホーチト王国の貴族で、分家出の商人だったユリアンの実の祖父は、ユリアンを呼び戻してその家督を継がせようと思惑を立てる。 ユリアンを金で手を回して探させる一方。 ユリアンが見つかったなら、早期に身を固めさせる為に落魄れた貴族の娘で、気立てや美しさの栄える若い娘まで探しておいた。 処が、いざ見付かってみれば、余計なオマケの存在が居た。 そう、ライナとその子供のマリー。 ジョンソンは、ユリアンに妻と子供が居ると知って、ユリアンの身柄を押さえると強請りを始めた。 ユリアンの身柄引き渡しに、報酬の増額を求め。 金をせしめた事に味を占めて、次はユリアンの血を引くマリーを身代に、更なる金を要求した訳だ。 ライナは、直ぐに殺す手はずだったが、母親としての魅力が女らしさを増しさせていたのをジョンソンは見初め。 モナの代わりの、欲望を満たす愛人にしてしまったと云う処。 此処まで聞いたクラウザーは、Kに怒りの顔を向け。 「カラス、良くやった。 ちきしょうめ、ウィンツの事も含めて、ワシが叩き斬っても良かったわえっ」 と、息巻いた。 然し、運命は其処から変わった。 ウィンツの一件で、Kがその騒動に分け入ったからだ。 ジョンソンが死んだ御蔭で、ライナは逃げ。 そして、悪党達はトントン拍子で進んだ脅しと儲け話が消えかかる事に焦った。 ジョンソンの影の手先として働いていた悪党の頭目は、狡猾なジョンソンを失って交渉を難航させた。 そして、早期に逃げるべく、安い金で赤子と母親の抹殺の代金で手を打とういう事になり掛けていた。 ま、Kによって全ての陰謀と計画は瓦解したが。 国境を越えて逃がされたユリアンは、お咎め無しになる。 ユリアンの祖父は、もう隠居して小口の金貸しをしているだけだと云うから、裁きにはその老人のみが首謀者として掛けられるだろうが。 クラウザーは、腸の煮えくり返る様な憤りを覚えながら。 「んで? ユリアンとか云うそのアホウは、実家に帰ったって訳かよ。 あ゙っ?」 「そうだ。 若くピチピチの美人を娶れて、待望の貴族の実家を継げる事に喜んでたらしい。 なんせジョンソンにな、邪魔になってくるライナとマリーの事をどうしたらいいか訪ねたのは、男親のユリアンとか云うその男からだそうだ」 「な゙っ! 何だとぉ?」 何処までもフザケた男だ、と苛立つクラウザーで。 Kは、醒めた瞳で窓を見ながら紅茶のカップを手に。 「ジョンソンは、その一言で計画を転換。 更に、金をせしめる策を考え始めたとか…。 俺に言わせたら、ライナは別れて正解さ。 そんな男と一緒に居たら、何れ今回の謀略が無くても、ライナと赤子は捨てられてた気がする」 「うむ、ワシも同感だ」 「つ~か。 本気で邪魔に成ったら、父親に娘が殺される可能性も…な」 「在りうるわい。 そんな薄情な男じゃ、全くを持って頷ける。 …だが、そうなると何処までも可哀想なのは、あの母子。 寧ろ、此処で決別出来て正解かも、の」 「あぁ。 だが、ライナの心に付いた傷は大きく深い。 娘が居なかったら、自殺してかもな」 「なるほどのぉ、僧侶じゃから尚更じゃな」 クラウザーの語りが落ち着き、ジサマ染みて来る。 紅茶を啜ってからKは虚空を見て。 「聖職者は、厳格な教えのみで帰依し、魔法の加護を得る。 だが➰、教えられる事では、汚された後の苦しみは拭えない。 ふん、それでも神ってヤツは、妙に人生へ味付けを変える様だ」 「あ? それはどうゆう事だ」 「モナ…。 ライナに、モナを引き合わせる運命さ。 ライナは、同じ女としてモナに同情してる。 モナも、その逆に同じ。 その二人の間に居るのが、赤子のマリーだ…。 辛辣な運命を用意しておいて、微妙に優しさを残してる。 運命なんて用意を神がするなら、どうも面倒な仕方だと呆れるよ」 こう言っては、また紅茶を軽く傾ける。 その様子を眺めたクラウザーは、意味在りげと微笑し。 「それを云うなら、お前と云う救済者を引き合わせた采配に、ワシは拍手を送ろうかな。 無実の母子が救われ、俺の弟子のウィンツが自由になった」 クラウザーが食えないと、Kは醒めて失笑する。 「はっ。 俺は、自分のした事の後始末をしただけさ。 ン年前、ジョンソンのアホを生かした俺の不手際の、な」 「なにを…。 お前、其処でそんなガキみたいな」 「いいじゃないか。 アンタより、十分に若い」 クラウザーは、褒めた自分が詰まらなく見える言い草に。 「おいおい、そうゆう問題かよ」 と、目を細めた。
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