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≪不安の蔓延る海≫
危険な海域を通る航海を避け。 来た航路を戻る形で、北の大陸の南側沿岸を沿う様に航海をするクラウザーの船。 クルスラーゲの交易都市を出て、3日目の夜の入りである。
操舵室の窓から外を見るカルロスは。
「クラウザー様。 今の時期、外の温度にしては、凄い濃霧ですな」
と、不安を覗かせる言葉を漏らす。
夕方から、穏やかだった北からの風が南からの風に変わり。 最も大陸から離れた海域に達する明日を前に、不安を齎す濃霧の中へと入った。 陽の光を遮る程の濃霧の中に入った船は、目隠しをされたのも同然。 クラウザー達船員は、コンパスと経験を頼りに、速度を落とした状態で航海を続けている。
カルロスの言葉を受けるクラウザーは、静かながらも言葉鋭く。
「カルロス、気を引き締めろ。 今夜は、見張りを少し増やせ」
その言葉に、カルロス以下船員達がクラウザーを見る。
操縦士の女性魔術師が。
「クラウザー様。 もしや、モンスターでも出るのですか?」
「いや、そうでは無い」
「では、何故に見張りを?」
「いや、な。 さっき霧が出始めてから、客の僧侶数人が気分を悪くした。 ワシは、若い頃に2・3度だが、ホラーニアン・アイランドや幽霊船に襲われ掛けた経験がある。 ヤツラは、霧の後に出没していた。 もし、この霧がその予兆とも云えなくない。 航海には、必ず念には念を入れる時が来る。 だから、そうするんだ」
カルロスは、船の警備を担当する船員に目を向けた。 向こうも、頷いて受け止める。
クラウザーは、夜遅くまで起きる事にして。 一階のホールや二階の高級ラウンジなどを見回った。 霧に不安を見せる客が出るのを見越し、自ら出向いて落ち着きを促す。
一方で、ダンスや音楽を見たがったリュリュを連れ、一階まで降りていたK。
人の多い場所を見回っていたクラウザーは、そんなKを見つけた。 食事の出来るラウンジ前で、中一階の広いホールを見るリュリュと共に、手摺に身を預けて居るKに近付き。
「珍しいな。 御主が、人の多い所に居るなど」
果汁の入ったグラスを持ったKは、脇のリュリュを見てやって。
「コイツが、ダンスを見たいとせがむからだよ」
クラウザーは、リュリュを見る。 目を輝かせて、下で行われる手品やダンスなどに見入っているリュリュが居た。
(なんだかんだと、コイツも面倒見のイイ奴だ)
と、Kを見て思う。
然し、直後にKへ身を寄せるクラウザーは、顔を引き締めて。
「なぁ、僧侶が相次いで気分を悪くした。 何か、悪い前触れではないかな」
Kは、アッサリ頷き。
「んだ。 此処から東南に離れた場所。 其処に、幽霊船か、悪霊島(ホラーニアン・アイランド)が居る」
クラウザーは、目を凝らしてKを見て。
「本当か?」
Kは、果汁を一飲みしてから。
「あぁ。 感じ方としては、微か。 恐らく、向かって2日は掛かる場所だ。 普通で行けば、先ず遭遇しない」
「そ、そうか」
「だが、気に成る」
クラウザーは、Kの言う事なだけに。
「何がだ? 言ってみろ」
「ん~、普通よ。 幽霊船や悪霊島ってのは、こんなに遠くでは感じられないんだ。 幽霊船は海に沈んで居たり。 悪霊島は、島に近付き擬態する。 動かない状態のアイツ等は、精霊の波動を抑えるからな。 俺だって、もっと近付かないと解らん。 だが、今は何故だか解るんだ」
「お前、それはつまり…」
「そう。 ヤツは、何かに向かって動いてる。 これだけ遠くからハッキリするって事は、獲物を見つけてる可能性も在るな」
クラウザーは、顔色を曇らせた。
「この船でなければイイがな…」
すると、Kは。
「いや。 恐らく違う船だろう。 この航路の南下は、コンコース島を経由する航路の一つなんだろ?」
クラウザーは、手摺りに身を預け。 南側に指を向けると。
「あぁ。 北の大陸の西側の国から、東の大陸に船を出す場合の一般航路だ。 10日から、14・5日でコンコース島に着く」
Kは、その指の向きを見て。
「ん~、少しズレるな。 感じるのは、向こうだ」
と、自身も指を向けた。
クラウザーは、そのズレを見て。
「角度にして、10℃ぐらい。 確かに、コンコース島へ行く航路から少しズレている。 その方向は、ホレ。 この前に話した、孤群諸島の在る方向だ」
Kの目が、其処で細まった。 直ぐに反応した様な、斬り返しの間合いで。
「おい、クラウザー…。 もしかして、もしかするぞ」
「ん?」
「ホラ。 アンタの弟子の船…」
クラウザーは、グッと目を見開き。 そのまま、固まった。
果汁を飲み干したKは、はしゃぐリュリュを見てやってから。
「航海法では確か、モンスターに襲われた船を救出に向かうのは御法度だったよな? 死体掘りが、死体に成らない為に」
緩やかに俯き出すクラウザーは、
「そうだ・・」
と、呟くのが精一杯だった。
海上で孤立した船がモンスターに襲われた場合。 乗っている冒険者などが優秀でも無い限りは、助かる可能性は限りなく低い。
(嗚呼、嗚呼…。 まさか)
導き出された予測に、クラウザーは絶望に身を抱かれた気がした。
★
霧が立ち込める中、次の日の朝を迎えた。
オリヴェッティが起きて、クラウザーの居る船長室に向かうと。 昨晩、遅くまで起きていたクラウザーは、もう起きていた。
「おはよう御座います。 昨日、かなり遅かったのに。 お早いですね」
テーブル前に座ったクラウザーは、オリヴェッティに驚き。
「おっ、おお。 あ~、おはよう。 いや、霧が濃くてな。 乗客に不安を感じる者も多く、こっちまでな」
オリヴェッティは、自分とリュリュが寝た後。 Kを船長室に呼んだクラウザーなだけに、
“何か不安でもあるのではないか”
と、思っていた。
その意味が周知に成るのは、霧が晴れた昼である。
珍しく、操舵室にK達を居れっ放しにしたクラウザー。
カルロスなどは、部外者が居るのは気に食わない様子である。
昼食を操舵室内のクラウザーが詰める指令場で済ませたKは。
「クラウザー、霧が完全に晴れた。 奴等め、獲物に狙いを定めた可能性が強いぞ」
緊張の顔を解かないクラウザーは、椅子に座ったKに。
「やはり、霧は関係在るのか」
「あぁ。 濃霧でも、奴等の吐き出す“瘴霧”(ノウズミスト)は、独特だ。 奴等の動く周りは、魔の力と闇の力が混ざり、温度が下がる。 其処で発生する濃霧には、奴等の纏う瘴気が含まれるんだ。 それに隠れて、獲物を探して回り。 襲う時に、霧を風に乗せ方々に切り離す」
「何で、そんなに回りくどい事を?」
「簡単な話さ。 風を捕まれたら、奴等より今の船は早い。 先回りするために、姿を隠す隠れ蓑にしてるんだよ」
「では、晴れたと言う事は・・まさか?」
「あぁ。 もう、襲う相手を補足することが出来たんだろうな。 然も、今は意外に近い」
「なぁ、なんだとっ!?」
大きく驚いたクラウザー。 その声に、カルロス達が一斉に顔を向け。 操舵室の外れで椅子に座っていたオリヴェッティやリュリュも、二人を見た。
二段ほど高い指令場。 その床に備え付けられた大型チェアーから勢い良く立ったクラウザーは、険しい顔で。
「何処だっ!?」
Kは、南東に指を向け。
「この方角。 感じ方からして、船で四半日と掛からない所だ」
クラウザーは、一気に焦り出し。
「なんだとっ!!? 昨日は…」
Kは、慌てるクラウザーを見て。
「落ち着け、クラウザー。 奴等は、恐らく深夜から朝方に掛けて、海に潜ったんだ。 早い海流に乗り、先回りをしたんだろう」
クラウザーは、一段高い指令場から窓の外を見た。
(解っていても、助けられんっ!!!!)
Kも窓の方を見て、
「警戒しろ。 恐らく、奴等と狙われる船が出会うのは、俺達の乗ってる船から目視も出来る可能性が在る。 奴等は、“二つの獲物”を狙ったんだ」
Kのその話を聞き、クラウザーは最悪の事態を理解した。
「ま・まさか、この船も?」
「そうだよ、クラウザー。 俺達の居る海域は、アンタの見せてくれた地図からするなら、陸地から断続的に続くラグーンを形成する浅瀬の外側。 小型商業船や中型貨物・旅客船なら、浅瀬ギリギリの早い潮の流れに乗り込めるがな。 この大型船では、浅瀬付近へ入るのは無理だ。 幽霊船を操るのは、海で死んだ船長などの亡霊を従える死霊や悪霊。 モンスター相手だからと、奴等が船や海に詳しくないなんて無いんだぜ?」
「なんだとっ!? だがっ、昨日の距離では、此方の船など見えないハズだっ。 それとも奴等は、こっちが見えてるのか?」
「多分。 “見渡し”の魔法は、魔想魔術や暗黒魔法の高等呪術。 見えている可能性は高いし、親玉のモンスターも相当に強い。 第一、こっちはクソ多い人が乗っかってる大型客船。 生命波動を、稲妻の様な大音量で発生させている様なモンさ。 この海の上でそんなもんは、高位のモンスターなら直ぐ解る。 奴等は、ソレを求めて彷徨う狩人と同じだからな」
クラウザーは、死ぬかも知れない恐怖が間近に差し迫っている事に震え。 Kをギリリと見て。
「お前っ、解ったなら何で…」
すると。
クラウザーを見たKは、フッと口元を微笑ませた。
(なぁっ!?)
この非常事態の中で、尚も余裕で笑えるのが不思議だった。 クラウザーは、思わず焦りを忘れた。
Kは、緩やかな声で。
「クラウザー。 アンタは、助けたいだろ? 航海法からするなら、片方が狙われても助ける事は出来ないだろうが…。 両方狙われたら、助け合ってもイイんじゃ~ないか? ドサクサだしなぁ~。 要は、相手を潰せばイイ話だしさ」
と、クラウザーの目を見抜く。
クラウザーは、簡単に言ったKの狙っていた魂胆を、今の此処で見せられた気がした。
(コヤツ、俺の為に?)
椅子を巡らせたKは、緊急事態だとだけは察して居るカルロスや、他の船員達を見回しながら。
「クラウザー。 アンタが俺を、“化け物”と称した。 その褒め言葉に、今、応えようか。 旅の道連れに来る仲間が、終始塞ぎ込んでる時化た冒険なんざ~詰まらないからな」
こう言うと。 カルロスに視線を合わせ。
「これから俺が、向かって来る幽霊船に乗り込む。 別の一隻の船も助けるから、このまま航海してくれ。 もしかしたら、助ける船は壊れてる可能性も在る。 余分に客を収容の出来る準備だけしてくれ。 表立った余計な警戒は要らないゼ? 下手に騒ぐのは、無駄だからな」
と、席を立った。
“幽霊船”と聞いたカルロスは、もう気がおかしくなる様な驚きと焦りを滲ませ。
「なぁっ・何だとぉっ!!? お前っ、フザケてるのかぁーーーーっ!!!!!!」
操舵室に、金きり声の様な怒声を叫び上げた。
Kを高みに見上げる船員達の顔は、緊張と怯えに満ち始めたもの。
オリヴェッティに到っては、ステッキを持つ手を微かに震わせながら。
(ゴ・ゴゴ・・幽霊船“ゴーストシッパー”って、世界で船を沈める悪霊の巣窟に成った船でしょっ!? 今まで助かった事例なんて、ほんの一握りだけだわっ!!!)
自分の知りうる知識を引いて、この船に差し迫る緊急事態に恐れ戦く。
だが、階段を使ってカルロス達の居る場に下りて来たKは。
「デケぇ声を出すな。 客に聞かれた、無駄にパニックだ。 誰も、アンタ等に期待なんかしないさ」
と、カルロスの前を歩き抜け。
「お~い、リュリュ。 一暴れしに行くぞ」
と、リュリュに声を掛けたので在った。
緊張し始めた周囲を見回しながらも、何が起こってるのか今一解ってないリュリュは……。
「ケイさぁ~ん、何処に行くの~?」
と、暢気な質問をKに返し。
「海の上に、亡霊の集まった船が在るんだ。 その船に、この船と別のもう一隻の船が狙われてる。 ちょっくら行って、ブッ潰してしまおう」
と、Kも、何の差障りも無い様な言い草で言うのだ。
操縦士の魔術師達やカルロスの周りに居た船員達は、その場違いな空気を出すKに、なんとも言葉が出ない。
「わぁ~いっ、モンスタ~退治だぁ~。 イクイク~」
一人ではしゃぎ出すリュリュは、ルンルン気分でKの方に歩み出す。
Kは、立ち尽くすクラウザーを見上げると。
「クラウザー。 魔術師や僧侶達が騒がないように、至急手を回せ。 そろそろ勘のイイ奴等は、瘴気に気が付く筈だ。 それから、向こうの船が壊れてた場合も想定して、客室に人を入れられる用意も頼む。 あと、緊急用の船を借りるゼ。 こっちから乗り込むからよ」
まるで突発の客に対する食事の注文でもしているかの様な、その軽々しい言い草。 聞いたクラウザーは、Kでなければ気狂いだと思う。 呼吸を整える為に、少し間を置いたクラウザー。
「………、解った。 それだけでいいか?」
「あぁ。 所で、脱出用の船は、幾つ在る? 横付けされてる2隻だけか?」
「そうだ。 一般の小船よりは、二回り大きいヤツだがな」
「了解した。 んじゃ、そろそろ行く。 手配は早くしろよ。 金持ちは一端騒ぎ出したら、騒ぐ鳥みたいにウルサイ。 俺とリュリュのする事は、知られる必要も無い事だからな」
言ったKは、首を回らせオリヴェッティを見ると。
「どうする? 暇つぶしに、来て手伝うか? スリルだけは味わえるゼ」
「え?」
聞かれたオリヴェッティ。 クラウザー以下、船員や仲良く成り始めた操縦士の魔術師達に見られた。
だが、Kとリュリュが行くのであるなら、リーダーの自分が逃げる訳にいかないと。
「はい、行きます。 先に襲われる船は、別の船なんですね?」
「多分な」
「では、一般の方を助ける為にも、行きます」
「ん。 じゃ、下に下りろ。 ホレ、その右奥の扉は、甲板まで降りてる」
リュリュは、スキップをして非常用の連絡階段に出る扉に向かい。
「わ~いわ~い、ゆっれい退治~ゆっれい退治~」
リュリュの後を歩くKは、
「リュリュ。 お前は怪我するとメンドーだから、立ち見でもいいぞ」
と、云えば。
「や~だやだ、ケイさんみたいに戦うんだぁ~」
と、駄々っ子の様なリュリュである。
「やるのはいいが、怪我するなよ。 ピーピー泣かれるのは、面倒だ」
「泣かないモンっ。 男の子なんだぞぉ~」
Kとリュリュの雰囲気は、何処かに遊びの探検に行く子供の様な雰囲気すら醸し出す。 これからモンスターと戦う者達の様子では無かった。
Kの後を行くオリヴェッティは、不安げにクラウザーを見上げたり。 言葉を忘れた様な船員達を見る。 本当にモンスター退治に行くのか、実感が湧かない自分が居るのを持て余す気分であった。
先に、非常用の扉を開き。 高い場所に在る操舵室から下に降りる階段の踊り場に出たリュリュ。 ブワッと冷たい風に吹かれ。
「イイ~風さん。 わぁ~、此処って高ぁ~い」
Kも、外の狭い踊り場に出ては、
「全く、これだけ金を掛けた船の割に、脱出階段は連結梯子って…。 バカじゃないか?」
と、二階づつ下の外付け廊下に降りる梯子階段を見て呆れた。
リュリュは、嬉しそうにさっさと梯子階段を降り出す。
Kに到っては…。
「面倒だな」
と、オリヴェッティの出て来た目の前で。 10階建てに相当する高みから、梯子を使わずに飛び出した。
「ケっ!!」
目を飛び出さんばかりに驚いたオリヴェッティは、Kの飛び出した方の手摺に飛び付く。 高さの恐怖も忘れて下を見れば…。 Kは、梯子階段を下りた下の踊り場の手摺に掴まっていた。
そして、丁度Kの居る踊り場に降りたリュリュが、先に居るKを見つけ。
「あ~、ケイさ~んずるぅ~い~」
「俺は、イイんだよ。 オリヴェッティとゆっくり来い。 船を風で動かすのは、オマエなんだからさ」
「ふぇ~い」
オリヴェッティは、やはりKとリュリュは人を超えた何者かだと確信した。 Kの突拍子も無い行動に、全く驚かないリュリュもリュリュだ。
(はぁ。 とんでもない方々とチーム組みましたね・・、私)
あまり高い所が好きでは無いオリヴェッティだが、仕方なくその梯子階段を下りる事にする。 海風が強めに吹き付け、降りる瞬間から怖い。 長いが、タイトな白いスカートを穿いていて、今日は正解だったと思う。
先に飛び降りたKは、もう甲板の上に。
濃霧の影響で、甲板には客の誰も出してない中。 Kを見つけた下働きの船員がやって来て。
「お客さん、今は甲板には…」
と、言って来るのに対し、Kは。
「緊急事態だ。 クラウザーの頼みで、脱出用の船を二隻借りたい。 何処に在るのか、教えてくれ」
下働きの船員達は、クラウザーと肩を並べて対等に話す黒尽くめの包帯男を噂にしていた事も在り。 Kの言葉を聴き。
「緊急事態だって?」
「あぁ、厄介なモンスターが近くに居る。 チョイト行って、撃退してくるのさ。 ま、この船に近づけると面倒だから、こっちから出向く。 このまま、客は外に出すな」
“モンスター”と聞いては、下働きの船員も顔を驚かせ。
「どっ・何処にっ!?」
「まだ、少し離れてる。 目で見えたら、大変な事になるぜ。 モンスターの事は、俺達に任せろ。 とにかく、俺達がモンスターの方に向かったら、悟られない様に静かにクラウザーへ指示を仰げ」
「あっ・あぁっ。 脱出用の船は、後ろの右側だ。 ロープで括り付けてある」
甲板の後尾に向いたKは、その船員に。
「解った。 じゃ、リーダーの女性と若いのが、この緊急避難用の梯子で降りて来るから。 俺の居る脱出用の船に案内してくれ。 俺は、先に行ってる」
Kは、甲板の後尾へと向かった。
オリヴェッティとリュリュが降りると、Kに言われた船員の案内で脱出用の船に案内される。
先に船に乗り込んでいたKは、甲板の縁に回してあったロープで船の前後を繋いでいた。
脱出用の船に射した影に気付いて、上を見上げたK。 覗き込んで来たリュリュとオリヴェッティを見て。
「行くぞ、船に乗れ」
オリヴェッティは、まだ海に降ろしても無い船を見て。
「えっ? あっ、でも…」
と、言うのだが。
「わ~い、モンスタァ~退治だ~」
と、リュリュがヒョイと縁から飛び降りる。
「わぁっ」
驚く船員だが、リュリュは難なく船に着地。
Kは、少し高さの在る中。
「受け止めてやるから、早く」
と、オリヴェッティに言う。
甲板に出たオリヴェッティは、死霊系モンスターや亡霊モンスター特有の禍々しい闇のオーラを、右側から仄かに感じる。
(本当に居るんだわ。 い、行かなきゃ)
と、勇気を持って甲板の縁から下に飛び降りた。
オリヴェッティを抱き止めたKは、直ぐに降ろし。
「リュリュ。 前の船に乗って、風で運べ。 俺は、後ろで櫂を使って舵取りをする」
「“舵取り”?」
意味の解らないリュリュに、Kは抜く手も見せずして船を繋いだロープの繋ぎ目を斬った。
「きゃっ」
いきなり落下し始めた船に、オリヴェッティは驚くも。
船員が身を乗り出して見下ろす中。 二艘の木製である脱出用の船は、バシャンっと飛沫を上げて海面に落ちた。
しがみ付くだけで精一杯だったオリヴェッティは、顔や髪に波にぶつかった飛沫を受けたが。 立ったままのKとリュリュは、余裕の態度でバランスを取り。 何事も無かった様に動き出す。
Kが先に。
「説明は後だ。 風で波の上を走れ、リュリュ」
「ういういさ~」
応えたリュリュは、ニコリと微笑み。 闇のオーラがする方に向くと、その目を蒼翠(そうすい)のオーラで光らせる。
瞬間。
(はっ)
船底にへばったオリヴェッティは、息を呑んだ。 自分の身体の中を、貫く様な風の力が駆け抜けたからだ。 濁り無き強く爽やかな風が、自分を抱きしめた様な…。 そんな感じを受けた。
自然魔法遣いで在る彼女にとって、こんな事は初めての体験だった。
二艘目の後尾の縁際に立ったKは、船を漕ぐのに使う櫂を海に差し込む。
「ケイさ~ん、いっくよ~」
「オーケーっ、ぶっ飛ばせっ!」
「はぁ~い」
そのやり取りが終わった時、突風の如き追い風が吹き始め。 三人の乗った船は、大型客船の脇を走り出す。
「えっ? えぇっ!?」
勝手に動き出した船に、只驚くオリヴェッティ。 乱れる髪を押さえ、船の脇を見れば、海上を疾走する風の流れを見た。
精霊や魔法で生み出される自然のエネルギーを、光と色と云う視覚的に見える自然魔法遣いの目には。 蒼翠に光る風の流れが、船を前に前にと突き動かす様子がハッキリ見える。
(すっ、凄いわっ!)
瞬間的に魔法で生み出す風より、もっと純度の高いエネルギーが。 海を吹く風を集めては、レールの如く道を引いて、船を猛スピードで走らせ始めたのだ。
船員の数人が甲板の縁から身を乗り出し、下の海上に降り立ったK達の乗る船を見下ろす。 丸で、早馬で駆け抜けてゆく一騎の如く。 考えられないスピードで走り出した船は、直ぐに大型客船を追い抜き。 一路南東を目指して疾走してゆく。
見ていた船員の一人は、完全に呆気に取られ。
「すげぇ~………。 ハヤブサや海燕が飛んで行くみたいだ」
と、彼方へ去って行く船を見送った。
★
K達が消えた船内では、操舵室が異様な警戒の雰囲気に包まれていた。
クラウザーは、カルロスに航海の予定をこのまま守るように言い置いて。 自ら管理船員2名を引き連れて、足早に船内を回り始めた。
先ず、クラウザーの元に来たのは、Kと会った船員だ。 2階に在る高額宿泊者専用のカジノバー。 其処に入ろうとしたクラウザーだが、彼を見つけた下働き船員が。
「船長、クラウザー船長っ」
と、小走りに走り寄って来る。
クラウザーは、その小声に普段とは明らかに違う乱れを聞き。
(K(ヤツ)から聞いたか)
と、悟りながらも。
「ん? どうした?」
と、穏やかに対応をしてみせる。
クラウザーの前に走り寄って来た船員は、辺りを見回しながら押し殺した声で。
(あの、ゆっ・幽霊船がぁぁ…)
聞いたクラウザーは、事も無げに。
「あぁ、解ってる。 ワシの知り合いが、対処に向かった」
「嗚呼、なるほど。 だから脱出用の船を……。 やっぱり、そうなんですか」
「ん。 だが、油断は禁物だ。 客が騒がぬ様に平静を装いながら、しっかり監視をしてくれ」
微かに震えるその船員は、ピシッと直立不動の体勢をし。 胸に拳を当てては、上官に対する敬礼を見せ。
「は。 各船員にも、そう伝えます」
「頼む」
クラウザーは、自身の不安をおくびにも見せず、その船員を見送る。 こうゆう処の落ち着きは、正に異名の如くの彼だった。
そして、クラウザーはカジノバーに入った。
優雅な音楽が流れるやや暗めの落ち着いた照明の中で、貴族や商人などの客が遊んでいる。
普段通りなカジノバーの様子を窺ったクラウザーだったが。 場を去ろうとした所で、入り口に立つ管理船員から。
「船長、お客様が」
と、声が掛かる。
「ん?」
振り返れば、4・5名の僧侶や魔法遣いの男女が居て。 顔面蒼白だったり、恐ろしく緊張した顔で立っていた。
(遂に、感づいたか。 此処は、俺の正念場だな)
船の上でパニックが起こると、孤立無援な上に逃げ場が無いので、客は狂った様な行動を起こす事が在る。 クラウザーが船員の下っ端で働いていた頃。 そうした場面に幾度となく遭遇した。 だから、どんな事が起ころうとも、腹を括ると落ち着ける。 クラウザーは、大らかな姿で廊下の待合ロビーへと出た。
「お客さん、御揃いでどうされましたかな」
クラウザーが言えば、青いローブを纏った若き魔術師の男性が。
「船長っ、南東にモンスターの気配がっ」
と、今にも大声を上げそうな声音で言う。
その一言を皮切りに、僧侶達が、“幽霊船”か“ホラーニアン・アイランド”の存在を仄めかす。
クラウザーは、軽く頷き。
「あぁ。 存在は、昨夜から解っているよ」
魔術師の男性は、カァーっと血の上るのが見て解る程に顔色を赤らめ。
「アンタ、わっ・解っててそんなっ、ゆっ・悠長に!?」
そう云われてもクラウザーは、大した事では無いとばかりに。
「あぁ、そうだ。 雇った優秀な用心棒が、既に幽霊船を潰しに向かってる。 実力は、このクラウザーが良く解ってる人物だ。 間近に迫っている訳でも無いのに、客に伝えたら大騒ぎに成って混乱して面倒に成る。 それが、どうかしたか?」
僧侶の大人びた女性は、白いローブのフードを上げて。
「向かった方々は、そんなに強いのですか? 今の内に、速度を上げて逃げては如何でしょうか」
クラウザーは、それ来たとばかりに。
「逃げる? だが、何処へ?」
と、ややからかい気味におどけて言う。
背の高い、赤い神官服と鎧を纏う偉丈夫の初老僧侶は、
「決まってるっ、陸へだっ」
と、指を指した。
クラウザーは、何ともばからしいと言う素振りを見せて。
「馬鹿を言うな。 それこそ、死にたいのか?」
「ぬっ。 なんだとっ?」
相手の焦った顔色を見回したクラウザーは、近くの大きな額に入れられた地図の方に向かい。
「我々の現状を説明してあげよう。 こっちに来て、地図を見るといい」
誘(いざな)われた冒険者達は、皆が緊張した重い足取りでクラウザーの後を着いて行く。
世界地図の前に来たクラウザーは、冒険者達を一瞥してから。
「良いか。 我々は、昨夜から北の大陸のやや西側で、大地溝帯付近の海域へと入った」
と、砂漠の広がる溝帯を指差した。
「………」
冒険者達は、真剣な目で食い入る様に見て来た。
クラウザーは、更に説明を続け。
「この溝帯沖の海域は、ラグーンが遠浅の海を形成していて。 この大型客船は、そのラグーンの切れ間に開けた幅狭い潮流の流れが走る水路の様な上を通っている。 船を航路から外せば、浅瀬に乗り上げ座礁。 強引に速度を上げれば、舵取りが上手く行かずに複雑なラグーンの岩肌に衝突する。 陸に向かって脱出用の船で行けば、モンスターの鮫鷲(サメワシ)や、ウツボの“死を招き”(カーミング・デスター)に襲われ全滅。 奇跡的に陸に辿り着いても、今度は砂漠に住む飢えたモンスターが相手。 逃げるなんて、到底無理だ。 それこそ、空でも飛ばなきゃな」
若い女性僧侶は、もう絶対絶命なのだと床にヘタり込み。
「嗚呼…。 神よ」
と、言うのだが。
クラウザーは、何の悲観もした様子を見せず。
「済まないが、な。 我々は、海に関しては素人では無い。 幽霊船が出ようが、モンスターが出ようが、嵐が来ようが、それに対応する手段は持ち合わせている。 今さっきも言った様に、対処の手段は講じている。 本当に危険なら、君達より先に我々が慌てるよ。 無用に悲観されたり、騒がれても困るのだがな」
先程、クラウザーの言葉に怒った若き魔術師は、クラウザーの余裕が理解も出来ず。
「私は、そんなに楽観が出来るアンタが信じられない」
と、睨むのだが…。
此処でクラウザーは、ハッタリも必要だと思い。
「フン。 この海の兵と称されたクラウザーは、お前達の様な駆け出しの冒険者に見縊られる程、落魄れちゃ~いないさ。 大体、お前達如きが騒いで、何が出来る? 過去、こうした状況で危険なのは、客が騒いで面倒を起こす事が殆どだ。 玄人に指図をするなら、それに見合う実力を持ってからにしろい」
こう云われて、冒険者達は返す言葉を見失った。
クラウザーは、Kの実力を知っていた。 だからこそ、更に。
「高々海の上で幽霊船のオーラを感じたぐらいで、今居る状況も知らないアンタ等にだ。 海を知り尽くした我々が、逃げるだのと騒ぐしか能の無い言われ方をしたんじゃ、こっちが迷惑だ。 モンスターを返り討ちにするぐらいの実力も無いなら、引っ込んでて貰おうか?」
歯切れの良い言い草で、啖呵を切られた冒険者達。 生じ有名なクラウザーなだけに、その姿は堂に入る。
蔑まれも、気風がいいと返って説教にも繋がるのだろうか。 冒険者達は、無理やり騒ごうとした自分達を、漸く省みる気持ちを持った。
年配の戦女神を信仰する神官戦士は、念を押す様な顔付きで。
「では、大丈夫なのだな?」
クラウザーは、事も無げに。
「あぁ。 幽霊船は、我々の前に先回りしようとした様だが。 それに失敗している。 このまま進めば、夕方を待たずして北上するルートに船が向き。 そして、幽霊船を振り切れる。 まぁ、差し向けた手勢が先に駆逐するかも知れぬがな。 それより問題は、別に在る」
まだ若々しく、僧侶に成り立ての様なあどけなさが残る黒髪の女性が不安げに。
「何でしょうか?」
「いや、直接関係は無いが…。 ワシ達の居る方向に向かって、別の船が来ている様だ。 伝書鳩で、此方に救難の文をよこした。 差し向けた手勢が、もしそれを助けて来たら・・全く面倒。 客が増えても、金を持たぬ奴等ならば利益が出ない。 もし襲われていたとしたら、船毎、丸々助かって欲しいモンじゃと、な」
航海法の有名な部分を知っていた若き魔術師は、それに違和感を示し。
「助けていいのか? 航海法では、違反だと思ったが?」
「解釈を間違えるな。 襲われている所に、態々別の船が出向いて助けるのは違法じゃ。 じゃが、幽霊船を撃退した後、只の壊れた難破船を助けずに捨て置く訳には行くまいよ。 第一、我々も狙われておるのは確か。 同じ危険に遭遇した中で、脅威が去った後も助けぬのでは、それも違法に成る」
「なっ・なるほど。 航海法では、確か・・モンスターに襲われている船を、別の船が向かって助けに行くのが違法。 客や積荷の安全を第一にとの観点から、だったな」
「そうだ」
二人の会話を聞いた老いた神官戦士は、理解を示して頷き。
「つまり。 モンスターの脅威が排除されたり、同じ脅威に晒される場合は、また違うと言う事か…」
クラウザーは、敢(あえ)てその解釈に理解を示し。
「ま、こっちから脅威に近づく事は、絶対にせん。 古くから在る言葉通り、逃げるが勝ちだ。 だが、対処を講じた先で、様々に道は分かれる。 その場その場、有効な対処を迫られるって所だ。 ささ、無用な不安は要らぬ。 船内で寛がれよ。 旅芸人なども多く乗っている故、今日は昼からショーを催す。 夕方にでも成れば、全てにカタが着いていよう」
クラウザーの語りで、冒険者達は落ち着いた。 最も感受の鋭い冒険者達を安心させる事は、後から気付く冒険者達の説明役にも成ろう。 少々、ハッタリや虚実の混同した内容では在るが。 クラウザーは、Kを信用しているので、何て事無いと思った。
冒険者達を戻した後も、クラウザーは船内の方々を回り。 無用な混乱を避けるあらゆる手を講じた。
先ず。
昼過ぎから、クラウザーの肝いりで行われる無料の演劇ショーと、誰でも参加出来る公開カジノイベントをでっち上げ。 旅人や、冒険者達の不安を散らす措置を取る。
次に。 夕方には、地下の下々にも食事を只で振舞うとして、噂話の関心を一方に逸らす。
恐らく、Kがモンスターを排除したとしても。 助けて来た客船は、無事では済まないだろうと先読み出来た。 もし、何らかの救助や助力を行えば、次の立ち寄るホーチト王国の王都。 大交易都市のマルタンにて、過分に補給を余儀なくされるだろうと思われた。 だから、消費の出来る物は消費し、補給の出来る口実を作る事にしたのである。
クラウザーは、全てをKに託した。
あの包帯を巻いた下の素顔を知るクラウザーは、Kの恐ろしき実力も目にしている。 幽霊船如きに、この船が沈んでも死ぬ男では無い事は理解していた。 だから、船の命運を半分預けたのである。
今に動くクラウザーは、不思議とKを思う。
前の彼なら、自分の弟子の事など捨て置いただろうし。 余計な事をしない非情な男だった。
だが、今は違っている。 こんな非常事態の中でも、Kやリュリュ、オリヴェッティと居る事で。 一人の人間として、まだ若かった頃の生き生きとした気持ちが甦って居た。 久しぶりに、生きる一瞬一瞬が楽しいと思える自分が居た。
(楽しいなぁ…。 こんなに血が熱く、物事を真剣に考えるのは久しぶりだ。 アヤツ等が戻るまで、じっくり待つとしようか)
クラウザーは、静かに待つ事にした。
≪クラウザーの弟子 ウィンツの決意≫
海上の遥か上空で、魚を狙うワシが急降下を止めた。 狙いを定めた所に、猛スピードで近づく何かを見たからだろう。
「………」
二つ並んだ船の二艘目の後尾に立ち、グングンと風に乗って加速する船の舵を黙ったままに切るのがKだ。 櫂を海に入れ、うねる船をコントロールしている。
時折、船が起き上がる波にぶつかり。 “ブワン”と上に跳ね飛ぶ船。 オリヴェッティは何度、驚きの嬌声を上げたか解らない。
だが、舵を取る櫂を腰に据えたKは、ただ一点。 向かう先を見つめている。
霧が晴れ、青い空の下。
(嗚呼っ、もう乗ってた客船なんか見えないわ)
オリヴェッティは、遥か彼方に消えた大型客船が見えなくなっているのに、不安を感じてしまう。
然し、先頭の船では。
「イェ~イ。 ヒャッホ~」
と、跳ね上がる船に喜ぶリュリュが居る。
Kは、リュリュに。
「リュリュ。 ヤツラのボロ船に乗り込むは、俺だけでいい。 着いたら、近くを行く襲われてる船に、オリヴェッティを連れて上がれ。 船に乗ってる人を、お前が守れ」
リュリュは、はしゃぎなら。
「はいは~い」
オリヴェッティは、ボンボン持ち上がる船に蹲りながら。 その疾走する音に負けない声を出す為に、悲鳴に近い声でKに。
「なっ・何でっ、ギリギリに助けにっ!?」
前を見ながらKが。
「ヤツラは、目標の間近まで海に潜って近づくんだ。 潜ってる時は、早い潮流に乗る事も有るから捕捉が出来ない。 狙いを定め、海面に浮上して来るのを待ってたのさ」
「じっ・じゃっ、キャァ! じゃあっ!! 私達の乗ってた船が狙われてたとい、云うのっ、ウソっ、ですかっ!?」
聴いたオリヴェッティは、
“態と狙われていたと言って巻き込まれた形を話作り。 襲われる船を助ける口実を作ったのではないか”
と思った。 何故なら、まだまだ自分達の乗る大型客船と幽霊船は、こんなに離れているからだ。
Kは、船のバウンドで大変そうなオリヴェッティ見下ろし。
「違う違う。 幽霊船は、正しく二つの獲物を狙ってる。 これから助ける船を襲うだけなら、もっと早い場所で待ち伏せするさ」
「ではっ、どっ、どど・どうしてっ! 今にっ!?」
「クラウザーの弟子とやらは、何らかのアクシュデントで航路から外れ。 南よりの諸島に流れてしまったんだろう。 船をどこまで直したのか知らんが、航海が出来る所までは修理したんだな。 俺達の乗る船が行く一般航路に向かうべく、今は北上しているんだ」
「では、そのまま行けば、私達の乗っている船とっ!?」
「そうだ。 確実に鉢合わせするな。 話に聴いたが、船が小さいらしい。 船体が軽い分、これから助けに行く向こうの方が、足が早い。 北風が吹く大陸とは違い。 暖かいこの海域は、南よりの風が安定してやや強く吹いている。 風を捕まえて置けば、夕方・・いや。 昼の遅くには、お互いが見えるだろう」
「まさかっ!! 其処まで尾行してくる気だったんですのっ!?」
「そうゆう事よ。 幽霊船の方が、やや強い南風を捕まえている様だ。 クラウザーの弟子が操る北上する船と、ジリジリ幅を狭めながら。 俺達の乗ってるクラウザーの船に目掛けて、目標に定めて居るかの様に、一直線に向かって来てる。 恐らく、二隻が合流する近くで、先ず北上しているクラウザーの弟子が操る船を襲い。 そのまま、俺達の船も襲う気だろうな」
Kの説明を聞いたオリヴェッティは、幽霊船を操る相手が随分と海や船に詳しいと思う。
「あっ・あ・・あのっ!!? 幽霊船を操るモンスターって、そんなに航海術に、キャッ! ハァ、ハァ…。 あ、詳しいんですかっ!?」
波にぶつかった勢いで、大きく揺さぶられたオリヴェッティは、もう疲れ始めた顔。 Kに何とか向って聞くのが、精一杯な様だ。
オリヴェッティを見て、薄く笑みを見せたKは、また前を向いて。
「幽霊船を存続させてるのは、強力な力を持ったゴーストモンスターだが。 その手下として船を操作しているのは、生前は船乗りだったり、船長だった幽霊を集めた高位のゴーストだったりする。 航海術などの深い知識をそのままに残した彼らは、船を存続させるモンスターの忠実な僕(しもべ)として、生きた人の乗る船を狙う」
「まぁっ、生前の技能が…」
「魔法を扱えるゴーストが居るのが、いい例だ。 ゴーストが何故に、自然魔法や精霊魔法を使えないのかは、生きている精霊の力を呼べるのが、生きた人間だからって話さ。 魔想魔術は、創造の産物で。 ゴーストでも、思念が強くハッキリしていれば使える。 それに、魔力は死人でも普通の人でも変わらず存在し続ける」
Kは、大変そうなオリヴェッティの捲くれ掛けた足を見ないようにしてやりながら。
「知ってると思うが。 悪魔やゴーストの一部には、より強い魔力や力を得る為に。 死んだ人のソウル(魂)を食うのも居るのさ」
と、付け加えて於く。
〔ソウルイーター〕と呼ばれる部類のモンスターには、魂を食い成長をし続ける様々なモンスターが居ると、オリヴェッティは聞いた事が在る。
(なんて知識の深い…。 本当に、私がリーダーでいいのかしら………)
オリヴェッティは、自分ではKに何も言えないのではないか。 自分は、リーダーでも只のお飾りに過ぎない気がする。
処が、此処でリュリュが、突然に。
「あ」
と、はしゃぐのを止めて言葉を発した。
波の上を走る音が凄い中、オリヴェッティはその声を耳に掠めたので。
(え?)
と、リュリュを見ると…。
Kも舵を取りながら。
「不味いぞ。 幽霊船が、いきなり向きを変えた?」
オリヴェッティは、今度は驚きで。
「えっ!!?」
と、Kの方を振り返った。
★
老朽化した木造船“シー・フランク”の舵を取るのは、クラウザーの手元で10年を過ごした男、〔ウィンツ・ボクマン〕である。 40過ぎの男ながら、やや童顔の面は若く見える。 大きく丸い瞳は特徴的で、魚眼に似た雰囲気があった。 やや小太りながらもガッシリとした身体で、Kより頭二つは背の高い大男ながら。 手で回す旧い舵を取らせたら、クラウザーも認める繊細な舵取りを行う玄人だ。
萎びた青いバロンズ風のコートを羽織り。 船長特有となる黒いツバの広いキャプテンハットを被るウィンツは、3階の操舵室から窓枠だけとなった窓を見上げた。
(このまま、真っ直ぐか)
船の前方、カモメなどよりも遥かに高い空に、鳥の様な影が見える。
だが、あの影は只の鳥では無かった。 半獣半人と言う特異な姿をした種族の〔ハルピュイア〕だ。 手は、大空を飛ぶに適した翼であり。 足は、鷲や鷹の様な鋭い鉤爪を持っているが。 顔や肉体は、人間の女性と云う、見た目はモンスターに近い生き物なのである。
ハルピュイアの影を見上げたウィンツへ。 大き目の羅針盤を片隅で見る若い船員は、汗や垢で汚れた顔を向け。
「キャプテン。 しっかり北東方面に北上しています。 恐らく、夕方には航路に戻れるかと」
ウィンツは、ひとつ頷き。
「解った。 なんとか助かりそうだな」
と、若者へ返した。
今、彼の操る船は、命懸けとなる緊急事態に追い込まれていた。 この事態の原因は、凡そ十日近く前の事に遡る。
老朽化が激しく、魔力水晶体による動力が死んでいるこの船で。
“もう一度、航海をしろ”
と、言われたウィンツは、雇い主に激しく噛み付いた。
だが、冬特有の風が強い嵐の様な雨が近づく航海を、ウィンツ以外の誰も怖がって尻込みした。 そして、雇われ船長達は、腕の良いウィンツに押し付けて来たのである。
遣りたくない航海だったが、自分以外に出来る人材が雇われ仲間に居なかったのだ。
“不味い。 雇い主は、誰かに力づくでも遣らす気だ。 あの雇い主に弱味を握られた船長は多いが。 あの船で航海なんて至難の業だ。 一番安全に航海をして、乗客と船員を無事にフラストマド大王国まで送り届ける事が出来るのは、もう自分しか無い”
他の船長が、自分に回されやしないかと戦々恐々と思う中。 改修前の最後の航海と、渋々ながらも引き受けてしまったウィンツ。
さて、冒険者30名、一般客47名を乗せたシー・フランク号だが。 ウィンツの申し出も雇い主は無視して、航海に出させた。 ウィンツの不安は的中し、航海二日目で嵐の中を揉まれ。 舵が利かなく成って、船の一部が岩の突き出た島に掠って損傷。 成す術も無いままに、1日漂流して、漁村を持つ島に行き着いた。
諸島群の中に一つだけ存在した漁村の人々は、幾度と漂流して来た船を相手にして来た海の漁師達とその家族。 ウィンツ達を温かく迎え入れ、船の修理まで手伝ってくれた。
そして、ウィンツ達を手伝ったのは、漁村の人達だけでは無い。 流れ着いた諸島の中でも、船に使う木材は貴重なもの。 それを取るのは、漁村の人々と一緒に協力して漁を手伝うハルピュイア達だ。 灰色の艶やかな羽根を持つハルピュイアは、皮のコルセットベストにショーツやパンツで、人としての身体の部分を隠した姿をする。 手足が人なら、ショーパブにでも居そうなセクシーな女性そのものだった。
ハルピュイアは、人との関わりを深く持った半獣半人で、人と共に漁をし。 その分け前を、自分達の住む断崖の岩穴の住居に持ち帰ったり。 季節毎に諸島の彼方此方で取れる果実や、ハーブを物々交換の物品として利用し生きている。 美しい美声の声音で、ハルピュイアは人間の言葉を喋るのだ。
ウィンツの船を航路へと誘導してるのも、そんなハルピュイアの一人。 島の人々は、ハルピュイアを大切にし、決して“一匹”とは数えない。 ハルピュイアを捕らえようとする人間には、断固たる姿で戦うのだとか。
先導してくれるハルピュイアの影を見上げたウィンツは、
(人間よりも慈しみ深い半獣人族か…。 危ない航海の船長なぞ辞めて、あの漁村で穏やかに暮らしたほうが気が楽だなぁ)
と、思う。
大嵐の時に濡れた上に、何度もスッ飛んでボロボロに成った地図が、机の上に散らばっている。
地図を無くしたウィンツに、船が多く通る航路までの案内を買ってくれたハルピュイアは、〔マキュアリー〕と言う名前の美しい者だ。 母親を人に攫われ、漁村の人が彼女を育てたらしい。 悲しい運命にも挫けず、人を嫌わないマキュアリーに、ウィンツは一目惚れしそうだった。
飛んでいるマキュアリーの影を見上げて、ウィンツが思い返すのは、4日前の嵐を抜けた朝の事だ。 舵が思う様に利かず、破け掛けた帆を張って漂流していたウィンツの船。
何処かに停泊出来る島は無いかと、船首に立って望遠鏡を覗いていたウィンツの前に、突然マキュアリーは現れた。 魚を買い付けに来る船とは明らかに違うシーフランク号。 遠くの島の上空から船を見掛けたマキュアリーは、ウィンツの船を怪しんだのだ。
だが、マキュアリーの姿に、驚く素振りも見せなかったウィンツ。 ハルピュイアの事を知っていたからだ。
赤い艶が陽の光の当たる黒髪に生える、うら若い18・9の娘の様なハルピュイアのマキュアリー。 いきなり目の前に彼女が現れた瞬間。 ウィンツは、妖精や精霊が人の姿を借りて、自分の前に現れたのではないかとすら思えた。
凶悪なモンスターと間違えそうになる船員や、客の冒険者を宥めたウィンツ。 此方を疑うマキュアリーへ船が壊れた事を告げた事で、漁村の場所を教えて貰えたのである。
さて。 島に有る漁村と諸島以外は、マキュアリーにとって外の世界と言って良かった。 大陸の事を知りたがる彼女は、気持ちの大らかなウィンツに度々話し掛け。 悪い気のしないウィンツは、何かと朝晩に彼女と話し合った。 お互いの身の上話までし合って、マキュアリーの母親の事を聞いたウィンツ。
“大陸に戻ったら、俺が探してみようか”
攫われた母親の事を、ウィンツは探してやりたかった。 漁村で過ごした最後の夜、マキュアリーに言った言葉だ。
だが。 マキュアリーは、その申し出を静かに断る。 続けて出て来たマキュアリーの話は、ウィンツの男義と正義感を揺さ振るものだ。
ハルピュイアは、同じ獣人族の種類でも人と交わりの深い一族で。 その反動は、肉体に押し寄せているのだとか。 妊娠をすると、赤子は人に近い姿をして生まれる為。 非常に生命力を酷使する。 ハルピュイア達は、40歳過ぎぐらいまでしか生きられない身体な上に、生涯で妊娠出来る回数も2・3度なのだとか。
此処まで説明されたら、ウィンツもマキュアリーの気持ちが解る。 そんな身体を人に攫われ、欲望の捌け口の代償に使われたら…。 攫われたハルピュイアの寿命は、持って1・2年と言う話は、強ち嘘では無い。
ウィンツはその話に、久しく寝かし付けた正義感を燻らせ、横暴な人間に対して怒りを覚えた。
(同じ人間でも、ムカつくな)
船長でも雇われで、自前の船や船員も持たない自分は、いい様に扱われる道具に過ぎない。 だから、船長として好きな航海に出られるのだからと、不条理にも怒らず、不満の殆どは飲み込んで来た。 だが、この話には、正直な処で我慢が出来なかった。
思わず怒ったウィンツの姿は、マキュアリーには好感良く見えたのだろう。 外部の人間と初めて長々と話したマキュアリーだが。 随分と年の離れたウィンツに案内まで買って出てくれた訳だ。
前日の朝に漁村を離れ、丸一日航海をしているウィンツ。
マキュアリーは、海に潜った岩などの障害が在りそうな場所では、目立つ様に数度旋回して教えてくれるし。 ラグーンの様な場所では、余裕を持った距離で、方向の修正を飛ぶ向きで教えてくれる。 夜は、速度を落とした船の地下で休み。 その入り口は、ウィンツが見守った。
(今日の夕方で、彼女とはお別れか…)
ウィンツは、マキュアリーとの別れが淋しく思えた。
然し、だ。 異変は、そんな昼頃に遣って来た。
上空に高く舞い上がっていたマキュアリーが、何故か急に高度を落として来たではないか。
ウィンツは、何事かと思い。
「ジョベック、何かおかしい。 舵を頼む」
と、若い船員に言い。 舵取りを代わると、年配で足を悪くした船員頭のブライアンの肩を叩いて、彼は廊下に出て行った。
「ブライアンさん、どうしたんでしょうか?」
舵を握った細身の青年ジョベックは、硬太りの先輩船員で、天辺ハゲのブライアンに問うた。
「さぁ、ハルピュイアが降りて来たからな。 なぁ~にか在ったかもなぁ」
「もしかしてっ、別の船?」
「だといいな」
二人の会話が交わされる中。 廊下を走って甲板に出たウィンツ。 船首の方に降りて来たマキュアリーの方に駆け寄った。
一方、赤く艶やかに靡く長い黒髪をした美しい娘の様なハルピュイアのマキュアリーは、翼で風を受けてフワリと甲板に降り立つ。 そして、ウィンツの方に振り向くと。
「タイヘンっ、直ぐに引き返してっ!!」
と、歌声の様に美しい声を張り上げた。
マキュアリーの目の前まで来たウィンツは、
「一体どうした?」
と、彼女の眼を見て問うた。
マキュアリーは、翼そのままの右腕を東に向け。
「向こうに幽霊船が居るわっ!!」
ウィンツは、海の危険でも一番恐ろしい“幽霊船”と聞いて。
「何だってっ!!!?」
と、東の海に顔を向けた。
マキュアリーは、酷く脅えた様子で。
「漁村なら、聖なる結界が張られてるから助かるわっ。 海の上じゃ皆殺しよっ! 幸い、向こうは結構近くに居るのに、こっちに気付いて無いみたい。 逃げれば、何とか成るわっ」
然し、船長として経験の長いウィンツは、青褪めた顔で首を振り。
「いや、気付いて無いハズは無い」
「えっ? だ、だって…」
マキュアリーは、幽霊船とウィンツを交互に見る。
だが、マキュアリーから指し示された方を睨むウィンツ。
「幽霊船は、数十里離れた場所でも、先の船や人を感じるらしい。 それに、無理だ。 漁村に戻るには、此処からでは真っ向からの向かい風と成る。 風に逆らう航海では、このボロ船じゃ逃げられない。 戻るにしても、1日以上は掛かる。 くっ、最悪だぜ…」
マキュアリーは、空を見上げながら。
「私っ、助けを呼びに行くっ。 もう少し先に、別の船が居るかも知れないっ」
と、羽ばたこうとする。
其処でウィンツは、そんな彼女の肩を掴んだ。
「駄目だ。 それだけは、出来ない」
ウィンツの一言は、マキュアリーには驚きだった。 再度彼に向いて、
「どうしてっ!?」
一人で決意を固めるウィンツは、東の海を睨み見て。
「海の上で、幽霊船に狙われた船の殆どが死滅する。 他の船を呼べば、死ぬ仲間を増やす様なモンだ。 航海をする船長の掟でも、幽霊船などのモンスターに遭遇した場合。 助けを呼ぶのも、助けに行くのも禁じられているのさ。 被害を最小限にする為にな」
世間を知らないマキュアリーにしてみれば、そんな絶望的な掟など恐ろしいとしか思えない。
「そっ・そんなっ、おかしいよっ! 助けを呼んじゃイケないだなんてっ!!」
ウィンツは、それでも船長としての意地は捨てられない。
「仕方ない。 だが幸い、この船に乗ってるのは少人数だ」
「うん」
「後で島に遣って来る商業船に乗って、クルスラーゲに戻ると言う客は大半で、君の住む漁村に残った。 今、この船に残るは、少なくなった10人程」
「うん」
どうするのか不安なマキュアリーは、ウィンツの顔を見ては真剣に頷く。
そんなマキュアリーに、ウィンツは覚悟を決めた顔を見せて。
「この船を囮にすれば、漁村の方々に貸して貰った小船に客を乗せて、ラグーンの先の小島にでも逃がせるだろう。 俺が、この船を操縦して幽霊船に突っ込むから。 マキュアリー。 君は、小船を誘導してくれないか?」
ウィンツに驚く様な事を頼まれたマキュアリーは、激しく顔を振り被った。
「いやっ、そんなの嫌よっ!! 私のお母さんを探してくれるって言ってくれた人を、このまま見捨てるだなんてっ!」
だが、ウィンツは冷静だった。 マキュアリーの肩を両手で掴むと、彼女の目を見て。
「な、マキュアリー。 変だと思わないか?」
感情的なマキュアリーは、涙すら浮かぶ強い眼でウィンツを見つめ返し。
「何がっ!?」
「我々が知る幽霊船は、獲物を見つけたら直ぐに襲ってくるのが普通だ。 君の目に、幽霊船はどう見えた? 襲って来る様子だったか?」
「え? あ、・・いえ。 この船より少し先を、同じ方向に向かって……」
その言葉は、ウィンツに確信を与える物だった。 ウィンツは、自分達の目指す筈の北東を見据え。
「嗚呼…。 そうか、そうゆう事かっ!」
「ウィンツさんっ、何が?」
唇を噛みそうに苦々しい顔をするウィンツ。
「恐らく、我々の進む先に、別の船が来ているのだな。 幽霊船の奴等め、態と船がお互いに見える所まで襲わない気なのだ。 一人でも多く、生け贄を求める気なのだっ」
ウィンツは、このボロ船を嫌って下りた冒険者の中に、魔法遣いや僧侶が居た事を今更に悔やんだ。 彼等が居たならば、もっと早く気付けたからだ。
実は、今。 航海している船に乗る冒険者は、チームがバラけたらしい若い戦士と、学者で剣士の女性のみ。 他の客は、新たな働きの場を求めて移住する家族3人と。 目つきの宜しくない浪々者らしき男性2名。 そして、年配の男性旅人1名と、吟遊詩人と踊り子。 客は、計10名だけである。
ウィンツは、ぐずぐずしては居られないと思う。 もし、この船が他の船が見える所まで行ってしまえば、巻き添えをし合って、皆殺しにされてしまう。 少しでも生存者を増やす為には、誰かが犠牲に成る必要が在る。
(俺だけで、犠牲は俺だけで十分だっ!!)
こう考えたウィンツは、直ぐに動いた。
“助けを呼ぼう”
と願うマキュアリーを抑えながら、甲板を行き操舵室に向かって。
「ブライアンっ! ジョベックっ!!」
と、二人だけの管理船員を名指しで呼ぶ。
操舵室に居た二人は、ウィンツの大声に驚き。 窓枠だけの窓から顔を出した。
ウィンツは、二人を見て。
「幽霊船が間近に居るっ!」
と、言い放った。
「げぇっ?」
「ひやぁぁぁーーーっ!!」
驚く二人に、ウィンツは怒声の如き声で。
「ブライアンっ。 手下の船員2人と一緒に、漁村で借りた船に客を乗せて脱出の準備をしろっ!! ジョベックは、同じく手下の船員4人と協力して、船に積める最大限の食料を運び出せっ! 客と船員達は、このマキュアリーが漁村まで案内するっ!!」
恐怖で震えるジョベックは、窓枠にしがみ付きながら震える声で。
「ききき・・キやプテンはぁぁっ!!?」
「俺がこの船毎に、襲って来る幽霊船の囮に成るっ!! この先は、船が頻繁に行き来する航海路だっ!!!! あの海の道まで、幽霊船を案内する訳にイクかぁっ!? 野郎共っ、正念場だっ!! 気合を入れろっ!!!!!!」
ウィンツは、流石にクラウザーの弟子だけ在った。 その冷静な判断とは裏腹に、手下を叱咤して気合を込めるだけの情熱や気持ちを持っていた。
船員としてかなり経験の長いブライアンは、ウィンツの行動に意気を感じ。
「応っ! 任せて下せぇぇぇっ!!!!」
と、50歳を迎えた身体を起こして吼えたのである。
考え直してと叫ぶマキュアリーを他所に。 ウィンツは、リビングや食堂と成る二階の屋根に上って、窓枠から操舵室に上がり込む。 そして、舵を握ると一気に大きく右へ切った。 船は、小回りで旋回し、南東方面に向き。 更に、更に南へ向いた。
船が一転して南へと逃げる方面に向いた直後。 ウィンツは、慌てて遣って来た冒険者の二人と面会した。
灰色のロングコートに、全身を包む鎧のプレートメイルを着た大柄な男は、片手用のハンドアクスを三振りも扱う戦士の〔ビハインツ〕。 ちょっと面長の顔ながら、細い目や大きい鼻などが、顔の潰れた様な印象を与える老け顔の人物だ。 ブラウンの髪は短く、剛直な気性を伺わせる。
もう一人は、学者ながら細剣を腰に帯びる女性である。 長い金髪を知恵の輪の様に結って垂らすのだが、服装は男装の様な凛々しき美剣士とも見える。 艶やかな赤いコートには、花の刺繍が素晴しい。 名前は、〔ルヴィア〕と云った。
操舵室に踏み込んできた二人を見たウィンツは、
「おう、お二人さん。 大変な事に成った。 悪いが、船員達と協力して、逃げる準備をしてくれ」
と、手短に頼む。
ガラガラ声の戦士ビハインツは、
「アンタはどうするっ!?」
と、切羽詰った怒声の様な声で聞き返す。
舵をする輪を、軽く二度叩くウィンツ。
「この船で、幽霊船に体当たりする。 皆が逃げる時間は、稼ぐつもりだ」
ハルピュイアのマキュアリーが、必死に考え直してとウィンツに言う。
学者で剣士のルヴィアも、やや貴族調子の言い方で。
「船長が死んだ所で、我々が助かるとは限らないのでは?」
と、意見を言うのだが。
ウィンツは、決意を固めた顔で。
「少しでも大陸から離れ、お前達が航海路に逃げる間に、向こうにダメージと生け贄をくれてやるまでさ。 それしか、君達を助けられない」
「だがっ」
と、犠牲を嫌って言うビハインツへ。 ウィンツは、顔を怒りの形相に変えると。
「バカヤロウっ! 航海路はっ、数多くの船が行き来する海の街道だぁっ!!! 奴等がのんべんだらりと俺達を進ませるのは、他に巻き添えで引き込む船が近くに居る可能性を示してンだぁっ!!!!!!!!」
ウィンツの話に、ビハインツとルヴィアは言葉を失くす。
前を向くウィンツは、冷静を取り戻そうと顔だけを歪めながら。
「巻き添えを出す訳には…、船長として絶対に許されない。 アンタ達を見す見す死なせられもできねぇしな。 犠牲を最小限にするしか、今は方法は無いんだ。 早く、この船から離れてくれ。 時が無いんだからよ」
一人に成ってるビハインツとルヴィアだが、仲間意識や人情の無い冒険者では無かった。 ウィンツの必死な意気込みが、事態の切迫した緊張を伝える。
二人が黙ってしまった中で。
「キャプテーーンっ!!! てぇへんだぁぁぁっ!!!!」
と、ブライアンが走りこんで来た。
ウィンツは、直ぐにブライアンを見つめ。
「どうした、何か有ったか?」
“ゼーハー”と息をするブライアンは、硬太りの身体を揺すって海に指を向けると。
「くっ、くくく・・」
「落ち着け。 ハッキリ言わないか」
「あ、くっ! 黒い霧に包まれた何かがぁっ!!!」
その言葉にハッとするウィンツは、操舵室後部の窓枠に走り寄った。
ルヴィアとビハインツも、彼の後を追う。
皆が見る窓枠の外。 海上の遥か彼方に、黒い何かが見える。 海全体では無く、その一部だけが、黒煙に包まれているかの様に黒い。
歯を食い縛ったウィンツは、噂通りの様子に幽霊船だと確信した。
「噂通りだっ。 昼間に船を襲う時、幽霊船は黒い靄で狙う船を包み、その行く手を阻んでしまうと聞く。 奴等、やっぱり目の前のこの船を標的に据えてたんだっ!」
すると、学者のルヴィアは。
「それだけじゃないハズ。 あの靄は、闇の結界なのだろう…」
と、眉間にシワを寄せた難しい顔をして言う。
ビハインツは、ルヴィアに。
「どうゆう事だ?」
「陽の下では、死霊系や亡霊系のモンスターは活動が非常に鈍くなるのだ。 でも、あの結界の中に狙う船を閉じ込めてしまえば、自由にモンスターを差し向け襲わせる事も可能と成る。 幽霊船を操ってるモンスターは、凄まじく高位のモンスターだぞ」
その時。 後からまた手下の船員が来て、ブライアンに何かを言う。
話を聞いてギョっとしたブライアンは、更に大いに焦った声で。
「キャプテンっ! こんな時に大事だっ!!!」
振り向いたウィンツに、ブライアンは続け。
「あの客として乗ってた放浪者の野郎等、ドサクサに紛れて客から頂いた運賃を持ち逃げする気だっ!! 今、船長室から出て来たその二人と、ジョベック達が逃げる小船の奪い合いを上でしてるって…」
「なっ・何だってぇっ!!?」
これには、流石のウィンツも思考が止まる程の驚きを感じた。
ビハインツは、ルヴィアを見て。
「二人で取り返そう。 このままじゃ、取り返しがつかない事に成るっ」
頷くルヴィアも、
「当たり前だっ! そんな身勝手なヤツ、先に幽霊船のエサにしてくれようっ」
と、即座に了承だった。
ウィンツは、二人に。
「皆の逃げる船だ。 必ず奪い返してくれ」
二人は頷いて、ブライアンの空けた廊下に飛び出して甲板に向かった。
舵を取りに戻ったウィンツは、
(肝心な時にツイてないっ。 ちきしょうっ、親方の言う通りだゼっ!!)
と、舌打ちする。
自分の運の無さは、嘗ての師であるクラウザーに指摘されていたのだ。 その事が理由で、ウィンツはクラウザーの元を飛び出したのであった。
まだ若く、十代後半でクラウザーに直談判をして弟子入りしたウィンツ。 その後の彼は、航海士として、船長としての知識・技術を習得するのは、非常に早かった。
だが、クラウザーは何故だか、彼を中々に独り立ちさせなかった。 他のウィンツと同じ年頃の者を、己の船団の各船を率いる船長にしても。 ウィンツだけは、何故かさせなかった。
ある時、航海上の夜。 別の見習いが、クラウザーにその事を問う時。 ウィンツは、その受け答えの内容を聞いて驚いた。
クラウザーは、ウィンツを船長にさせない質問に、こう答えた。
“アイツは、才能だけなら俺より上さ。 度量も、器量もある。 恐らく、十分に船長として通用はするな”
“では、どうしてクラウザー様は、ウィンツさんを手放さないんで? 各小さな船団を率いる船長にしてもいいと、自分は思うんですがね”
“ん…。 だが、これは口で説明するのは難しいんだがな。 言い方を解り易くするなら、ヤツには運が無い”
“運? あの、博打とかで重要なヤツですか?”
“おうよ”
“そんな物が、船長には必要なんですかい?”
“おいおい、運をバカにしちゃ~いけねぇよ。 例えば、嵐を予期するのは、知識と経験だ。 だが、そんな中に突っ込まされる依頼が舞い込んで来るとも限らない。 幽霊船やホラーニアン・アイランドの様な、モンスターに遭遇するんだって、一つの運次第・・だろ?”
“まぁ~、そうでしょうが…”
“世間的な意見からするとだ。 船長ってヤツは、腕と技能と度胸と言われる。 だが、その三つの条件を揃えた優秀な奴でも、時として死ぬ者も居れば。 劣って居ても、死なないヤツも出てくる。 その命運は、ツキってヤツよ”
“んじゃ~ウィンツさんは、そのツキが無いんですか?”
“そうだ。 アイツを副船長に据えると、必ず何かしら起こる。 一人で解決が出来る範囲の面倒事なら、それでイイがな。 それがそうも行かなくなると、実に危険だ。 船長は、多くの船員と、積荷や旅客を預かる。 運の悪いヤツに任せたら、安全なものも安全で無くなる時が必ず来る”
クラウザーは、こう言った。
それを聞いた十数年前。 ウィンツは、クラウザーもヤキが回ったと飛び出す決意を固め。 金を積む商人の引き抜きの話に乗っかった。
だが、結果はクラウザーが正しかった。
独り立ちしたウィンツだが、その船長人生は波乱に満ちたものだった。 商人に雇われてから半年して、雇い主が偽者の商品を輸入して店を潰した。 その積荷を運んだのは、誰でも無いウィンツ自身。 判断は雇い主がしたものの、周りから悪い噂を流された。
その次に雇われた所では、一番大きな船を動かしていた時に海賊に襲われてしまう。 客の女性の大半と、積荷を奪われてしまい。 責任を負わされた彼は、クビにされて投げ出された。 これも、ウィンツは海賊の出没を警戒した上で、航路の変更を申し出たのだが。 雇い主が強硬にその航路の変更を受け入れなかった為に、そうなってしまった。
また、三度目と雇われた所では、長く船長を出来た。 が。 彼を雇う商人の座が、親から息子に譲られると。 インテリ然として、人を駒としか見ない息子とウマの合わないウィンツは、煙たがられ解雇させられた。
そして、四度目には、因業な雇い主に雇われた末の、今回である。
(嗚呼……。 親方の言わんとしてる意味が、今頃に解るなんてなぁ。 しかも、俺も死ぬ運命だ。 全く、ツキが無いのは仕方ない)
クラウザーの元を離れた他の船長達とは、確かに巡り合わせは大きく違っていた。 御蔭で、腹を括る速さだけは、人一倍に成れた。
ウィンツは、皆を逃がしてから少し逃げ回り。 追い付かれた後は、幽霊船に船ごと体当たりして死のうと考えた。
★
さて、ブライアン達を伴って、老朽化の目立つ甲板に出たビハインツとルヴィア。 飛び出す様に甲板の上に出た二人は、“わーわー”と騒ぐ方に顔を向け。 後から出て来たブライアン達よりも先に、二人で見合って甲板脇の通路に踏み込んでゆく。
処が…。
「クソったれっ!!!! もどれぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!」
若い男性の大声が、海上の上に響き渡った。
ビハインツとルヴィアには、通路の先で縁から乗り出す若い船員と他の客が見える。 何かを必死で言っているのを見て。
(まさかっ!)
と、二人も甲板の縁から身を乗り出し、海を見下ろすと…。
幽霊船から逃げるこの船と枝分かれする様に、一艘の小船が離れて行く。
「あばよっ!!! 幽霊(ゴースト)にヨロシクっ!」
小船を漕ぐ背の高い男が、自分達をからかう様に言ってよこし。
その男と向かい合うもう一人が、
「コイツは返すゼっ! ヒャッハーっ!!!」
と、海に人を突き落とした。
すると、甲板に居た女性が。
「キャァっ! アナタっ」
と、口走る。
小船から突き落とされた者は、必死に海でもがき出す。
「たっ、うぷ・・助けてくれっ!!」
若い船員ジョベックは、右腕を抑えた様子で。
「はっ・早くロープをっ!! 暴れる音を嗅ぎ付けて、サ・サメがくるっ」
下働きをする繋ぎを着た船員達は、大慌てでロープを用意し出した。
ルヴィアは、直ぐにジョベックに走り寄った。
「船は、あの一艘だけっ? って、酷い怪我ではないかっ!」
ジョベックの右腕には、斬り付けられた傷が出来ていた。 汚れた白い上着の一部を真っ赤に染める程の出血であった。
怪我に因る痛みから、ねっとりと脂汗を掻くジョベックは。
「ク・クソ・・。 アイツ等、め。 船長室の金を奪って、に、逃げ…。 すま・済まねぇ~、キャプテンっ」
と、言い。 涙を浮かべる。
その近くでは、泣きじゃくる女の子が居て。 衣服の背中の方を引き裂かれたままの姿で、母親らしき女性に縋り付いていた。
逃げた二人は、最初この少女と母親を奪い人質にしようとした。 だが、咄嗟に庇った父親が身代わりに成ったのである。
さて、引き上げられた家族の父親を見たルヴィアは、ブライアンに。
「他に逃げ場は?」
斬られた船のロープを手繰るブライアンは、真剣な目で。
「解らねぇっ、キャプテン次第だ…」
と。
ルヴィアは、ビハインツを見て。
「船長に言いに行こう。 このままでは、何れ………」
と、云う言葉を途中で止める。
甲板の上で、二人は立ち尽くす踊り子達を見た。
幽霊船を包む黒い靄は、ハッキリと目視が出来る様に成って来たのだ。 船員や客達が、その靄を見て立ち尽くしていた。
急いで操舵室に戻った二人は、舵取りをするウィンツに事を告げる。
「何てこった。 このままじゃっ。 クソったれがっ!!」
脱出用の船を既に奪われてしまった事に、ウィンツは憤りを隠せなかった。
ビハインツは、南側の外を指差し。
「帆を張って、とにかく逃げようっ」
苦渋の顔を回らせたウィンツは、操舵室の入り口に見えたジョベックが大怪我をしているのに驚く。
「ジョベックっ、お前どうしたっ!?」
ブライアンと他の下働きの船員に支えられるジョベックは、泣き声で。
「キャプテン、す・すす、すんません。 奴等に船、う・奪われちまった。 身体張って止めたんだがっ、奴等はぼ・冒険者崩れだった…」
こう言われて思えば、ウィンツも逃げた二人には不気味さを覚えていた。 ハルピュイアを見る目が不気味だったし。 何かと客の中でもコソコソとし、孤立していたのだ。
恐らく、今にして思えば手配でもされる輩の類だと思えた。
「いい、気にするな。 ブライアン、ジョベックの手当てをしてやれ」
「へい。 ですが、この先は一体?」
ウィンツは、また振り返り。 遠くにハッキリ見える靄を見て。
「この先には、“船の眠る丘”と呼ばれるラグーン地帯が在る。 無理に入り込んだ船が、尽く座礁する所から付いた名前だ」
「知ってやす。 一度乗り上がったら、二度と海に戻せない場所ですな?」
「おう。 だが、俺はな。 クラウザー様と一緒に居た頃。 とある理由から、あのラグーン地帯に入り込んでしまった事が在る」
「マ・マジですか?」
「あぁ。 だが、実はな。 あのラグーンは広大だが、切れ間から海の続く中に入ると、獣道の様な切れ目が縦横無尽に走っていて。 コンパスさえあれば、この船の大きさなら縫う様に進んでいける。 その中に入れば、幽霊船もやり過ごせるし。 上手く南西に抜ければ、漁村の在った島にも近道が出来るはずだ」
ルヴィアは、目を見開き。
「助かるな」
と、ビハインツと頷き合う。
だが、ウィンツの顔は、非常に難しい顔のままで。
「だが、障壁が多大だ」
ジョベックは、痛む顔のままに。
「そ・そうですよっ。 だっ・だって風は………」
ウィンツも頷き。
「そう。 風が南風。 帆を張って風を掴み、早く進めない。 海流も不規則で、上手く乗り切れないのが現状だ。 今、何とか進めているのは、修理が出来た風で回る風水車輪のお陰さ。 だが、船体脇に付いてる風水車輪だけでは、風を味方にするのに不十分。 更に、前の嵐の時で、非常用の人力で漕ぐ大櫂もヤラれてる。 ラグーンに入る前に、幽霊船に追い付かれる可能性も十分に強い」
ルヴィアは、最早イチかバチの勝負だと悟る。
「出来る事は、祈るだけなのか…」
一瞬でも逃げ切れると喜んだ自分が、実に間抜けに思えた。
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