秘宝伝説を追い求めて~オリヴェッティの奉げる詩~第1幕

6/12
前へ
/42ページ
次へ
  ≪深夜に語られる真実。 男達の生きた道と隠し通した絆の素顔≫ Kの御蔭で急に自由になってしまったウィンツは、建物を出た所でKを見ると。 「あ~~~、助かった・・のか?」 と、呟く様に云ってしまった。 まだ、Kのやった事が鮮烈過ぎて、混乱が気持ちを支配している。 思うままに、言葉が出ていた。 するとKは、何気ない仕草でウィンツを見ると。 「別に。 俺は、半分本気で言ったまでよ」 「? ・・・どうゆう意味だ」 「アンタに、別の仕事を頼みたい。 だから、まぁ・・俺に一度、利用されて欲しいって事さ」 そう言うKを見たウィンツは、またも意味が解らず。 「なら、解る様に教えてくれ。 俺は、アンタの頼みなら出来る限り……」 男として義理・人情が有る。 Kの言葉に対し、言葉に気持ちを込め出すウィンツだが。 Kは、彼の話を遮り。 「ま、船に戻ろう。 今夜は、ウルサイあのガキ達も街に泊まるし。 クラウザーも居ない。 アンタと二人きりで、話し合いたい事が有るんだ」 包帯を巻いたKを見るウィンツは、Kの雰囲気がまた変わったと思った。 ジョンソンを威圧した彼でもない。 リュリュやオリヴェッティ達と居る彼でもない。 そして、自分の師であるクラウザーと居る時の彼でもない。 そんな様子なのだ。 「ん、・・解った」 歩き出し通りの人とすれ違う中で、お喋りに夢中な少女二人をやり過ごした後。 Kは、世間話の様な感じで。 「恐らく、あの助けた船員達もクビなんだろ? 支えてやるのは、アンタしかいないだろうな」 「……かもな。 ブライアンは、昔の怪我が元で片足が悪いし。 ジョベックも、腕の怪我が完治しても後遺症が残るって云うしな。 ま、アンタが居なかったら、確実に止血もままならず死んでいたらしいから。 生きてるだけでも、儲けもんだろう」 「まぁ、生きているだけに限れば、そうかもな。 だが、後は大変だ。 後遺症との付き合いは、生半可じゃない」 「あぁ。 でも、俺は最後まで皆を支えるさ。 正直、これまで一緒に仕事して来て、ウマが合う部下達だからな」 ウィンツの話に、口元を緩ませたK。 ウィンツは、口に出した以上の責任と覚悟を持っている。 生じ、使い捨ての行き方をして来て居無い。 人の苦労は、良く解る彼だった。 しかし。 二人で並び歩き出す視線の先。 雪に染まった街は、何とも云えない独特の雰囲気が有る。 そして。 サラサラと降る小雪から、ぼたぼたと降る雪に変わる空を見上げたK。 「実は、頼みたいってのは、俺の尻拭い・・なんだがな。 俺じゃ~無理なんだ。 だが、クラウザーの認めたアンタなら、出来るかも知れない。 俺の今の旅は、過去の清算と・・罪の償いさ」 あの最強無比の強さを誇るKが、急に弱くなる姿を見たウィンツ。 「アンタでも、弱まる時が在るんだな。 バケモノかと思ったが、だいぶ人間臭い」 言われると口元を緩め、髪に雪を乗せるKが。 「はは、そりゃそうさ。 リュリュみたいなクソガキに、今更遊ばれて絡まれてるオレだぞ?」 そんなKを見るウィンツは、つくづくKは不思議な男だと思った。 さて、その頃。 街に出たオリヴェッティとリュリュ達は…。 「んん~っ、おいちぃ~~~~」 リュリュが満足そうに、大きなサイズのケーキ1ホールを平らげ様としている。 幽霊船より持ってきた宝箱に在った金貨は、古い仕様の金貨で。 骨董屋や銀行に持って行けば、1枚が元の価値より高く交換される。 基本、金貨は、500とか、1000とか、キリの良い高額に値するが。 それにプラスで数百もなれば、オリヴェッティ等も懐が暖かくなる。 だから、街中で食べ歩きなどと洒落る気にも成る訳だ。 そして、ケーキなどのデザートを専門で作る職人が、個人で開く飲食店に入っていたオリヴェッティ達。 オリヴェッティやルヴィアは、カットされたケーキや、果物を工夫して野菜とサラダにしたものをゆっくり食べるままに。 目の前で繰り広げられる、リュリュの大食いを見ている。 「はぁ~、何度見ても凄いわですわぁ……」 と、ため息交じりのオリヴェッティに。 「いやいや、この食いっぷりは、流石にあのケイにも負けないな」 と、笑っているルヴィア。 自身も甘党だと自負するビハインツは、リュリュに張り合ってケーキを1ホール頼んでいた。 ま、まだ半分ほどしか減っていないが……。 貴族生まれ故か、フォークの使い振る舞いも流暢なルヴィアへ、オリヴェッティが。 「あの。 今夜は、みんなでゆくっりとお風呂の有る宿に泊まりませんか? 明日は、この国の図書館などに行きたいんです。 市内観光なんかもしてみたいので、ご一緒して下さい」 ケーキを食べる事に疲れ始めたビハインツは、 「いい観光に成るな。 この街の中心にある植物園や動物園は、移動式のガラス屋根をした建家に包まれる。 薄暗いが、冬ならでわの植物は、見ていて中々に面白いぞ」 オリヴェッティは、そう云うビハインツへ。 「良く知ってますね」 「あぁ。 この国は、オレの故郷さ。 まぁ、オレの出身は、もっと左の国境都市だけどな」 「あ~、なるほど」 リュリュは、其処で。 「モグモグ・・ボクも、この国だよ。 もっと・・・山奥だけどね。 モグモグ……」 ルヴィアは、紅茶を啜りながら。 「ほう。 この王都より近いのか?」 まだ、ビハインツやルヴィアは、リュリュの正体を知らない。 オリヴェッティは、“マズイ”と思い。 「あっ、リュリュ君っ!! 夜は、何が食べたい?」 と、引き攣った顔で話を切り替える。 フォークを上に向け、思案にクビを揺らすリュリュは。 「う~ん、お肉がいいな~。 血のポトポト落ちる生肉とかぁ~、おっきいカエルのモンスタ~とか美味しいんだよねぇ~。 どっか無いかなぁ~」 その要望に、ルヴィアとビハインツはギョッとした顔のままに硬直。 (まぁっ) 慌ててオリヴェッティは、 「リュリュ君、そぉ~んなレアなステーキは、そっ、そうそうに無いわ。 うふ・ふふふ……」 と、周りを見ながら口を濁す。 その間近では。 「………」 出来上がったケーキを運んでいたウェイトレスや、ケーキの下準備をするカウンター内側の主まで固まっていた。 キョロキョロするリュリュは、 「なぁ~んだ、ないんだぁ~」 と、安穏とした言い草でケーキの残りを食べきる。 「はぁ……」 横を見てため息を吐くオリヴェッティは、 (マズイわ…。 バレる日は、間近かも) と、不安になった。 Kですら持て余し気味のリュリュだ。 オリヴェッティでは、Kほどに上手く付き合えるか解らない。 さて、また所を変えて。 夕方までまだ少し時間が有る頃。 港の東側。 神殿の様な石造建築の佇まいをする施設内の、小さな一室。 “以心伝心の秘書”で、交信を行う魔法遣いを介し。 雇い主と色々な打ち合わせをしたクラウザーは、大きく胸を撫で下ろした。 使用を終え。 速やかに金を払って部屋を出て来たクラウザーは、次の使用者である商人らしき初老の人物とドア前で擦れ違う。 磨き上げられた石の廊下を行くクラウザーに、廊下で待っていたカルロスが近寄り。 「クラウザー様、向こうは如何にと?」 微笑む安堵を見せたクラウザーは、一つ頷きを返して。 「どうやら幽霊船の被害者は、別にも多く出ていたらしいな。 幽霊船の撃滅のこと、主は喜んでおった。 悪天候などの支障続きの航海だから、万事ワシに任せると。 フラストマドの近海は、更に吹雪いて大変だそうだ。 安全第一、難破などしないようにゆっくり来てくれ、とな」 「そうですか。 他にも、そんなに被害が?」 「ん。 被害を大きく云えば、渡航する利用客や荷物の輸送量が激減する。 商人達の中には、その事を船長達にすら隠す者も、な」 「なぁんとっ?!」 「いやいや、怒るなカルロス。 船に殆ど乗らぬ商人など、目先の利益が先んじる。 それも仕方の無い所よ…。 ま、最近、南に頻繁に出没した幽霊船は、あのケイが潰してくれたからな。 これで、少しは安心材料が増えると云うものよ」 「は、そうですな」 「補給はともかく、寒波の影響で航海路は大時化だ。 おそらく・・そうだな。 大まかに見積もっても、今日より最低で4日は船が出せん。 ホーチトの南岸に在るこの王都マルタンですら、この雪だ。 安全には、倍も、倍々も気を遣おう」 「そうですな。 マルタンの左右には、幾つもの川が流れて海の水が薄まります。 ヘタをすれば、氷の塊が出来る可能性もありますな」 「うむ。 何十年来の寒波になれば、その可能性は極めて高いな」 「では、今夜は・・港の船宿宿場へ?」 「うむ。 他の船長の話を聞く為にも、その方がいい。 恐らく、一度は出港した船でも、悪天候で此方に戻って来る船もあろう。 他の船長とも、もっと話し合おう」 クラウザーとカルロスは、港の一角にある古く立派な屋敷へと向かう。 許された船長達が集う集会場と宿が一体化した施設で。 停泊をする船の船長が、海の情報を求めて集まる場所だった。 また、雪が舞うマルタンの街を、観光気分で行くオリヴェッティ達。 温泉の有る広い敷地を持った宿を探し、宿泊を決めた。 つまり、船に戻ったのは、Kとウィンツのみであった。        ★ 夕日が、雲に隠れたままに沈み。 暗く寒い夜が訪れた。 雪は、静かに街へ舞い降りる。 Kは、帰り掛けで買い込んだ物を持って、隠された部屋へとウィンツを伴って戻った。 「ほぉ~、シークレッツ・ルームか。 流石に下手な客船の部屋とは、此処は格が違うな…」 ウィンツは部屋を見回して、部屋の素晴らしさに素直な感嘆を漏らした。 パンなどの入った紙袋を、円くシンプルなデザインのテーブルに置いたKは。 「まぁ~、下手な船だと物置みたいだからな。 この船は、それなりに気を遣ってるってことさ」 「あぁ」 「さ、椅子に。 今夜は、喧しい面々が居ないからな。 俺も、気が楽だ」 「寂しくならないのか?」 薄く笑って云うウィンツに、Kはし返すが如く。 「恋人の去ったアンタほどじゃないさ」 「そこを突くか、一番弱いな…」 背凭れの長い椅子に座ったウィンツの前に、歩み寄っていたKがワイングラスを置いて。 「アンタは、嘗てクラウザーの弟子だっただろ?」 Kを見返すウィンツは、 「了承が必要か」 と。 既に重々と理解するKだ。 「いいや」 ワインの瓶を紙袋から取り出したKは、音も無くコルクを引き抜き。 「恐らく、そんなお宅だ。 〔キャプテン・ウォーラス〕は、知ってると思う」 注がれるワインへの礼を忘れ、ウィンツは驚いた顔をそのままに。 「ウォーラスって…。 あ、あの、“疾風船団のウォーラス”か?」 「あぁ。 知ってるだろ?」 すると驚く表情をしたウィンツは、表情が固く真面目なものへ移りながら。 「当たり前だっ。 あ・あぁ~~~、あの人はウチの親方とライバルで。 一時の最盛期には、その所持した最新式の船十数艘で。 その船団から成る“疾風船団”は、荷物輸送の早さでは世界最速だと謳われた程だぞ」 良く知っている、と云う感じか。 頷くKで在り。 「ん、だな。 だが、そのウォーラスが、もう船長で無い事は?」 「知ってるよ。 何でも禁制品を伴った抜け荷輸送に一役買ったとか云う話で、船長としての全ての権威を失ったとか…。 もう、6年以上前の話だと記憶する」 Kは、もう調理されたパンや、チーズの塊を取り出しながら。 「そうか………、では。 ウォーラスとクラウザーは兄弟弟子で。 クラウザーがライバルに到る元凶…。 いや、言い方が悪いな。 そうなる事をしてしまったと云う過去については?」 その話に、ワインを含んだウィンツは、飲み込んで口を空けるや。 「あ・・はぁ? どうゆう事だ? ウォーラスは、世界最大の船団を築いた親方に名声が傾き、その所為で嫉妬したのだろう? それでライバル視を一方的にして、焦りから悪事に………」 言っている自分の話に、Kが全く反応しないので。 ウィンツは、語る勢いを殺がれて中途半端に止める。 その前では、手にグラスを持ちながら。 テーブルの近場にソファーを寄せようと足で引きずるK。 然し、椅子を動かすのを止めると、背中をウィンツに向けた状態から顔だけ後ろに反らし。 「クラウザーは、そう言ったか?」 ウィンツは、自分の兄弟子達や周囲の船員達からそう聞いていた。 だが、思い返せばクラウザー本人からは、一度としてその様な事を聞いた事が無いと思い出し。 「いや。 だが、俺達はそう聞いている。 兄弟子や、周りも…。 それに、前にはウォーラスの船の船員からもそう言われて絡まれ、二・三度か、大ゲンカした事だって在ったぞ? それ以外の理由なんて、何も聞いた事が無い」 ソファーに座るKは、ワイングラスを見て。 「恐らく、どっちも、理由は言えなかったんだろうな。 弟弟子だったクラウザーは、理由を言えば非道と罵られるだろうし。 兄弟子のウォーラスは、男として最大の恥を晒す事が出来なかった…。 意気地やプライドを張るのも、船長は仕事の内。 海の男のヘンな柵(しがらみ)に縛られたが故だな」 どうしてKが今更にそんな事を言うのか、ウィンツは其処が解らない。 「なぁ、何が言いたい?」 Kは、リンゴの果汁を詰めた瓶を取り出し。 「これからお宅に言う事は、もうクラウザーとは関係が無い。 だが、俺の頼みをアンタに言うに当たって・・。 その・・・何だ、クラウザーとウォーラス。 二人の過去は、踏まえて貰えた方がいいと思う。 俺がアンタに頼みたいのは、もう先行きの無いそのウォーラスを、死ぬ前に救ってやって欲しいって事だ」 急に言われ、一瞬に言葉を出せなかったウィンツ。 「っ?! 、なっ、・何だって? アンタは、掟破りのウォーラスを、この俺に・・助けろと?」 こう言ったウィンツの声には、意味が解らない故の困惑と、少しばかりの憤りが膨みかけた様子が窺えた。 海の男として、一番やってはいけない罪に手を染めた者を助けるなど、同業でも恥だと言われて育って来た。 いくらKの頼みでも、それには譲れないものが疼き出す。 果汁をグラスに注ぐKは、雪の降る静かな夜の様に澄ました声で。 「実は、な。 ウォーラスは、自身としては罪に手を染めてない」 「染めてないって・・。 何で、そう言えるんだ」 「それは、な。 あの時にウォーラスの船で禁制品を見つけたのは、この俺だからなんだ」 ワインを呑むのも忘れるウィンツは、驚くと共に何度もKを見て。 「アンタが、見付けた?」 「あぁ。 実際の処、ウォーラスは何も知らずに、禁制品輸送の片棒を担がされてたんだ。 だが、自分の船員をそっくり罪とは関係無い…、とする代わりに、事実を一人で抱え闇に消えたんだ」 「ほっ、本当に・・そうなのか?」 「ん。 そして、その船団の一部や船員の身の振りの面倒を引き受けたのは、アンタの親方だ。 表立っては噂から角が立つ。 だから裏で手を回して、自分の息の掛かった船団に引き取らせた」 ワインを完全に忘れたウィンツは、目を凝らして驚き。 「何でっ、親方が出て来るんだっ?! 罪を犯した船長の手下だって、同じ様に蔑まれるハズだろうに?」 「まぁ、普通なら・・な。 だが、寧ろウォーラスは、この時は騙された側だ」 「“騙された”? 誰にだ?」 「因縁めいた深い知り合いの商人に、さ。 本当に騙されて、人買いの手伝いをしてた」 余りにも衝撃的で、ウィンツは酷く混乱する。 「わ、訳が解らない。 アンタが当事者で経緯を知ってるなら、もっと詳しく説明してくれよっ」 自分の親方となるクラウザーまで係わると知り。 ウィンツは全てを知りたく成った。 Kとウィンツの話が、深く深く堕ちて見えなかった部分に近づく頃。 或る宿屋では。 「オーケイっ!!!! 紳士淑女が何だってんだっ!! 軽快にダンスでも踊って楽しもうゼぇっ!!!」 「イエェ~~~~~~~いっ!!!!!!!!」 宿と提携をする酒場が、4つの宿の境に設けられている。 その中では、ピアノやハープを軽快に奏でる楽師や、派手な衣装で歌を歌う奇抜な吟遊詩人が、ステージの上で激しい動きの踊りを披露している。 そのダンスを見るリュリュは、嬉しそうに歓声を上げるのだった。 「やっほ~~~~いっ!!! いいぞぉぉ~~~~、空でも飛んじゃえ~~~~~っ」 一方で。 「何だと? これが・・・音楽か?」 カルチャーショックを受けるルヴィアは、宿に落ち着いて風呂に入った後だから、白い優雅なデザインのコート風ローブに身を包んでいる。 解いた髪が膝まで長く、随分と女性らしい。 鎧を脱いだビハインツは、黒い上下のズボンと上着。 だが、だいぶに酒を飲んでいて、リュリュと肩を組んでは。 「いいぞっ、いいぞぉっ!!!! 脱ぐかっ?!! アレでも、コレでも見せちゃおうか~~~っ?!!!!!!」 と、壊れている。 そんなリュリュとビハインツに何も云えず。 (何だか、凄くウルサイわね) 苦笑いのオリヴェッティは、今日に買った古着のドレス風の普段着であった。 中年から若い客達が集まり、ワイワイ騒ぐ酒場。 若さ弾ける美しい女性が、赤を基調とした露出の多い魅惑的な衣装で踊る。 その様子に、リュリュはもう騒ぎ捲くり。 「サイコ~~~~っ!!!!!! ケイさんいねぇぇぇぇ~~~っ!!!」 と、大喜び。 あまりの煩さに、ルヴィアは閉口して酒を飲むだけ。 オリヴェッティも、一緒にチームの一員に成ってくれるかどうかの話をしたかったが。 それ処ではない様子に、溜め息しか出ない。 オリヴェッティは、Kが居ない事にチョットだけ嬉しくなかった。       ★ 街が雪に染まるマルタン。 この大雪にして、海は静かだった。 さて、クラウザーの預かる船の客船の一室で。 隠匿された秘密の核心に踏み込む話が、Kからウィンツに語られ出した。 今も、クラウザーと云う男は、老いて尚も魅力を感じる渋い男だ。 だがそれは、老いた今に限った事では無かった。 生まれて直ぐからの境遇も有るが、盗賊を自らの手で倒した事に加え。 オリヴェッティの曽祖父との冒険などで、本人の人間性が磨かれた所為も在るだろう。 一般的に、気の短いとされる海の男にして。 珍しい落ち着きと、潜り抜けて来た人生の荒波が大らかさを彼に具わせた。 知らぬ人間からするなら、カリスマ的な存在と見えるクラウザーなのだろう。 だが、クラウザーとは、文字通りの“玄人”、“苦労人”なのである。 そんなクラウザーだが。 フラストマド大王国とマーケット・ハーナスに拠点を持っていた老練なる船長に弟子入りしたのは、19歳の頃。 その時既に、兄弟子としてクラウザーより二つ年下のウォーラスも、下働きの船員として働いていた。 クラウザーは、兄弟子ながら裕福な商人の三男に生まれたウォーラスが、非常に真面目な人物だと思って好いていた。 逆に、年齢に見合わない落ち着き。 そして、働きながら教えられる事を丸で真綿が水を吸う様に覚えるクラウザーに、ウォーラスもまた強く一目を置いてくれた。 二人は、将来は各々で大船団を持って、それぞれの夢を抱いて世界を駆け巡りたいと大望を語り合ったとの事だ。 さて。 クラウザーの結婚は、船団を持ち始めた30歳前後の事らしい。 ウィンツがクラウザーへ弟子入りした頃は、もう妻帯していた。 だが、クラウザーとウォーラスがライバルの様に成ったのは、ウィンツもクラウザーが結婚した前後の様だとは聞いていた。 確かに、この時。 ウォーラスは、商人である実家の援助を貰い。 個人で巨額の高速運搬船を買い入れ、優秀な船長としての技能を活用し始めた。 マーケット・ハーナスから東の大陸に行くのに、中継点コンコース島を経由しない航路で輸送をし始めた頃であり。 一方のクラウザーは、数隻の大型船を抱え出した頃。 それは、二人の船長としての向かう道筋が、ハッキリと別れた頃でもあった。 だが、Kの話では。 二人のライバル関係は、実はウォーラスの一方的なライバル視する行動が元であり。 クラウザーは、ウォーラスの事をライバル視していないと云う話だ。 ウィンツも、ウォーラスの事を話さなかったクラウザーを覚えている。 周りの船長仲間に炊き付けられたとしても、一度として彼をバカにするような話をクラウザー自身から聞いた事は記憶に無い。 (そう云えば…。 親方は、兄さん達がウォーラスの事をバカにしたら、逆に叱った様な記憶が……) 何時も叱る時は、大声で一撃の雷を落とすクラウザーだが。 その時だけは、低い声で睨み付ける様な、本気の憤りを見せた事を思い出す。 そう。 正しくこの二人には、そうさせるシコリが在ったのだ。 その原因は、クラウザーの妻である〔リドリー〕が元となのだとKは言う。 クラウザーの妻となるリドリーと云う女性は、フラストマド大王国の中流貴族の父親と、愛人であった商人の娘の間に生まれた庶子である。 問題なのは、リドリーが長女と云う立場である事。 そして、貴族の父親と結婚していた正妻が子供を儲けたのが、リドリーが15歳にまで育った頃だと云う事に端を発していた。 先ず。 生まれたリドリーは、乳離れと同時に半ば実母と引き離された。 貴族の父親と結婚していた正妻は、継母としてリドリーを育てる事になったのである。 そして、正妻の女性が弟を生むまで、父親の一族もリドリー以外に家を継ぐ目ぼしい者が無く。 更に、実母の家である商人の家にも、後継ぎとなる子供が恵まれなかった。 つまりは、リドリーしか両方の跡継ぎが居なかった現状が15年も続く。 15歳まで、双方の家に取り合い状態で居たリドリーは、弟の出生を非常に喜んだ。 実の子ではないリドリーを育てつつ、彼女を実子として何処か認め切れない正妻の貴族である継母。 弟誕生の喜びを継母へ祝うと同時に、実母の家に去ると別れを告げた。 継母となる正妻は、リドリーの身を弁えた言動に称賛を返したとか。 また、貴族の父親は、リドリーは可愛い一人娘ながら。 跡継ぎとしての男児が生まれてしまったので。 後々の面倒を避けるべく、リドリーを実母の下に返した。 だが…。 リドリーと腹違いの弟を生んだ正妻は、流行り病で呆気無く死んでしまう。 残された長男は、僅か3歳。 リドリーの父親は、娘ながらに頭脳明晰なリドリーと、愛人関係を続けた娘の母親を正式に身請けし。 商人の家を自分の一族に融合させ、リドリーを将来の主にして勢力の拡大を狙った。 リドリーを跡継ぎにするならと、母方の両親も納得。 リドリーには、その後に実母が生む弟も誕生し。 二つの家の融合化は、上手く事を運んだかに見えた。 然し、こうなると死んだ正妻の一家は、一族の繁栄の為に出した娘が死に。 後添えに商人の娘を入れて、正妻の生んだ長男を持て余し始めたリドリーの父親に、異常な恨みを募らせた。 リドリーと云う女性は、見た目が華やかな美しさと言うより。 スマートで一歩控える慎ましさと、知的な印象の魅力を備えた才女と成り。 後に続く弟達3人より期待されてはいたが。 自身は、両親に強い不審を抱いていたのである。 リドリーは、死んだ正妻の女性に同情をする人間性を強く持っていた。 また、腹違いながら分け隔て無く弟達に接したリドリーは、正妻の生んだ弟を母親代りの様に面倒を見ていた。 愛情希薄な両親に代わり、まるで恋人の様に愛して接していた。 正妻の一族は、リドリーの存在を嫌いながらも、一族の血を引く正妻の子供に期待を寄せたのである。 彼が成長し、リドリーよりも立派になって超えれば、もっと優秀な人物になれば・・・と。 処が。 リドリーを将来の主にしようと思う両親とその一族は、正妻の生んだ弟を遠くの学院へと入れて、愛情を注ぐリドリーから引き剥がす。 20歳を過ぎたリドリーに、結婚を促す目的も在ってだろう。 リドリーと長男の年齢は、15年も離れている。 リドリーを早期に結婚させるとしても、父親から娘に家督を継承させる上で面倒は欲しく無い訳だ。 さて、リドリーの婚約者には、下手な貴族の阿呆では無く。 今の時代を切り開ける能力が求めらたと云って良い。 つまり、実利主義的な観点だ。 その槍玉に上がったのが、船長としても優秀であり。 実家の商売を一気に手広くしようとしていた、最速運搬船団を率いる船長ウォーラスだった。 彼の実家である商家は、先ず先ずの規模と財産を所有していた。 そして、マーケット・ハーナスの治政にも関わる親族が多い。 ウォーラスほど、リドリーの家に都合のいい相手は他に居ないと思われた。 さて逆に、ウォーラスの家としても、リドリーとの結婚は渡りに船。 貴族と云う名誉と、勢いの在る商家と提携できる訳だ。 ウォーラスが双方の家の店先に並べる商品や、取引する商品を一括で運んでくれれば。 輸送費を安く出来るので、他の輸送費に金の掛かるライバルを出し抜ける。 本人同士に話は伝わらないままに、結婚の話はトントン拍子で進んだのは当然とも云えた。 そして、或る日のこと。 先にと、リドリーには見合い相手の事を教えられた。 だが、リドリーは自立性の強い人並み以上の才女である。 父親の言い成りで、操り人形の如くウォーラスに嫁ぐのが嫌だった。 家は弟達に任せ、最もしっかりした者を軸に運営した方がいいと思っていた。 何故ならば、世の中はまだ女性を軽んじる傾向にある。 当主を自分が継ぐには、まだ時代が追い付いていないと理解していた彼女。 然も、ウォーラスと結婚したとしても、それは自分とウォーラスの両親達が画策した形に填まるだけ。 人間としてのお互いの幸せも考えず。 只、勢力を拡大し。 只、規模を膨らませるだけの謀略結婚としか、彼女には思えなかった。 利口なリドリーは、そんなことでは結婚したとしても。 自分も、ウォーラスも、何れはそのジレンマに悩む日が来ると思った。 そうなれば、利害だけで結ばれた家は滅茶苦茶に成ると予想したのである。 こんな彼女だ。 やり手ながらも、生真面目で固い気性のウォーラスより。 大らかに時勢を見つめ、弱い船員をも掬い取って働かせる人間味の濃いクラウザーに、その心情が行ってしまうのも仕方の無い事かも知れない。 と或る夜。 フラストマド大王国の貿易都市アハメイルで開かれたその晩餐会は、商人と商いをする貴族へ、個人船団を持つ船長達を紹介する一席だった。 いきなりの見合い話をその日に聞かされ。 リドリーを紹介されたウォーラスは、その礼儀を弁えたリドリーに一目惚れしてしまった。 だが、リドリーの瞳は、どんな貴族や商人にも堂々と接し、対等に立ち向かう中で。 何処か少し醒めた様子のクラウザーに向いていた。 リドリーは、晩餐会以前からクラウザーを見知っていた。 航海中に事故で死んだ兄弟子の家族を養い。 自分の知人の店に、未亡人と成った奥さんを働かせる口利きをしに来たと云うのだ。 生来の気質か、クラウザーは弱い立場の者に手厚い気を傾ける。 その姿勢の噂に、彼女は心酔し始めていたのであるが。 実際のクラウザーを見て、自分の感じたものは確かだと確信した。 煌びやかな晩餐会の席でクラウザーを見たリドリーは、次々と娘を紹介される彼を見ていた。 美しく磨き上げた自分の娘を嫁がせようと、クラウザーに紹介する商人達。 そんな魂胆を何処と無く嫌うクラウザーは、終始に渡って淡々としていた。 一方で。 そんなリドリーの気持ちを悟れないウォーラスは、彼女に一目惚れしたままに。 この夜に婚約を前提として、リドリーの家と提携する事を決めてしまう。 さて。 晩餐会が一番盛り上がった頃。 これ見よがしにクラウザーへ、自慢の娘達を紹介する商人達だが。 能率と利益優先を押し付けると噂される商人に飼われるのを嫌い。 晩餐会の途中で、会場を抜け出すクラウザーが居た。 体調不良を理由に同じく晩餐会を抜け出したリドリーは、その後を密かに追った。 そしてこの夜に、彼女は変身した。 なんと夜の女を装い、クラウザーが歩いて帰る所に現れ。 そして…、一夜の誘いを掛けた。 突然、リドリーより誘われたクラウザーだが。 よく見ると、淫靡で爛れた感じの或る夜の女には無い魅力を湛え。 何処となく、初々しい色香をリドリーに感じた。 二人は軽いやり取りを重ねた後、クラウザーは気に入って彼女を宿に連れてしまう。 何の事情も知らぬクラウザーは、初めてだったリドリーに驚くのだが…。 “どうしても、娼婦にならなきゃいけないの。 貴方に、初めての人に成って欲しくて…。 一夜だけ、一夜だけでいいから…。” 嘘を演じて弾ける若く瑞々しい肉体を差し出すリドリー。 クラウザーも、手馴れた娼婦とは違う、新鮮な女性の魅力に溺れる気になる。 然も、 “訳在って深い理由は話せないけれど、弟を助けたいの” と、事情を云う意地らしいリドリーに、人間として興味を覚えたのである。 そのまま二人は、朝まで宿から出て来なかった……。 そんな事が起こったなど何も知らぬウォーラスは、リドリーと結婚が出来ると思っていた。 船長としてリドリーの家を助ける傍ら。 時々に屋敷へと立ち寄っては、彼女を誘うのだが。 どうにも反応が微妙で、その真意が解らない。 夜の逢引に誘っても反応は無いし。 気持ちを伝えても、曖昧にかわされる。 その内、二月ほどして…。 知り合いとなる商人からの密告で、リドリーが度々に朝帰りをすると聞いた。 性格として看過が出来ないと、彼女の事を調べ始めたウォーラスで。 遂に、現実を知る事に到る。 この間、リドリーは、クラウザーの寄港をそれとなく調べて居て。 クラウザーが街に来る夜に成ると、あくまでも娼婦を演じる。 逆に、彼女と逢うクラウザーは、リドリーが余計な汚れを覚えなくていい様にと金を渡していたので。 彼女を自分の愛人の如く金で養って居る・・かのように思わされていた。 こうなる背景の要因の一つは、リドリーが娼婦とは思えない高い教養を備えていた事。 これが、二人の絆を生む事になる。 “落魄れた貴族なの” 嘘を言う彼女の言葉を受けたクラウザーは、完全にその話を信用していた。 そして、出逢いより数ヵ月。 一夜を共にする傍ら、リドリーから様々な教養を教わるクラウザー。 貴族の礼儀やしきたりに始まり。 普通では意味の解らない様な雑学や政治的な世情など。 船団を率いる船長として、商人や貴族の世情に政治の情報は、非常に有り難いものだった。 そして、何よりもクラウザーがリドリーに感謝すること。 それは、学の足りない自分を助けてくれたこと。 不遇なる幼少を過ごしたクラウザーの悩みの一つが、文字のクセだった。 字は、大体のものが読めるが、正式に書く事が出来なかった。 独学で読み書きを覚えたクラウザーだが、手紙のやり取りからリドリーの美しくクセの無い字。 正しい文章と云うものを知る。 それまでのクラウザーの文字は、 “棚から文字が零れ落ちる程に汚い” と周りから云われていた。 何せ自分を抱えてくれた師匠と成る人物さえも。 “クラウザー。 お前に無く、他に有るものの一つは文字だな。 お前、一人立ちをしたならば、1から読み書きを学び直すか。 誰か、その道に通じる者を雇え。 さもなければ、商人から難癖を付けられ。 大変な事に成るぞ” この指摘は、確かにクラウザーも見に覚えが在る。 文字の汚いクラウザーは、船員時代からバカにされ。 文章の事に関しては、兄弟子のウォーラスに場を譲りっぱなしで。 或る商人が、船員のクラウザーとウォーラスを並べて見て。 “次からは、サインや契約はお(クラウザー)にして欲しいな。 このクソ汚い字なら、幾らでも難癖が付けられる” と、こう言ったのだ。 だから船長と成って以来、書き物は雇った他人任せだったクラウザーなのだ。 リドリーと付き合い出したクラウザーは、航海の無い時は毎夜リドリーと愛し合い。 そして、ベットの上で文字を習う。 文字に、書き順やら綴りの移りの際、或る決まりが在ることを今さらに知る。 そして、彼女の御蔭でほんの数ヶ月の間に、正式な書類の作り方まで習ったのだった。 また、クラウザーとこうした夫婦の様な、そして先生と生徒の様なやり取りをし。 その一時に、女として安心と幸せを覚えていたリドリーの狙いは、無論のことに金では無い。 惚れたクラウザーに逢いたい。 そして、共に夜を過ごしたい一心なのだ。 リドリーと出逢ってから、他の女性へ手を伸ばさなく成ったクラウザーも、また。 今までに出会ったことの無いタイプの女性であるリドリーなだけに、彼女に男として本気に成っていた。 だが、或る日。 リドリーとクラウザーが愛を積み上げる間。 丸で騙されて居るかの様に何も知らず。 婚約を願って、彼女を思い続けていたウォーラス。 秘かにリドリーを調べさせて居れば、弟弟子のクラウザーの愛人として共に宿へと消えたと聴く。 “そんなバカなっ!!!!” 生まれて初めて、自分から感情任せに知り合いの胸ぐらを掴んだ。 いや、喧嘩など何度もしていた。 だが、それは売られた喧嘩で在り。 知り合いに手を上げるなどは、我からしたことが無かったウォーラス。 それほどに、衝撃を受けたのだ。 嘘と憤り、夜にも係わらずリドリーに逢う為に飛び出したウォーラスだが。 屋敷に行けば、リドリーは部屋を抜け出して行く時。 後を追うと酒場近くでクラウザーと落ち合い、そのまま宿へと消えて行く。 そんな彼女を見て、ウォーラスはどう思ったのだろうか。 次の日。 クラウザーと別れたリドリーを待ち伏せした彼は、狂う寸前だったのかも知れない。 処が。 話し合いに成るとリドリーは、自分は貴族の家を継ぐ気も無く。 弟に全てを預け、自分はクラウザーの愛人として生き。 その全てが明るみに成る頃には、自分なりの決断を下すと云った。 欲望に塗れた一族を嫌い、喩え愛人でも愛した男に添い遂げると誓いを立てた女性。 その意気地を見たウォーラスは、自分の溜まりに溜まった気持ちを吐き出せ無かった。 そして、弟弟子のクラウザーとは、何処までも対等に遣って来たと思っていた自分が。 リドリーについては完膚無きまでに負けた、と思い知らされた一瞬だった。 リドリーの事を知るウォーラスは、その自ら下すと云う決断の中には、最悪として彼女の“自決”も含まれると察した。 娼婦に見せて、クラウザーに近づく彼女だが。 普段の彼女には、清廉な気高さも垣間見える。 もし、クラウザーとの結婚が出来ず、肉体関係すらも拒絶された後。 恥を罵られたり、生きて浴びる世間の言葉を無にすべく。 何らかの行動を起こすのは必定と解った。 それから、何日も経過して。 或る、時化の強い嵐が去った夜だった。 ウォーラスはリドリーに内緒で、クラウザーを港へと呼び出した。 呼び出されたクラウザーだが。 兄弟子のウォーラスの気性は理解しているし、常に兄弟子の不躾に成らない様にと。 契約する商人まで選んでいた。 突然の呼び出しに、 “アニさんに何か迷惑を掛けたか” と、彼の好きな高い酒を買って持参した。 この時、既に立場は対等。 師匠の船長は、クラウザーが先に成り上がると予想していた。 もう、クラウザーがウォーラスに気を遣う必要は無かったが。 それでもクラウザーは、ウォーラスだけは兄弟子として誠意を表していたのだ。 さて、呼び出されたクラウザーは、何故か人払いされた暗がりの港に来て。 “何か、大変な事が起こった” と、察した。 また、クラウザーが呼び出された理由を知らないながらも。 “何か、不躾が在ったのではないか” こう察して、手土産を持参した姿を見たウォーラスは、肩を落としつつ真実を話し出した。 全ての事実を聞いたクラウザーは、ウォーラスに土下座したと云う。 そして、 “自分は船長を辞める” との覚悟を示す。 何処までも兄弟弟子としての分は守って来たクラウザーだ。 ウォーラスの本心を知って、身を引くと共に全てを捨てようとする。 だが、それまでクラウザーと兄弟弟子として、仲良く認め合いながら遣って来たウォーラスだ。 クラウザーの抱える船員数や船乗りの社会的な衝撃を理解するし、リドリーの心が自分に無いことを弁え。 自分が身を引くと決めたのである。 “クラウザーよ、リドリーを幸せにしてくれ。 俺じゃダメなんだ。 俺は・・彼女の家を引っ張る” こう言ったウォーラス。 此処で、ウォーラスとクラウザーの決別たる別れが来た。 ウォーラスは、全てを胸に仕舞い。 更に、クラウザーとライバル的な関係を二人の間に築いて。 二人がリドリーを愛した事を封印した。 こんな事が公に成れば、リドリーに汚い噂が流れ。 その影響は、両方の家の商売に及ぶことは明白だった。 こうしてウォーラスは、リドリーの家、母親の家の双方と話し合いをした。 リドリーとクラウザーの逢引は、密かに自分が手助けしていたと嘘を付く。 話を聞いた両親とその一族の驚きや怒りは、期待が高かっただけに熾烈だった。 即日に勘当されたリドリーは、クラウザーが抱き上げた。 クラウザーとリドリーも、相当に本音で話し合った。 リドリーのことを知り、またウォーラスから頼まれ、愛情が生まれてしまったクラウザー。 たった二人で挙式をし、それ以来はこの話を封印して生きた。 一方、その後。 生涯に亘り妻を娶らなかったウォーラス。 その心には、やはりリドリーの事が在ったのだろうか…。 さて。 三人の間だけで事を納め。 リドリーの代わりに、弟達が家督を継いでそれなりに落ち着いた。 リドリーやウォーラスからすると、丸く収めたつもりだったのだが…。 最大の問題は、確りと残っていたのだ。 リドリーの弟達の中でも、先立った正妻の残した息子は、先に語った通りにかなり歪んだ環境で育ち。 リドリーの愛情も虚しく、その性根が酷く曲がってしまった。 実父の目零しから分割された店を保持する事が出来ず。 悪党達や悪徳商人とつるむ人間に堕ちる。 そして、彼の仲間が密かに始めたのが、禁制品の売買や人攫い・人買いの悪事。 その悪事の一部を享受する経緯から、甘い勧誘を囁かれ荷担するリドリーの義弟。 彼は、一族に対して憎しみや不満しかない。 迷惑と成ることなど歯牙にも掛けず。 寧ろ、復讐に成るとすら感じていたのか。 最終的には、ウォーラスを騙す事態を招いてしまうのだった。 Kが悪事を暴き、ウォーラスの船が悪事の片棒を担いでいた・・と噂が立った時。 クラウザーは、密かに兄弟子と連絡を取った。 二十数年ぶりに……。 騙された事実を知ったクラウザーは、兄弟子は騙されたんだと周りに声を上げると決める。 役人や知人に申し出て、全ての関係を調べ直して貰おうとした。 だが、それを止めたのは、ウォーラス本人で在る。 訴え出ると繰り返すクラウザーに、ウォーラスは思い止まる様に諭す。 自分をクラウザーが擁護しては、世間の中傷にクラウザーも、リドリーも巻き込むことに成る。 そして、過去の傷が振り返せば、その負い目を理由にクラウザーやリドリーへ、不利益な荷運びを迫る者が出るだろう。 実は、それほどにウォーラスは、自分の家の積み荷の輸送のみならず。 リドリーの両親の家からも、安く迅速な輸送を背負わされていた。 その事実をクラウザーへ話し、訴える事を押し留めさせた。 真面目なウォーラスは、硬い部分を持っている。 自分の子分と言っていい船員達とその家族。 そして、表に出なかったリドリーの事を含めてクラウザーに任せた。 全部の汚名を一人で背負う事を決めて、役人から呼び出され繰り返し尋問された後。 “薄々、知って居ながら、金銭の授受と引き換えに片棒を担いだ” と自供した。 この時、リドリーの腹違いの義弟が、ウォーラスも協力者だと嘯いていて。 また、リドリーの兄弟や母方の親族も、義弟の不正を知っていた。 また、ウォーラスの実家も、一部の禁制品の横流しに手を貸していて。 ウォーラスがどう足掻こうが、何等かの連座する形で罪は免れ無かったのだ。 ウォーラスはクラウザーに手下のことを頼む時を稼ぐ為に、直ぐに罪を認めなかっただけだった。 兄弟子が捕まった一報を聞いたクラウザーは、涙を呑んだ。 然し、ウォーラスの気持ちを心で握り締め、何日も酒を呷って航海が出来なかった。 だが、もうウォーラスは自供している。 悔しさや憤りを兄弟子の思いと共に心に閉じ込めたクラウザー。 そして、世間に衝撃が走る。 当時。 最盛期であった己の大船団を幾つかに分け。 自分の息子達、自分に付き従う船長達に分散したクラウザー。 当時は、まだ60歳を過ぎたばかりで、どう見てもまだ引退する時期では無いのに、そうしたクラウザー。 そして、その作業の中で。 足らぬ船員の穴埋めにと遠回しに仲介の間を挟み、ウォーラスの配下の船員達を雇って組み込ませた。 息子達や自分の弟子の様な船長を自立させるクラウザーは、世間で浴びる罵倒の渦に消されるウォーラスを静かに見つめていた。 そして、それからどの位が過ぎた頃だろうか。 クラウザーが雇われ船長に成る事を決める三ヵ月ほど前。 規模が小さく成ったクラウザーの船団が港を旅立つ或る日。 汚い格好をした兄弟子が、一瞬だけクラウザーを見送りに来ていた。 その後、旅人から彼の手紙を受け取ったクラウザーは、延々と綴られた感謝に泣き叫びそうだった。 自前の船団を操る引退前のクラウザーは、誰の目から見ても気の抜けた老将の様だったとか。 殆どの作業を若い船員や船長候補に任せ。 何時も何時も、海や単調な景色の続く空を見上げていたらしいと。 話の一部始終を聞いたウィンツは、クラウザーとウォーラスが、男の友情で堅く堅く結ばれているのだと解った。 自分の部下にウォーラスを罵られた時に、何故に師が本気で怒ったのか…。 その真意は、今でもクラウザーには、最高の兄弟子がウォーラスなのだと解った。 (おや、親方っ! アンタって人はぁっ…。 二人で、必死に女一人を守るのかよ。 嗚呼っ、親方に会えた俺は、誰より幸せ者だ……) マキュアリーの事で、自分を叱ったクラウザーの言葉が甦る。 “お前、何時から人の気持ちが解らなく成った?” クラウザーは、確かに人の心が解る男だった。 表立って唱える正義や隠し事をせず真実を明るみに出す事も、確かに一つの正しき事かも知れない。 だが、犠牲を払うだけが正しさだろうか。 クラウザーは、兄弟子のウォーラスと沈黙を貫いた。 守るべき者を、守る為に。 ワインを呷ったウィンツは、今夜は寝れそうに無かった。        ★ 夜の長さは、不思議なものである。 永遠の様に感じられたり、夜明けが待ち遠しかったり。 その真夜中、Kとウィンツの話が核心に入る頃。 船乗りの船長などが集まる屋敷の一室にて、ベットに横へなるクラウザーだが。 その心中は穏やかではない。 (今頃、ウィンツはどうなっているか。 殺されてなければ良いが…) 海運を扱う商人でも、ジョンソンは悪どいことで噂が絶えない。 クラウザーは、ウィンツを自由にする為にどうするか、不安を募らせていた。 多額の借金を課すのは明白。 いや、ウィンツをタダ働きさせる為には、どんな卑劣な手法をとるか…。 「ふむぅ…」 小さい溜め息を吐いた。 だが、今宵に一人で眠れないのは、クラウザーだけではない。 別の場所、宿屋の個室で寝ていたオリヴェッティも、一人で色々と考えていた。 (あぁ・・・、どうしよう。 ビハインツさんと、ルヴィアさんを誘ってもいいのかしら・・。 でも、秘宝の話は・・・。 はぁ、どうしよう) Kは、全て自分に任せると言った。 リーダーは、オリヴェッティだと決めているKとクラウザー。 文句を言われる事は無いのかも知れないが、オリヴェッティはリーダーなどするのが初めて。 何処までが良くて、何処までが悪いのか解らない。 “仲間を増やしていいのか” と、Kに聞くのもなんだか違う様な…。 然し、これから先。 探す秘宝を巡り、Kやクラウザーに迷惑を及ぼすのも悪い。 (はぁ。 誘うつもりで街に連れ出したのに…、コレじゃ馬鹿だわ) リュリュを寝かし付けてから、部屋に戻ったオリヴェッティだが。 妙に暇な空気に返って眠れなくなってしまった。 アレコレと考える事は、今までで初めてのことばかり。 何とも、考えが纏まらない。 オリヴェッティは、自身で潔さも決定も早い方だと思っていた。 だが、慣れぬ事では、こうにも悩むものかと困ってしまった。 そして、何より一番不思議なのは、リュリュである。 人を嫌い、街すら襲った風の神竜ブルーレイドーナ。 その子供であるリュリュのKに対する信頼度は、一見しても深い。 何故なのか、オリヴェッティの今の所の最大の謎である。 悩ましい。 寝返りを繰り返すオリヴェッティは、何度もトイレに起きた。 さて、その夜の深夜は、大雪が降る夜だった。 静かに雪に閉ざされつつ在る街の一角で、凶暴な牙が蠢いていた。 街が完全に寝静まった頃である。 「ふぅ・・・」 Kが昼過ぎに脅しを掛けたジョンソンが、あの一件の在ったリビングの奥の一室。 下着姿の女性を行かせた部屋から、バスローブ一枚を羽織っただけで出て来た。 ランプも灯っていない暗いリビングには、もう誰も居ない。 「はぁ・・はぁ・・・」 ベットの上では、全裸の金髪女性が激しい情事の直後で、息も荒くして失神しかけていた。 その露になった豊満な胸には、白い液体が垂れて見えている。 女性を散々に弄んだジョンソンは、 (クソったれっ!!!! まだ、身体の震えが治まらねぇ…。 あのバケモノっ、今頃に姿見せやがってっ) と、内心でKを憎み。 そして、慄いた。 ジョンソンは、まだ30歳前の頃に、マーケット・ハーナスで暗黒街を作ろうと画策した事が在る。 麻薬や盗品の密売や、暗殺を請け負う代わりに、街に勢力圏を作ろうとしたのだ。 その阻止をしたのが、Kである。 Kは、200人と云ったが。 正式には、290人もの刺客や殺し屋、堕ちた冒険者を金で掻き集め。 Kを街の港に在る倉庫に呼び出して、ジョンソンは殺そうとした。 だが、結果は正反対。 雇った刺客や殺し屋達は尽く破れ、失禁をして命乞いをしたジョンソンは、役人に捕まった。 実は、今のジョンソンは脱獄逃亡犯なのである。 Kに一度潰された時は、仰々しく“ジョンヘンダーソン・ハホルビー・マインアンダーソン”と言う貴族風の偽名を使っていた。 今名乗っている“ジョンソン・マイランダー”とは、適当に本名を捩ったに過ぎないのだろう。 似たような名前を付けていた御蔭で、悪辣な商業の遣り方と繋がってKにバレたのだ。 Kに昼過ぎに会って、ジョンソンは殺されると思った。 指先一つで突き飛ばされた後、戦慄から震えの治まらない彼は、“ライナ”と呼んだ女性をベットに引き込んだのである。 (あの死神が此処に・・。 クソっ、この国でも潮時かぁっ?!!) 恐れ、苛立ち、混乱が彼を襲い。 長く情事に耽った彼は、喉が渇いてリビングへと出て来たのだ。 (ちきしょうめ・・・) 窓の手前に備えられた台の上。 デキャンターに残された若い白ワインを持って、苛立ち任せでコルク代わりのガラス栓を引き抜き。 そのまま一気に呷ったジョンソン。 そして、明かりが漏れる寝室を脇目に、ニヤりと不気味な笑みを浮かべ。 (へっ、あの女、マジで中々じゃねぇ~か。 元僧侶の割りに、大した乱れっぷり。 どうせ殺すにしても、飽きるまでは甚振ってやる…。 恐っかない目に遭った後なだけに、あの身体は………) と、卑しいニタリ顔を見せる。 だが。 果汁そのものの味わいが強く、果物の甘さを残したワインが喉を通って、腹に染みて行く。 もう一口飲もうとした、直後だった。 「う゛おあ゛っ!!!」 突然、身を潰される様な痛みを覚えたジョンソンは、喉から下の胸を抑えて声を絞った。 叫ぶと云うより、激しい激痛で呻きもがく様な、そんな嗚咽を出したのである。 デキャンターを床に落とし、ガックリと膝を折って蹲って行く。 「ガハァッ!! ぶぅっ・・・うがぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・」 目の両端が裂けそうなぐらいに眼を見開くジョンソンの瞳は、一気に充血して今にも飛び出しそうな様子を見せた。 激しく苦しみ。 Kに突き飛ばされた自分が壊したテーブルが、そのままに成っていて。 そのテーブルの残骸に倒れ込み、もがき足掻く彼だった。 そのジョンソンが苦しむ異様な音に気付いたライナと言う女性は、まだ荒い息のままに布団を身体に当て。 ベットを降りた。 「ど・どうした・・の?」 暗がりのリビングを見たライナは、何かを掴み上げる様に伸ばしたジョンソンの手だけを見て。 (な・何っ?!!) と、ベット一つでもう間一杯と云う寝室の入り口。 壁掛けのグラスランプを引き抜いて。 「ね・ねぇ・・・」 と、ジョンソンに近づいた。 その顔が見える所まで後半歩と云う所で、ライナの鼻に血の匂いが漂って来る。 (ままさ・まさかっ?!) 一歩踏み出し、灯りが届いてジョンソンの顔が見えた彼女は、グラスランプを落さない様に持つのが精一杯だった。 「はっ!!! はぁ・・・はぁぁぁ」 あまりの光景を目の当たりにし、急激に乱れ詰まる呼吸。 恐怖に膝が笑って、その場にヘタリ込むライナ。 ジョンソンは、もう絶命していた。 目、鼻、口、耳・・顔のあらゆる穴から血を噴出させ、眼球を飛び出させる様にして………。 ライナは、アルコールの匂いを嗅ぎ。 死んだジョンソンの傍に転がり、ワインがポトポトと零れるデキャンターを見て。 昼間に、Kが言った言葉を思い出す。 (ひ・ひひ昼間の・・あの人がぁぁっ?) 脳裏には、包帯を顔に巻いたKの姿が浮かんでいた。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2587人が本棚に入れています
本棚に追加