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箱ガールは本来、社会というコンポジションから逃れるべく生まれた存在とされている。いわゆる消極的衝動の産物だ。その衝動をあろうことか目立たせ、人々から注目を集めるとはなにごとか。
さらに、デコる行為によって、箱ガールの無個性がことごとく破壊され、否が応でも個性が表れてしまう。つまり、箱の中の人間性が垣間見えるのだ。
私には、彼女らデコ箱ガールの気持ちがよくわからない。目立ちたいのか目立ちたくないのか。要領を得ないのだ。しかし思えば、私たち全箱組合も強く彼女らを否定できない立場にある。
私たち全箱組合の目的は、そもそも箱ガールの見守り・観察だった。それがいつのまにか批評や会誌作り、はては箱ガール・コレクション(通称・箱コレ)を主催している。おわかりだろう。デコ箱ガールがしていることと大差ない。
これは想像ではあるが、私たち全箱組合の理念が揺らいだ結果、デコ箱ガールなどという亜種が生まれたのだとしたら? 私たちは自分で自分の首を絞めていることになる。
だが、あえて書かせてもらおう。私はデコ箱ガールを断じて認めない。箱の中に夢と希望を夢見る一人の紳士として。
(全箱組合会誌『美少女ボックス』より)
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